第42回:井伊直虎と彦根城、そして「殿様ぜんざい」

 今年のNHK大河ドラマは「おんな城主直虎」です。遠州井伊谷(いいのや)が舞台ですから、わたしの故郷浜松では、昨年から話題となり盛り上がっているようです。が、実はわたしは初耳でした。井伊谷、井伊谷宮は有名で、浜松の人で知らない人はいませんが、「直虎って誰よ、それ」が正直、最初に思ったことでした。浜松の友人、浜松出身の知人も同じ答えでした。
 この大河ドラマには原作がないそうです。井伊直虎は井伊家22代当主直盛の一人娘です。徳川家康を支え続けた、徳川四天王のひとり、井伊直政の養母であり、井伊家の男が次々と戦死・殺害される中、幼少の直政を後見人として養育しつつ、女城主として井伊家を救いました。龍譚寺(りょうたんじ、写真右)で出家した際は「次郎法師」と名乗っていました。その後直政は関ヶ原の戦いで活躍し、息子直継の代に彦根城が築かれます。彦根井伊家からは幕末の直弼ら、5人が大老職を勤めるなど、江戸時代をとおして徳川幕府を支えました。
 この度初めて知ったことは、井伊家の始まりは約1000年前、平安時代の西暦1010年に龍譚寺門前、井伊谷八幡宮の井戸から誕生した言われる共保(ともやす)公が初代ということです。井戸の傍らに捨てられていた、という説もあります。井伊家は遠江で600年、近江にて400年続いたことになります。もちろん、今も続いています。そして龍譚寺は井伊家の菩提寺です。

 今回は彦根城すぐ近くの「さわ泉(さわせん)」のお菓子を取り上げます。
 わたしは8年程前からヨガを習っています。そこで知り合ったばかりの友人美代子さんが拙稿を読んでくださって、「和菓子大好きです。和菓子ツアーをしましょう。彦根城のすぐ近くにある、さわ泉のおすましのぜんざいをご存じですか?」「おしるこではなくて?」「ぜんざいです」「行きましょう」とその場で決まり、同じく読んでくださった康子さんと共に、話が出てわずか5日後の12月23日、天皇誕生日に決行となりました。一度行きたいと思っていた彦根城でしたから、とても楽しみでした。昼ごろJR彦根駅に集合して、まず駅前にある美代子さんお勧めのちゃんぽん亭で腹ごしらえ。冷たい雨がパラついていましたが、おいしいちゃんぽんで心身ともにほっこりして、いざ彦根城へ。美代子さんは4回目とのことで、色々説明してくださいました。この時、康子さんが「彦根は地元なの」えっ?と驚くわたし達。ご実家がすぐ近くにあり「彦根城は庭よ」にはビックリしました。

 お堀を廻って入口につくと、ゆるやかな坂と階段をのぼります。これは彦根山を利用して築かれた平山城だからです。天守まで50mの高低差があるそうです。天守は1607年に完成したと考えられているので、今年は築城410年にあたります。ちなみに全国的に有名なひこにゃんは築城400年の時に、彦根市のマスコットとして誕生しました。ちょうど、ひこにゃんが出勤していて、かわいい仕草で歩いたり、ポーズを決めたりするのを見ることができました。平成8年には築城以来5回目の大改修が完了したとのことですが、美しい姿を今にとどめているのに感動しました。国宝の天守をもつ城は、ここと松本城・犬山城・姫路城・松江城の5つだけです。敵から守る城ですから、銃口が外から見えない仕組みや、人が2人隠れることのできる隠し部屋などを見ることができました。

 いよいよツアーの目的である、さわ泉に行きました。お城のすぐ前にあります。まず、お勧めの殿様ぜんざいを注文しました。粒あんが形を残してやわらかく炊いてあり、汁は本当におすましでした。こんがり焼いたお餅もおいしく初めて経験するぜんざいでした。メニューにあるお団子も気になり、続いて生醤油のお団子を頼みました。お店の人に「焼きたてあつあつと、少し時間がたってもちもちしたのと両方お楽しみください」と言われました。確かに違う感触でしたがどちらも美味しかったです。

 もうお腹いっぱいでしたので、お土産に「赤備え」という羊羹を購入しました。初めて聞くことばでしたが、朱色の甲冑のことです。井伊家の代名詞といわれ、合戦の際には藩主から足軽にいたるまで、朱一色の武具・甲冑、旗差物を身につけ勇猛果敢な戦いぶりで「赤鬼」と恐れられたということです。元々武田信玄の採用した千騎ほどの精鋭部隊が身につけたのが始まりとされ、真田、井伊と受け継がれました。ひこにゃんがかぶっている兜も朱色です。このお菓子は羊羹の表面を乾燥させ、甲冑の堅さを表しているそうです。こういう羊羹で有名なものに、佐賀の小城羊羹がありますが、この「赤備え」はもっと甘みが少なく上品なお味です。さわ泉は現在4代目、おふくろの味をベースにしたお菓子づくりをしています。近江米等、地元の材料を使い、もちろん自家製餡です。
 今まで、わたしをお菓子ツアーに誘ってくださった方はひとりもいませんでしたから、お二人には感謝です。「第2弾はどこにしましょうか、桜の季節にまた彦根城に来ましょうね」と話しています。

 ところでこのツアーの少し前、「京都東山にある井伊美術館が直虎は男だった可能性を示す史料を発見した」との記事を毎日新聞で見つけました。井伊家の一人娘が出家して次郎法師となりましたが、いとこにあたる別の井伊次郎という人物がいて、そちらが直虎を名乗ったという新史料だそうです。直虎については史料が極端に少ないとのことですから、これから研究が進むかもしれません。わたしが直虎の名を聞いたことがなかったとしても、不思議ではないようです。

【参考文献】

  • 彦根城しおり
  • さわ泉しおり

【参考サイト】

(2017.1.24 高25回 堀川佐江子記)