このホームページを通して会員相互の交流が一層深まり、活動の場が広がることを願います。
翌8月9日は朝一で1592年創立、アイルランド最古のトリニティ・カレッジへ『ケルズの書』を見に行きました。ダブリン訪問の目的2つ目がこれです。『ケルズの書』とは8~9世紀に修道士によって書かれた美しい4つの福音書の装飾写本です。すなわち、マルコ、ルカ、ヨハネ、マタイの福音書です。ヴァイキングの襲撃から逃れ、未完の書をたずさえて、アイルランド島にたどり着いた修道士たちが、ダブリン北西のケルズの修道院にて完成したので『ケルズの書』と呼ばれています。150頭分もの仔牛の革を用い、全部で340枚あるそうです。展示室のガラスケースの中に1冊は丸ごと絵のページ、もう1冊は文章のページが開かれていました。鮮明で色も美しく、これが1200年以上も前の本とは驚きました。撮影不可でしたので、画像はトリニティ・カレッジのホームーページより拝借しました。実際に展示されていたものは、もっと白くて彩色も鮮やかでした。
保管されていたのはトリニティ・カレッジのオールド・ライブラリーです。長さ65メートルもある「ロング・ルーム」と呼ばれる、世界で最も美しい図書館のひとつです。中央通路にはジョナサン・スウィフト、オスカー・ワイルドやイェイツの胸像が並び、アイルランド国章のモデルになっている最古のアイリッシュハープも展示されていました。残念ながら肝心の蔵書は2024年より埃等から守るため、別の建物に移され本棚はほぼ空っぽでした。
アイルランドを語る時、ジャガイモ大飢饉について触れないわけにはいきません。中南米原産のジャガイモは北米からヨーロッパ、そしてアイルランドへともたらされ、多くの人々を養うことができました。ところが、1845年から4年にわたる大飢饉でアイルランドの人口のうち100万人が餓死し、100万人以上が新大陸やオーストラリアに移民として出て行ったと言われています。ジョン・F・ケネディの曽祖父も1848年にアメリカに移民しました。大飢饉の原因はカビの一種による疫病です。胞子により風で舞い、恐ろしい速さで蔓延し、土の中で腐っていきました。農民の食糧はジャガイモのみに依存していました。アイルランドは1801年に英国に併合され、つまり植民地にされていました。英国政府は何の策も取らず、いわば見殺しにしたのです。
帰国後、もう一度いろいろな本を読んだら、ジャガイモ大飢饉でアイルランド人が餓死していた時、小麦は豊作で乳製品と共に大量輸出されていたというのです。これにはショックを受けました。
当時農民は不在地主の英国貴族のために、小麦を作っていてそれは全部英国へ持って行かれ、わずかな痩せた土地を借りてジャガイモを作っていたわけです。「飢饉は天災だが、飢餓は人災である。」と言った人がいましたが、本当にそう思います。アイルランドを無作為に見捨てたとしてイギリス政府が公式謝罪したのは、実に1世紀半も経った1997年、トニー・ブレア首相の時でした。
先日、私が関わっている浜松北高関西同窓会の交流会に、今年5月の総会で記念講演をしてくださった同級生の鈴木一実さん(高25回)が来ていました。帰りのJR車内で「アイルランドに行って来た。」という話から、一実さんが「アイルランドは今から170年以上前にジャガイモ大飢饉があってね。」と言い出したのです。私は座り直して彼の顔を見てしまいました。一実さんは植物病理学の専門家で、総会の記念講演も「植物の病気と関わって50年」と題して話してもらったのです。その中で特に印象深かったのが、「飢えないようにする為に植物の病気の研究は大切だ」と話された事です。人間の歴史を見ると、いかに飢えから逃れるか、その為に移民もせざるを得なかったわけです。一実さんがJR車内で「中南米原産のジャガイモとトウモロコシのおかげで多くの人間が飢えから救われた。」と話されたのが胸に突き刺さりました。
ダブリンに行くまでは考えもしなかったことですが、当たり前に食べられることに感謝しなければと深く思いました。次回はダブリンからロンドンに行ったことを書きます。
【参考文献】
【参考サイト】
(2025.9.28 高25回 堀川佐江子記)