第54回:嵐山の桜餅

 桜餅には2種類あることは既によく知られていることと思います。東日本では小麦粉を溶いてクレープのように焼いた皮でこし餡をくるりと巻き、桜の葉でくるんだもの。西の方では炊いた米を蒸して乾燥させた道明寺粉を用い、同じくこし餡を入れ、俵型にしたものを桜の葉でくるんだものです。浜松ではもちろん前者でした。

 京都に来て、道明寺粉を用いた餡のない桜餅に出会いました。京都に桜の名所は沢山ありますが、嵐山もその一つです。若い時分、左京区に暮らしていた頃、はるばる嵐山まで出かけ、渡月橋のほとりのお店で購入した桜餅がそれでした。道明寺製の餅のみが二枚の桜の葉で挟まれていて、餡がなくたいそう驚きました。琴きき茶屋というお店で、昔は茶店だったのかなと思いました。

 その後、右京区に住むようになり、子ども達の通った御室幼稚園の母体が嵐山の法輪寺でした。法輪寺は渡月橋を西に渡った先にあり、橋から西の山を見ると木々の間から多宝塔が見えます。本尊が虚空蔵(こくぞう)菩薩で、京都の人たちが七五三より大切にしている「十三まいり」をするお寺として有名です。十三まいりというのは数え年13歳になる4月13日に虚空蔵菩薩をお参りし、智恵を授けていただいて立派な大人になるよう祈願する通過儀礼です。帰り道、振り返ると智恵が虚空蔵菩薩に帰ってしまうという言い伝えがあり、渡月橋を渡りきるまでまっすぐ前を見て歩くのが習わしです。よそ者の私たちは十三まいりといってもピンと来ず、うちの子たちはお参りをしませんでした。ただ、幼稚園からは年に何度かバスでお参りに行っていました。

 幼稚園の母の会の行事で、嵐山にある大河内山荘と天竜寺を見学する機会がありました。大河内山荘は時代劇俳優の大河内傳次郎の別荘です。この地に魅せられ、美を追究し、自身で設計して30年かけ造営した6000坪の回遊式庭園が見事です。美しい庭園を眺めながら、お薄と一緒に頂いた桜餅がとても美味しかったのをよく覚えています。同行した副園長先生が「これはすぐ近所の鶴屋寿の桜餅です。急なお客様のときも重宝しています。一年中あって、お値段も良心的なんですよ。」とおっしゃいました。この桜餅はこし餡が入っていました。ただし、30年も前のことでして、現在お薄とともに出て来るお菓子は、大河内山荘の銘の入った最中と聞いています。

 昨日、桜餅を求めて嵐山まで行ってきました。餡なし桜餅の琴きき茶屋はやはり、元々車折(くるまざき)神社の境内にあった茶店ということでした。現在の車折神社はもっと東にありますが、渡月橋のたもと大堰川沿いに車折神社嵐山頓宮が設けられた時、茶屋も移ってきたようです。琴きき茶屋は頓宮を挟むようにお店が広がっています。琴きき、というのは平家物語の高倉天皇と小督局(こごうのつぼね)との悲恋物語から名前がついたのだそうです。小督局は高倉天皇の中宮徳子(平清盛の女)の女房だったのですが、天皇の寵愛を受けたため清盛の怒りをかい、この辺りに身を隠したのです。小督局は琴の名手でしたから、天皇の命で探しに来た者が琴の音を聞いて局のすみかが分かったということです。琴きき茶屋は明治43年にこの地に移り、107年にもなります。

 久しぶりにお店へ行くと、餡なしの真っ白な道明寺餅を、塩漬けにした2枚の桜の葉ではさんだものと、たっぷりの餡で少しの道明寺餅をくるんだ、見かけは赤福のようなのと2種類が売られていました。となりの茶店でお薄とともに頂きました。道明寺餅に桜の葉の香りがしっかり移っていて、美味しかったです。餡でくるんだ餅を売るようになった理由を尋ねると、「あんこも欲しいというお客さんの要望ではないですか」とのことでした。いつ頃からかはお店の人たちもわかりませんでした。観光客が沢山往き来する、絶好の場所の琴きき茶屋ですが、すぐそこで職人さんが餡炊きからすべて作っているそうで、少々驚きました。

 もう1軒の鶴屋寿はJR嵯峨嵐山駅(以前は嵯峨駅と言いました。嵐山が付くとひなびた嵯峨からぐんとおしゃれなイメージになりますから不思議です)の近くにあります。こじんまりした和菓子屋さんでした。先代が昭和23年、鶴屋吉信から独立したお店で、「嵐山さ久ら餅」は嵐山の超高級料亭のお茶菓子とお土産として生まれたとのことです。当初は渡月橋に続く嵐山の目抜き通りにあったそうですから、大河内山荘や幼稚園の副園長先生の自宅である法輪寺にも近かったのでしょう。春だけでなく、1年を通じての製造販売のため、あえて季節感を出さないようにピンクには着色せず、お餅は白いままです。桜の葉は伊豆半島や大島で栽培されている大島桜の若葉で、桜葉特有の芳香成分であるクマリンの含有量がほかの桜よりもやや多く、無毛で光沢の強い若葉は形もよいそうです。小ぶりですが上品なこし餡と道明寺が口のなかでほどけるようでした。

 駅に向かう途中、川魚屋さんのシャッターが下りているのを見つけました。右京区にいた頃、冬に鯉こくを作るため、買いに来ていたのです。お隣の総菜屋さんで伺うと、定休日ということでした。ついでに桜餅のことを聞いてみると「そりゃ、そこの鶴屋寿さんのが一番ですわ。砂糖が違いますね。ひとさまに持って行くならここ。先代のおばあちゃんはべっぴんさんやったな。90いくつかでこのあいだ亡くならはったけど、こんな手ぇしてはったえ」と水をすくうような格好をしてくれました。「桜餅を作る手ぇやね、と言ったんよ。ここのは昔から小ぶりやったけど、もうひとつ食べんでも一つで満足できる味」と言うではありませんか。私はおいしいともう一つ手が出てしまうなあ、と思いながら電車に乗りました。

【参考文献

  • 「本家櫻もち」琴きき茶屋しおり
  • 「嵐山さ久ら餅」鶴屋寿しおり

(2018.3.21 高25回 堀川佐江子記)