第70回:とらやパリ店40周年記念展とイスパハンの薔薇

 9月初めに若い友人の美代子さんより、「パリとらや40周年記念のイスパハンの羊羹ご存じですか?今月から発売です。薔薇の香りが最高です」とLINEが来ました。何なに?知らないなあ、と思いながら「必ず買います。」と返信しました。美代子さんは拙稿第42回「井伊直虎と彦根城、そして『殿様ぜんざい』」に登場する彦根の「さわ泉」に連れて行って下さった方です。
 イスパハンと聞き、初めイランの古都イスファハンの間違いでは?と思ったのですが、フランス語でISPAHANと表記するからですね。なんと薔薇の品種名にもなっていました。フランスの作曲家ガブリエル・フォーレによる「イスパハンの薔薇」という歌曲がありましたからイスパハンと薔薇は関係が深いのでしょう。

 9月末日、虎屋京都一条店にある虎屋京都ギャラリーに「とらやパリ店40周年記念――京の伝統産業×Paris×Wagashi」展を見に行って来ました。小ぢんまりした一室にはパリ店のこれまでのあゆみや、パリ店限定商品が展示され、「贈答」「ディスプレイ」「和菓子でもてなす空間」と3つのコーナーがありました。もちろん、虎屋の今回の記念生菓子イスパハン2種もあり、銘々皿や茶器等、京都の若手の工芸作家の作品を組み合わせて美しく展示されていました。

 イスパハンの名前の謎がここでわかりました。フランスの有名なパティシエ、ピエール・エルメ氏が生み出した数々の創作菓子の代表作がイスパハンだったのです。バラ・ライチ・フランボワーズの3つのフレーバーを組み合わせたマカロンや生ケーキがあります。画像は「ピエール・エルメ・パリ」のHPよりお借りしました。ちなみにピエール・エルメ氏は1998年、自身の店舗第一号を日本のホテル・ニューオータニ内にオープンしました。パリに出店したのはその3年後のことです。とらやは1980年にフランス・パリに出店しました。異国の地で、自国の菓子や文化を広めようと取り組んで来た2社のコラボレーションが今回、実現したのです。

 では記念の和菓子イスパハンをいただこうと隣接する虎屋菓寮に行くと、すでに完売とのこと。出直すしかありませんでした。手ぶらで帰るのも悔しいので、小型羊羹「イスパハン」を1本購入しました。

 10月6日に改めて出向きました。奇しくもパリ店が開店したのは1980年10月6日でしたので40周年の日でした。朝のうちに生菓子のイスパハン、きんとん製と求肥製の両方を電話予約しておきました。もう一度展示を見て、菓寮へ。抹茶とのセットにしました。うれしいことに、40周年ということで羊羹「新緑(しんみどり)」1口サイズがサービスで付いていました。こういうおまけにとても弱いワタクシです。
 イスパハン「きんとん」は濃紅・薄紅・白の3色が混ざり合った、バラとライチ風味のそぼろの中に、白餡で包まれたフランボワーズ水羊羹製角芯が入っています。もう一つのイスパハン「求肥」は葛で固めたとろりとしたフランボワーズジュレを、なめらかなバラとライチ風味の白こし餡、さらにやわらかく伸びる薄紅の求肥で包み、表面には色付けした氷餅が散らしてあります。

 前回の小型羊羹を含めて、一番おいしかったのはきんとんです。バラとライチの香りが邪魔することなく、白小豆製であろう白こし餡の風味、薯蕷(じょうよ・ヤマノイモのこと)の香りもほんのりして、大ぶりの存在感も大満足でした。
 お店からは美しく手入れされた庭が見え、秋の日差しがやさしく照らしていました。画像に見えるお稲荷さんは、古くから五穀豊穣・商売繁盛の神様として虎屋の敷地内にあり、篤く信仰されていたようです。私もお茶とお菓子をいただいた後、お参りして来ました。

 イスパハンと薔薇の関係がどうしても気になり、調べてみました。やはりありました。イスファハンは1597年、アッバース1世がサファヴィー朝の首都にし、17世紀には人口50万の大都市となりました。当時人口が50万以上あった都市はロンドン、パリ、北京、江戸、そしてイスタンブルくらいだったそうです。そのイスファハンを含めてイランの様子がヨーロッパに伝わったのはフランス人宝石商人シャルダンが『ペルシア紀行』という本を出版したからではないかと思いました。シャルダンはイスファハンの繁栄を「私が知る限り最も多くの品物を扱っており、正に市場の中の市場である。」と書いています。「イスファハンは世界の半分」と謳われた所以でしょうか。そしてイランでは有名な詩人・哲学者であるサアディーが『薔薇園』という本を残しています。イランで花と言えば薔薇を指すようです。右の薔薇の画像は旅行社のHPより拝借しました。

 とらやパリ店については、実は1983年に私が初めてパリを訪れたときに、店の前を通りかかったことがあったのです。少し前に出店されたことは報道で知っていました。その時の記事に「最初、パリのお客様は楊枝を使えなくて、ナイフとフォークを要求され、上等な塗りのお皿が傷付き困った」というのがあり印象に残っています。
 そう言えば、上に記したシャルダンの研究者、羽田正さんはこの時、新婚でソルボンヌに留学していました。ホテルを予約して貰ったり、ご自宅でお茶をよばれたり、ベルサイユに連れて行って頂いたり、とてもお世話になりました。彼がシャルダンの研究を始められたのはもっとずっと後のことです。

 ふと、息子のパキスタンでの結婚式前のヘナ・パーティを思い出しました。始まる時、赤い薔薇の花びらをふんだんに振りかけてもらって入場したのです。今、嫁に聞いてみたら、「あの花びらは普通の花屋さんにはなくてブライダルのお店に何週間も前から予約をする必要があり、そしてとても高価。パキスタンで栽培されたものだが輸入品はもっと高い。最近は薔薇の花びらや花をさらに大量に使うことが流行になっている」ということでした。

 美代子さんはイスパハンの羊羹がとても気に入り「あと5個買いそうです。そして、生菓子も買います。」と言っていました。私は十分満足したので、JR京都伊勢丹で10月14日から20日まで販売される40周年記念特製羊羹「昼下がりのカフェ」というコーヒーやカカオの入った羊羹を買いに行って来ます。

​【参考文献】

  • とらやパリ店40周年記念限定商品チラシ
  • シャルダン『ペルシア紀行』17・18世紀大旅行記叢書、岩波書店、1993
  • 羽田正編著『シャルダン「イスファハーン誌」研究』東京大学東洋文化研究所、1996
  • 羽田正『勲爵士シャルダンの生涯』中央公論新社、1999
  • サアディー『薔薇園』蒲生礼一訳、東洋文庫12、平凡社、1964

【参考サイト

(2020.10.13 高25回 堀川佐江子記)