第85回:祇園祭宵山の「行者餅」とお稚児さん

 7月16日、祇園祭宵山のこの日だけ発売される「行者餅」があります。京都の人が祇園さんと呼ぶ八坂神社の南、東山安井にある「柏屋光貞」のお菓子です。「京都暮らしあれこれ」では第4回第56回で祇園祭を取り上げましたが、今回はまた違う角度から祇園祭を見てみます。

 40年も前から「行者餅」の存在は知っていましたが、なぜかいつもうっかりして買いそびれていました。今年こそはと思い、13日にお店に電話して「まだ予約できますか?」と伺うと、大旦那さんが出られ「もう10 年ほど前から予約は受けておりません。当日いらしてください。」と丁重に言われました。8時半開店とのこと。これは開店前に行かんと、と思ったのですが、到着はちょうど8時半。考えが甘かったです。列は東大路から1本北の道を曲がり、さらに角を南に曲がり、コの字に延々と続いていました。10時の時に半分進んだかどうか?結局買えたのは11時半、3時間並びました。

 「行者餅」の由来はお店のしおりのまま書きます。
 文化3(1806)年の夏、今日の都に大疫病が流行し、ちまたは忽ち大混乱を来たしました。丁度、柏屋の先代が山伏として大峰山回峰修行中に霊夢を授かり、帰洛後、その夢中のお告げ物を造り、祇園祭の山鉾の中なる「役行者山(えんのぎょうじゃやま)」にお供えし故知縁者にも頒配したところ、その人々は悉く疫病から免がれ、無病息災の霊菓であると喜ばれました。その故事に倣って、これを「行者餅」と名付けて、毎年難修苦行の大峰山修験を終え、斎戒沐浴、独自の法をもって謹製し、年に一度「役行者山」巡行の前夜即ち、宵山一日に限り、発売するを佳例と定め、尊家の御繁栄を祈って、この霊菓を貢ぐことに相成りました。

 疫病退散を願う、無病息災の霊菓。とてもありがたいお菓子です。小麦粉を水で溶いたクレープ状の「ふのやき」に、白小豆と白味噌を加え練り上げ粉山椒を効かせた餡と四角い小さな餅を折り畳むように包んであります。行者の篠懸(すずかけ、身に着ける麻の法衣)を模した形だそうです。山椒がピリリと効いた味噌餡は経験したことのないお味でした。

 1806年以来216年、戦中を除き発売して来ましたが、昨年は家族5人が新型コロナウイルスに感染し、6月下旬から味噌餡の仕込みを始め味を調えていたのに、100㌔の味噌餡は無駄になったそうです。
 そんな記事が京都新聞に載ったせいかどうか、3時間並ぶことになるとは思いませんでした。列の前の人が長刀鉾の粽を下げていたので聞くと、「福岡から来た。昨日の朝は粽が売り切れで買えず、今朝買って来た。行者餅は初めて」とのことでした。他に「6時起きして大阪から来た。8時前から並んで、2時間で買えた。一生に一度です。」という二人連れもいました。
 柏屋光貞さんでは6月に聖護院門跡により工房のお祓いと安全祈願のお祭りをしてもらい、行者餅が完全に終了した後は大峰山にお礼参りに登拝しているのだそうです。

 列に付いている時、八坂神社の南側門前、下河原通りにいたのですが、すぐ近くに先月親しくなったばかりのしらはぎ会の後輩の家がありました。高52回の川嵜裕子さんで、大学の後輩でもあります。小三のご子息が祇園祭巡行の時、綾傘鉾を先導する六人の生き稚児さんの一人に選ばれたと伺いました。翌17日の京都放送のTV中継を見ていたのですが、はっきりと確認できなかったので、画像は川嵜さんに提供していただきました。生きたお稚児さんが鉾に乗るのは長刀鉾だけと思い込んでいましたから、綾傘鉾にもお稚児さんがいることを初めて知りました。気温37.7度の炎天下、大人でも大変なのに長時間歩かれて本当に感心しました。

 そして拙稿第4回祇園祭にも書いたように、夕方6時頃からが祇園祭本番で3基のお神輿が八坂神社を出発し、4年ぶりに氏子地区全行程を回る神輿渡御・神幸祭が行われました。お神輿3基は御旅所に奉安されます。
 2014年より50年ぶりに本来の祭に戻り、17日は前祭(さきまつり)、24日が後祭(あとまつり)です。24日夜は神輿渡御・還幸祭でお神輿3基が八坂神社に戻ります。祇園祭は31日まで続きます。年々暑さがこたえる我が身ですが、今年の暑さは去年以上に感じます。「行者餅」の無病息災効果で、どうぞ元気に過ごせますように。

【参考文献

  • 「行者餅」しおり
  • 「宵山のみ販売『行者餅』今年こそ、東山の京菓子司」京都新聞 2023.7.13

【参考サイト

2023.7.24 高25回 堀川佐江子記)