第48回:八朔と赤福の「朔日餅」

 今回のタイトルにある「八朔」は、柑橘類の八朔ではなく、旧暦八月朔日(ついたち)の略で八月一日のことです。京都では、この日、花街(かがい)の芸舞妓が芸事の師匠やお茶屋に「よろしゅうおたの申します」とあいさつ回りをする日です。翌日の朝刊には必ず写真が載ります。12月13日の事始めのことは、拙稿第7回「花街の事始めと試みの餅」で書きましたが、年に2回、新聞で芸舞妓さんの美しい写真が見られます。
 八朔は新暦では8月下旬から9月中旬までに当たります。台風や病害虫の被害を被ることが多いため、風雨を避け、五穀豊穣を祈る行事がありました。また、そのころ早稲の穂が豊かに実るので、農家ではその初穂を神前にお供えし、お世話になった方に送る風習があったと言われています。稲(田の実)を祝い、頼み事をしたので、「たのもの節句」とも呼ばれました。今日のお中元の始まりとも言われています。京都の事始めのあいさつがお歳暮の始まりともいわれますから、芸舞妓さん達はどちらも大切な行事として続けているということです。

 ところで、伊勢には「朔日参り」という風習が今も息づいています。無事にひと月を過ごせたことを神様に感謝し、新しい月もどうか健康でありますように、と手を合わせます。朔日参りの朝、赤福本店ではお参りを終えた参拝客を月替わりの餅でお迎えするのです。「朔日餅」といって、毎月一日に販売する月替わりの餅です。伊勢の本店で、毎月一日のみ朝の4時45分より売られます。
 古く伊勢では五穀のうち、米や粟の新穀の初穂を神前にお供えし豊穣を祈りました。それで「朔日参り」の中でも、八月一日はとくに「八朔参宮」と呼び、外宮、内宮に参拝者も多いのです。参宮のあとは、稔った粟で作った餅を食べるのが、伊勢人にとっての楽しみであったようです。
 赤福では八朔の粟餅を、赤福餅と同じ形で、あんは昔ながらの黒糖味で作っています。今年4、5月の伊勢菓子博で復刻版赤福として売られたあの黒糖味でした。中の粟はもち米ともち粟をしっかり搗いた餅で、京都の北野天満宮のあわ餅より固めでした。
 「朔日餅」は元日を除く毎月一日の販売で、発売開始は昭和53年とのことです。伊勢の本店で購入するには、大変ハードルが高く、前泊しないと無理です。しかし有難いことに、前月一日より中旬頃までに、愛知県や大阪の各百貨店で予約ができるのです。出向いて予約券をもらっておけば、一日正午から夕方6時までに予約券と引き換えにその百貨店で購入することができます。電話では受け付けないので、大阪まで予約に行き、私が入手できたのは3月の「よもぎ餅」と今月の「八朔粟餅」だけです。
 拙稿第46回で取り上げた仙太郎の「月一餅」は、赤福の「朔日餅」とよく似ているので、モデルとしたのか仙太郎に聞いてみましたが、「え~?赤福にそういうのがあるのですか」との答えでした。

 八朔で思い出すのは、高校1年の時、現代国語を習った榎本良治先生です。拙稿第16回に書きましたが、百人一首の札取りをさせた先生です。授業で萩原朔太郎の詩を習ったとき、「朔」の意味は?と質問されたのです。誰も答えられませんでした。「朔」は「ついたち」の意味。朔太郎は一日に生まれた、と言われました。今回初めてしらべてみると、明治19(1886)年11月1日生まれ、長男ということで朔太郎と命名されたようです。そのとき、八朔は八月一日のことと教わりました。
 瀬戸内海、因島が発祥である柑橘類の「八朔」は旧暦の八朔のころ食べられるということで名付けられたという説があります。しかし、この季節まだまだ小さな青い実ですから、とても食べられたものではありません。やはり、八朔粟餅がいいです。

【参考文献】

  • 赤福「朔日餅」しおり、「八朔粟餅」ご挨拶

【参考サイト

(2017.8.4 高25回 堀川佐江子記)