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前回の第71回「京菓子展」と有斐斎弘道館の続きです。京菓子展は、2020年11月1日から15日まで開催されましたが、第71回から随分時間が経ってしまいました。年末までに原稿は書けていたのですが、例の新型ウイルスがまた勢いを強め、緊急事態宣言が発令されましたので、お菓子についての話題は躊躇してしまいました。まだまだ予断を許さない状況ですが、気を取り直して書くことにします。
この「京菓子展」は本会場の有斐斎弘道館の他に旧三井家下鴨別邸が特別会場となっていました。本会場で、下鴨会場では京菓子の入選作は午前中に売り切れたと聞いたのですが、他のお菓子はあるとのことで、秋のよき日、ハシゴすることにしました。会場のある下鴨神社近くまで歩くのは少ししんどいので、タクシーで行きました。
下鴨神社の南側、「糺(ただす)の森」の下(しも、南のことを京都ではこう言います。北は上、かみです)まで来ると、鳥居の西側に高い塀が現れました。神社の南に、こんな場所があったとは、タクシーの運転手さんも知りませんでした。私も1980年前後に3年半ほど、下鴨神社の東、高野川を隔てたあたりに暮らしたのですが、もちろん全く知りませんでした。
本会場の半券を持っていたので入場料は50円引きの450円でした。玄関棟に入ってすぐ脇の洋室には、旧三井家下鴨別邸のことがパネルとDVDで詳しく説明してありました。ちょうど1年前、拙稿第67回鳥羽・伊勢・松阪旅行ーー松阪の銘菓「老伴」でも触れましたが、しらはぎ会の同級生3人と伊勢・松阪旅行をした時、三井家発祥の地を見てきました。松阪のそこは更地になっていて、碑があるのみでした。
旧三井家下鴨別邸は、三井家11家の共有の別邸として、三井北家(総領家)第10代三井八郎右衞門高棟(たかみね)によって建築されました。三井家11家とは、祖である高利が三井家の結束を図るため、直系男子の6本家と養子筋の3連家を定めたものです。のちに6本家、5連家の11家体制となりました。
この地には明治42(1909)年に三井家の祖霊社である顕名霊社(あきなれいしゃ)が遷座され、その参拝の際の休憩所とするため、大正時代14(1925)年に建てられたそうです。顕名霊社は呉服を商う三井家ゆえに絹織物を作る蚕、つまり養蚕の神様を祀っています。
建築に際しては、木屋町三条上るにあった三井家の木屋町別邸が主屋として移築されました。しかし戦後の財閥解体で昭和24(1949)年には国有化され、昭和26(1951)年以降は隣接する京都家庭裁判所の所長宿舎として平成19(2007)年まで使用されました。良好に保存されており、高い歴史的価値を有していることから、平成23年に重要文化財に指定されました。この画像は京都観光Naviより拝借しました。中央が主屋、左手が玄関棟です。
ところで、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」が2015~16年にかけて放映されました。たまに見たくらいですが、ヒロイン白岡あさのモデルは実業家・教育者の広岡浅子です。彼女は京都の豪商、小石川三井家(三井6本家の一つ)三井高益の四女です。玄関脇の下鴨別邸の説明のところに、広岡浅子の業績もパネルになっていました。
友人Tさんがこのすぐ近くにお住まいなので、聞いてみました。すると4年半前に初めて一般公開となったとき、近隣の人々が招待され、行って来られたとのこと。驚いたのは、私と共通の知人であるNさんのご主人が、京都家庭裁判所の所長時代に住んでいたみたいだ、ということです。
早速、15年ぶりにNさんに電話しました。ところがお返事は「住んでなかったのよ」なんと、前々の所長さんまで下鴨別邸が官舎だったが、前任の方からは京都地方裁判所の所長さんとニ戸一の戸建てに住んだそうです。しばらく放ってあったが、平成25(2013)年、京都市の管理するところとなり、整備され平成28(2016)年10月1日に公開となった、ということです。
Nさんは「昔、所長さんは新年や8月16日の大文字送り火の時、家庭裁判所の方々を招いていたようだが、自分はちょうどご縁がなく、一度もそこに入ったことがない」と話されました。
普段は非公開の2階やその上の望楼は見晴らしがよく、確かに大文字の送り火の眺望は素晴らしいことと思います。非公開といっても、観光シーズンには種々のイベントがあり、2階でお食事をして望楼に上ることもできるようです。
また、Nさんによると、住んでいた所長さんは単身赴任か、ご夫婦のみで、ある奥様は「私は庭掃除のためにいるのか、と思うほど掃除ばかりしていました。使わない部屋は、畳が焼けないように新聞紙を敷き詰めていました」と語っていたそうです。
(2021.3.19 高25回 堀川佐江子記)