第61回:源氏物語の「椿餅」と二葉軒

 『菓子ひなみ』という本があります。2006年に京都新聞朝刊一面に一年間にわたって連載された「菓子ひなみ」に加筆して、一冊にまとめたものです。この本は拙稿第41回「千本釈迦堂の『大根炊き』と素敵なお茶の時間」でお茶の時間を提供してくださった宮本さまより頂戴したものです。2月5日の項に大石橋二葉軒の「椿餅」が載っていました。
 実は私、写真で見たことがあるだけで、椿餅を食べたことがありませんでした。大石橋二葉軒は京都駅を南へ10分程歩いたところ、地下鉄なら九条駅からすぐの所にあります。1月下旬たまたまそこのすぐ近くに所用があり、行ってみました。その時は「まだ椿の葉が手に入らない」ということでしたので、二月半ばに出直しました。今度はありました。艶々とした椿の二枚の葉っぱに挟まれ、道明寺粉でこし餡を包んでいます。

 『源氏物語--葵』に「亥の子餅」が出て来ますが、「椿餅」も日本に古くからあったお菓子らしく『源氏物語--若菜上』に「つばいもち」として登場します。蹴鞠のあと、「次々の殿上人は、箕子(すのこ)に円座召して、わざとなく、椿もちゐ、梨、柑子やうの物ども、さまざまに箱の蓋どもに取りまぜつつあるを、若き人々、そぼれ(はしゃぎながら)取り食ふ」とあり、蹴鞠のあとのおやつの一つだったようです。当時は小豆はなく、砂糖も高価な輸入品でしたから、干飯を砕いて粉にし、甘葛(あまずら--蔦の樹液を煮詰めたものと解釈される)をかけて固めて餅となし、椿の葉を二枚合わせて丸くつつんだもの、とのことです。素朴な餅菓子です。拙稿第54回「嵐山の桜餅」の中で餡のない桜餅があると書きました。桜餅を調べていたとき、挟む葉が違うのが椿餅と書かれているものを見つけました。
 「椿餅」と言えば、八坂神社を南に下がったところに「甘栄堂」という椿餅で有名なお店がありました。ここのは餡が入っていなくて、道明寺だけを丸めて、上下を椿の葉ではさんでいました。白いままのと、ニッキを混ぜた茶色のと二種類あったようです。2005年の文献にもう閉めてしまった、とありますから「いつまでもあると思うな」は親と金だけではありません。

 今回訪ねた「大石橋二葉軒」では、ふだんは白のみだが要望があれば、ニッキ入りも作るとのことです。ご主人から伺った話では創業は昭和10年、先代が上賀茂神社前からここ大石橋に移転したので、家紋が上賀茂神社のご神紋である「二葉葵」と同じなのだそうです。二代目の將野(はたの)さんは大学進学が決まっていたが、春休みに菓子の原料屋さんでアルバイトをしているとき、納入先の総本家若狭屋(千本下立売)で光華幼稚園・小学校・中学校・高校・大学の卒業式用紅白饅頭1万個を作るのに手が足らず、「手伝え」と言われ、どうせ菓子屋の跡を継ぐのだから、大学へ行くよりいいかと、住み込みで働くことにしたのだそうです。若狭屋で修行しようと思ったのは、主が工芸菓子の名手だったからということです。パリ万国博覧会に大輪の牡丹の工芸菓子を出品して、京菓子の美しさを世界に紹介した人だったと言うのを聞いて、私は驚き、とっさに「1900年のパリ万国博ですか?」と訊くと、「そうです。主は高浜平兵衛と言い、工芸菓子の名人でした。総本家は戦時中閉店してしまいましたが、二条若狭屋、三条若狭屋とのれん分けした若狭屋があります」ということでした。二葉軒の將野さんも、工芸菓子の腕をみがき、全国菓子博覧会に何度も出品され、店内にいくつかの美しい写真を飾っていました。第25回姫路菓子博2008、第26回ひろしま菓子博2013とあり、一昨年のお伊勢さん菓子博2017がないので訊ねると、審査員だったとのこと。前回、「俵屋吉富の雲龍」で取材した京菓子資料館で工芸菓子が展示されているのを見ましたが、今回は続いて制作の苦労話など、有意義なお話が聞けました。
 もうひとつ驚いたのが、「京都府菓子工業組合の何名かで和菓子の本を作った」と言われましたので、どんな本か?と問うと『菓子ひなみ』と言うではありませんか。「その本持っています」と私。そして、俵屋吉富の石原義正さん他のメンバーと何度も会合をして取り上げる菓子を決めて、京都新聞の坂井輝久さんが執筆されたということでした。

 二葉軒の「椿餅」はこし餡の上品な甘みとなめらかな道明寺の感触が口の中で溶け合って美味しゅうございました。月末にまた近くで所用がありますので、もう一度行って来ます。これを逃すと1年待たないといけませんから。

【参考文献

  • 『菓子ひなみ---三六五日の和の菓子暦』京都新聞出版センター 2007
  • 大村しげ「椿餅」『京のお菓子』暮らしの設計118号、中央公論社 1978
  • 虎屋文庫「紫式部と椿餅--蹴鞠のあとの定番菓子」『和菓子を愛した人たち』山川出版社 2017
  • 中村孝也『和菓子の系譜』図書刊行会 1990
  • 『源氏物語三』新日本古典文学大系21岩波書店 1995
  • 石原義正「京都の銘菓を歩く」『菓匠歳時記』京都新聞出版センター 2005

(2019.2.22 高25回 堀川佐江子記)