第50回:大徳寺大仙院での座禅体験

 4年ほど前からお世話になっている銀行の催しで「シルバーカレッジ」というのがあります。文字通り、シルバー=高齢者を集めて、セミナーを開くのですが、内容は第1回、資産をどう守るか。当銀行にお任せください。2回目は老後の住まいをどうするか。より便利なところへ住み替えるか、いっそ自宅を処分して高齢者住宅に移るか、サービス付き高齢者住宅といっても色々種類がある、等々、老後問題を突きつけられているようで、正直気が滅入りました。ところが第3回は10月19日、大徳寺の塔頭「大仙院」での座禅の会でした。これに参加したくて、前の2回を我慢して出席した次第です。

 北区紫野にある大徳寺は広大な敷地を持つ臨済宗の禅寺で、一休宗純、千利休と関わりがあったことでも有名です。境内には20余りの塔頭があり、その中でも屈指の名刹「大仙院」が今回の座禅の会場でした。さほど広くない和室の道場に座布団が二つ折りにしてずらりと4列、100枚程並べられていました。住職の指導で、おしりを乗せ、あぐらをかきます。正しくは組んだ足を太ももの上に乗せる(ヨガの基本ポーズと同じです)のですが、無理をしてはいけません。両手は4本の指を左右から重ね、残った親指同士をつけて輪っかを作ります。それを下腹部まで下ろします。目はつぶるのではなく、半目。まず正面を見て、視線を下に落とします。ここで、頭の中を無にして瞑想開始。といっても、無になんてなれません。そういえば、この銀行の前支店長さんが、「高校の修学旅行で大徳寺に来て、とても影響を受けた和尚さんがいたので、京都勤務になった今、度々訪れて座禅をしている」と言ってたなあ、などと思い出していました。
 和尚さんが持つ棒を警策といいます。これで、叩いてもらいたい人は、合掌して頭を下げて待ちます。和尚さんが前に来たら、双方頭を下げて挨拶し、こちらは更に頭を下げて、パパンっと左肩より背中の方を2回、次に右側を2回叩かれます。ハッとする痛さですが、気持ちがスッとするから不思議です。
 ただ、一堂に80名もの人がいましたから、合掌して前傾姿勢で待つのに疲れ、和尚さんが私の列に来るまでは、背筋を伸ばして待ちました。座禅は時間にして30分。これはお線香1本が燃え尽きる時間で昔から30分なのだそうです。和尚さんが、「こんなにも多くの人を叩かせてもらったのは初めて」と話されたとき、一同に笑みがこぼれ、張り詰めた時間が一気に和みました。私も長く待たされたわけです。

 それから、和尚さんの説明を受けながら室町時代随一といわれる枯山水の庭園、方丈、襖絵等、お寺の見学となりました。永正6(1509)年、今から500年も前、大仙寺開祖の大聖国師の作庭とのことです。日本最古の「床の間」「玄関」をもつ方丈は国宝です。千利休が秀吉をお茶でもてなした部屋まで残っていて、障子を開けた時には緊張しました。庭も建物内部もきれいに掃き清められ、すがすがしいお寺です。枯山水は滝や川、大海をすべて白砂で水流を表現します。それは禅の思想の影響ですがしおりによると、室町中期には貴族、大名の権威が失墜するとともに経済的にも逼迫し、従来のような規模壮大にして自然のままを取り入れた庭園(大覚寺・嵯峨離宮の庭園、西芳寺の苔庭、金閣寺の庭園等)を造営することが困難となった、ということです。今まで考えたことのなかった視点で、少々意外でした。

 その後、お茶の接待を受けました。お茶席というわけではなく、順番に懐紙を渡され、お菓子を一つずつ貰って、4畳半ほどの部屋に入りました。年配の女性が二人、10個くらいの茶碗に抹茶を入れ、釜にかかった柄杓でお湯を入れると、どんどん点てていきます。客はテーブルを囲むように座って待ち、順番にお菓子を頂いてお茶を飲み干します。お菓子はシナモンがかかった小ぶりで白あんの美味しい焼き菓子でした。その部屋を出ると、「覚悟」と書かれた板が目に入りました。「今飲んでいただいた大仙院のお茶は三福茶といい太閤秀吉もこのお茶を飲んでから良いことが三回続いたと言います覚悟してください」つい笑ってしまいました。

 続いて、写経です。先ほどの座禅会場に戻ると、小机が並べられ、その上に1枚ずつ写経の紙が置いてありました。拙稿第33回「都をどり」と花見団子に書いた、お茶席でもらう豆皿に墨汁が入り、写経用小筆が用意されていました。実は般若心経を写経するのは初めてです。送迎のバスの時間を気にしながら、ギリギリまで粘りましたが、とても全部は書ききれず、後から送るため、丸めて持って帰ることにしました。なんとも盛りだくさんの企画でした。

 急ぎバス乗り場に向かうため、外に出ると、大仙院を出たすぐの角になんと、あの前支店長さんが同僚らしき女性と立っていたのです。一瞬ぽかんと見上げてしまいました。2年半前に東京本店に転勤となり、その後転職されたと聞いていましたから、もう会うことはまずない人でした。私がしげしげと見て「丹野さんですね」と言うと、あちらもかなり驚いていました。「今、思い出していたところなんですよ。お会いしたかったです」と握手。なんでも4時半に和尚さんとアポを取っていたが次々に人が出て来るので、外で待っていたそうです。影響を受けた和尚さんというのは、先代の住職で『いま頑張らずにいつ頑張る!』等の著書で有名な尾関宗園師のことでした。不思議な偶然に仏様のお導きのような気がしましたので、良いことの一つが起こったと思いました。

 お茶と一緒にいただいたお菓子は「千瓢」という名前で、お寺の売店でも売っていました。秀吉の馬印「千成瓢箪」から取った銘でしょう。作っているお店の名をたずねると、「梅月」とおしえてくれました。浜松で一番有名なお菓子屋さんと同じ名前ですが、京都では聞いたことがありません。帰宅後しらべると、電話番号がわかりましたので早速電話して、場所を聞き、翌日出かけました。昔住んでいた右京区に近く、第49回JR京都伊勢丹創業20周年「紅白饅頭」と北浦接骨院で書いた北浦さんにも近い円町、つまり西大路丸太町を上がって西に入ったところにお店はありました。なんと、店舗はなく普通の住居で「お菓子屋」という幟を立て、「小売りします」と貼り紙がありました。「千瓢」8個入りが大仙寺の売店の半額200円で売っていました。大仙寺に納入するようになったのは35年前、その近くの和菓子屋に納めていたところ、和尚さんが気に入っていると聞き、直接お寺に持ちかけたということです。修学旅行生が多いから一日に600個納めることもあるそうです。
 もう一つ驚いたのがここは卸専門で、大仙寺のほかに5つの和菓子屋さんに納めているそうです。和菓子屋さんではすべてを自前で作るのは大変なので、販売する種類を増やすため、このようなところから仕入れるのだそうです。今まで、まちの和菓子屋さんは日持ちするもの、しないもの全部自前で作っていると思っていました。あんこを自前で炊いているのは全和菓子屋さんの1割と聞いたことがありますが、製品そのものを仕入れているとは。こういう卸屋さんも自分の店舗を持って小売りするより、大口で卸す方がいいのでしょう。

 あれから約ひと月。三福茶の良いこと2つ目、3つ目はこれからのお楽しみといたします。

大仙院【参考文献】

  • 大仙寺しおり

【参考サイト

  • 大仙院
  • 京都の旅 現在、大仙院は撮影禁止ですので、2011年に撮影された方の写真を使わせて頂きました。

(2017.11.12 高25回 堀川佐江子記)