第55回:上京茶会と虎屋の「唐衣」

 上京区に暮らす親しい友人より、上京茶会に行く話をよく聞いて、私も一度行ってみたいと思っていました。昨日、念願かなって行って来ました。上京茶会とは、茶道に親しむ機会にと、上京区文化振興会と同区が約半世紀前から実施している市民のお茶会です。春と秋の2回、市内の寺社を会場とし、春は表千家、秋は裏千家が担当します。

 昨日は北区紫野にある大徳寺の塔頭・芳春院で開催されました。芳春院とは前田利家の妻・まつが建立し、まつの法号でもあります。お茶券は上京区役所にて4月20日から売られました。友人が朝9時20分に行って入手してくれました。1枚千円で本席と副席に入ることができます。
 昨秋、拙稿第50回「大徳寺大仙院での座禅体験」に書いたように、同じ大徳寺大仙院で座禅をしてから半年ぶりの大徳寺です。大仙院のすぐ北側、一番奥まった所にある芳春院には12時半前に到着しました。中に入れない人で外に列ができていましたので私も並びますと、係員に「2時間待ち」と言われギクリとしました。係の人は1回35名ずつの茶席と言い、お茶券は前売り180枚、当日券30枚、総数410名と言うのでどういうことかと尋ねたら、残り200枚は表千家と上京文化振興会が配っているということでした。運よく15分ほどで中に入ることができました。門のところで、お茶券の本席部分を切り取られ、358と書かれた番号札を貰いました。

 庫裏を通り過ぎ、特設の荷物棚にカバンを置き、下足番に下足札を貰い、茶席のために調達した白ソックスを履いて上がりました。下足番をされていた二人の年輩のおじ様は、表千家の偉い先生だそうです。待合は広い座敷でした。ぎっしり詰めて自由に座りますが、私たちは池と庭が見える場所を取りました。五月の風がちょうど気持ちよく、池のほとりに咲く杜若なのか菖蒲なのか区別がつかない花や、向こうに見える楼閣を眺めながら過ごしました。30分ほどで1組35人が呼ばれ、次の30分で順番が来ました。

 通された部屋は茶室というより、細長い座敷でした。コの字に35人が並んで座り、亭主が点前座に着くと、半東さん(茶の湯で亭主を補佐して茶事を手助けする人)が「ようこそ」とご挨拶され和やかにお茶会が始まりました。先ほど見えた楼閣は呑湖閣と言われ、金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺)と並んで京の四閣と称される、とのお話をされていると、袴を着けたお兄さん達がお菓子を運んで来ました。正客と次客のみ小ぶりの盆にお菓子がひとつ運ばれましたが、その他大勢は五人分が一つの盆でした。向こう側のお菓子は緑色のお饅頭でしたが、こちら側は紫でおやっと思ったら、二色に染め分けられたものでした。半東さんは「お菓子をどうぞ」と言って「虎屋の薯蕷饅頭です。銘は唐衣です」と言いました。ああ、池のほとりに見えたのは杜若だったのです。これはもちろん、在原業平の『伊勢物語』第9段に出て来る有名な歌「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもう」にちなんだ銘です。虎屋のホームページには文政13(1830)年の史料に光格上皇から御銘をいただいたことが記されているとのこと、恐れ入りました。気持ち大ぶりの薯蕷饅頭で、中は御膳あん。こし餡とどう違うのかわかりません。虎屋に問い合わせると、「こし餡と同じです。」「今年の発売はなく、ご注文があればお作りいたします。日本橋三越の催事でのみ販売します。」ということでした。写真は茶室では撮影ができませんでしたので、虎屋のホームページより拝借しました。

 お菓子にばかり気を取られていたので、お坊さんのような正客と半東とのお道具にまつわる問答のやり取りをよく覚えていませんが、茶碗は黒樂茶碗で樂家のものでした。もちろん、私たちその他大勢の点て出しは画一のただのお茶碗です。待合にあった、毛筆で書かれた「会記」をメモしなかったので、友人が今日、わざわざ上京区役所に問い合わせてくれました。樂茶碗は「十三代惺入作」とのことでした。皆さんが席を立たれると床の間が見えて、お花は杜若が生けられていました。そこにはきりりとした空気が漂っていました。
 上京区には表千家、裏千家、武者小路千家があり、樂家もありますから上京茶会というのでしょう。他の区では茶会はありません。

 続いて、副席に移動しました。白砂を敷いた庭に面した縁側でイス席のお点前、つまり立礼(りゅうれい)でした。正座から解放されてほっとしました。お菓子は大徳寺のすぐ脇にある松屋藤兵衛の「紫野松風」。これは大徳寺で催される上京茶会ではよく使われるようです。拙稿の第43回「味噌の仕込みと味噌松風」にも取り上げました。大徳寺納豆(浜松の浜納豆とよく似ています)が表面に乗り、生地に白味噌が入ったもっちりしたカステラです。立礼なので、銘々皿に松屋藤兵衛の懐紙が敷かれ、その上に一切れずつ乗って配られました。皆さん、手で持って召し上がっていました。本席でも楊枝をお持ちでないのか、虎屋の高級饅頭を手でそのまま口に運ぶ人が多くいて、なんと気軽なお茶会かと思いました。お茶はこれも友人が調べてくれて、本席が柳桜園、副席が一保堂のものでした。京都で双璧と言われるお茶屋さんです。お道具を拝見する間もなく、ぞろぞろと交代です。

 外に出ると2時半。2時間待ちではなくて、2時間かかりますということでした。せっかくなので、南隣の大仙院を拝観することにしました。参拝者は少なく、西洋人のカップルとフランス語をしゃべる家族4人連れがいたのみで昨秋とは打って変わって静かな禅寺でした。
 ちょうど、先代の名物和尚・尾関宗園師が何冊もあるご著書の前に座っていらっしゃいました。私を見て、「きれいなお嬢さん」と言われたので、だいぶ目がお悪いのではと思いました。そういえば、2週間程前に東京の孫を訪ね、幼稚園のお迎えに行った折、女の子が近寄ってきて「だれのママ?」と言うではありませんか。なんていい子、つい抱きしめたくなりました。どちらも同じ深い帽子を被っていましたから、顔が見えなかったのでしょう。昨秋いただいた大仙院のお茶は三福茶と言って3回いいことが起こると言われました。あのとき、懐かしい人と遭遇し1つ目のいいことが起こったと思いました。これが2回目と3回目のいいことなんだわ、と思って大徳寺を後にしました。

【参考サイト

(2018.5.7 高25回 堀川佐江子記)