第52回:パキスタンのヘナ・パーティと結婚式(その1)

 私ごとで恐縮ですが、上の息子がパキスタンのカラチで結婚式を挙げました。ドイツで知り合った方が、パキスタン人のキリスト教徒でして、父上がカラチにある英国国教会(アングリカン・チャーチ)の神学校の校長先生かつ司祭をされている為、そこの大聖堂で挙式した次第です。
 カラチは私たち家族にとって2回目の滞在でした。1983年にトルコに赴任する時、パキスタン航空(Pakistan International Airlines)に乗りました。略称がPIAなので、Perhaps I'll Arrive(多分到着するだろう)とかPanic In Air(機上でパニック)などと揶揄する人がいますが、パイロットは空軍出身なので操縦技術は世界トップクラスらしく、なんの問題もありませんでした。翌年帰国の際、イスタンブルでの出発が遅れたため、カラチ乗り継ぎができず1泊させてもらえました。リゾート地のコテージのような素敵なホテルでした。
 98%がムスリム(イスラム教徒)といわれる国で、キリスト教式の結婚式がどんなものなのか、想像すらできず興味津々で出かけました。聞いていたのは1月6日が挙式、その2日前がヘナ・パーティということだけでした。1月6日というのはキリスト教にとって大切な日で、イエス誕生の後、東方の三博士が祝福に訪れた日です。そして、この日までがクリスマスの期間です。

 ヘナ・パーティとは新婦側の親族が主催するお祝いの宴です。15世紀から続く、婚礼の行事ということですから驚きました。元々女性のみが参加したそうです。そのための伝統衣装であるシャルワール・カミーズは新郎・新婦のもののみならず、私たち両親、そして新郎に付き添い、結婚の証人になるベストマンという重要な役を担う、息子の友人の分も先方が用意して下さいました。もちろん花嫁の付き添いをする日本人友人のブライドメイドの衣装もです。シャルワールはズボン、カミーズは7分丈シャツを意味し、女性はそれにドゥパッタと呼ばれるストールを組み合わせ3点セットで着用します。近い親族はみな緑色の衣装を着ます。パキスタンの国旗が緑ですから、一番貴い色なのでしょう。
 ヘナというのはインド亜大陸から中央アジア、中近東にかけて生育している植物のことです。これを乾燥させて葉脈を取り除き、粉状にして水で錬ったものがヘナ・ペーストです。今や日本でも髪の毛を染めるのに使われています。

 ヘナ・パーティは夕方から始まりました。まず、自宅に隣接するチャペルでお祈りがあり、親族の何名かが聖書の一節を読み上げ、それから賛美歌が3曲ほど歌われました。ウルドゥー語で歌われる賛美歌は聞き覚えのある曲とは全く違って、民族音楽そのものでした。そのあと、庭に特設した大きなテントに移動します。まず、新郎と私たち家族が赤い薔薇の花びらをシャワーのようにかけられて歩きます。テントの一番奥にあるメイン舞台は生花で美しく飾られ、しばらく新郎がひとりで座っていました。チャペルでの儀式の時からプロの撮影隊が4名(ひとりはディレクター)で写真を撮りまくり、強いライトを当てて、ヴィデオも撮り続けていました。新婦とその家族が到着すると、新郎新婦の両側に双方の両親が座り、まず新婦の母がオイル、ヘナを指に取り用意された大きな葉っぱの上に乗せ、二人のおでこに塗ります。次にお皿に乗ったバルフィというお菓子を一口ずつ食べさせます。これらは健康と幸福の願いを込めて行われます。続いて、私も同じことをしました。バルフィは甘いお菓子です。口に入れようとすると息子が「少しね、少し」と言ったので、ほんの一口にしました。これで儀式は終わりかと思いきや、親族が次から次へと同じ祝福を繰り返すので、お菓子は勘弁してもらったそうです。70名位はいたと思います。上の動画はその時の様子です。
 私たちはテントの後ろの方に用意された席で、何品ものパキスタン料理を頂いてリラックスしていましたが、二人は親族や友人たちのお祝いの言葉を受け、写真撮影が続いていました。

 そのころ、ヘナ・アーティストが列席者の腕にきれいにヘナで模様を描いていることに気が付きました。花嫁だけでなく、出席者にもして貰えると聞き、私もやってもらうことにしました。ヘナ・アーティストは若い女性で、自分の膝の上にバスタオルを敷き、向かい合った私の左腕を乗せて、腕の表側、肘と手首の中間くらいから描き出しました。ヘナ・ペーストは細い絞り袋のコーンに入っていて、先端でドンドン描いていきます。何種類ものデザインが頭に入っているのでしょう。細かいレースのような図柄を描いて、手の甲、指へと進みます。焦げ茶色のペーストが少し盛り上がってくっきりとしています。次に右側、全く違う図柄です。両方で1時間足らず。乾くまでどこにも触らないように、そして水に濡らさないように言われました。乾くのに1時間半から2時間はかかるそうです。もう深夜になっていましたから、シャワーは諦めることにしました。はるばるパキスタンにまで来てやって貰ったヘナ・アートですから当然です。男性もして貰えるということで、夫は右手の内側、親指の付け根に小さく入れて貰っていました。もちろん、女性たちも次々にして貰っています。

 肝心の花嫁さんはいつするのだろうと見ると、新郎とともに相変わらず舞台の上で撮影隊のディレクターに、様々なポーズを要求され、延々と撮影が続いていました。夜は更け、食事も終えたお客さん達は三々五々いなくなり、これでお開きという挨拶があるわけでもなく、私たちもテントを後にしました。
 新婦の自宅でしばし休憩をしました。へとへとになった息子はボリウッド映画(インドのボンベイが一大映画産業の地なので、そこで制作される映画をボリウッドと言います。歌あり、ダンスあり、笑いあり、そして感動する映画が多いです。)のようなノリを要求するディレクターをボリウッドと名付け、「あいつを雇ったのは誰だ?」と言って倒れ込んでいました。お嫁さんによると、彼はとても有名なディレクターなのだそうです。

 花嫁さんのヘナは結局翌日夕方、同じヘナ・アーティストが自宅に来て、花嫁用の特別な模様を念入りに描いていました。一部分に息子のイニシャルも入っていました。さらに両足にも施しました。レースの手袋、靴下をはいているように美しかったです。ヘナ・アーティストにどこで学んだのか訊ねると、「おばあちゃんから習った」とのこと。お母さんは美容院をしているそうです。
 このヘナ・アートは1週間から10日はもつと言われましたが、私の両手は2週間ちかく保っていました。徐々に薄くなっていくのは寂しいものでした。聞くところによると、花嫁はヘナが消えるまでは家事をしなくてよいとか言われるそうです。

 ヘナ・パーティの時に、新郎新婦が口にしたバルフィというお菓子は結婚式・赤ちゃんが生まれた時・誕生日等お祝いの時に食べられるお菓子です。インド亜大陸に伝わるお祝い菓子ですからインドでももちろん普通にあるお菓子です。
 牛乳と砂糖で作った半生ミルク菓子(味は練乳風味)で、それにココナッツやナッツの入ったもの、スパイスの入ったもの等いろいろな種類があります。とても甘いと言われてひるみましたが、食べてみたらそれほどでもなく、美味しかったです。町のお菓子屋さんで量り売りで買うようです。帰りの空港でもお菓子屋さんに多くの人がお土産を求めて集まっていました。欲しいものを詰め合わせてもらい、何箱も積み上げて買って行く人もいました。買っている人はみな男性ばかりで不思議でした。そもそも飛行機に乗る人の中に、女性がほとんどいないのでした。

(第53回に続く)

(2018.1.31 高25回 堀川佐江子記)