第56回:祇園祭・屏風祭と菊水鉾の「したたり」

 拙稿第4回祇園祭では祇園祭の起源や、本来の祭は山鉾巡行ではなく神輿渡御であることを述べました。今回は別の祇園祭を書いてみます。

 2014年に祇園祭は50年ぶりに後祭(あとまつり)が復興し、17日が前祭(さきまつり)23基の巡行、24日が後祭10基の巡行となりました。祭を見物する楽しみには、山鉾巡行の前、宵山(16日)宵々山(15日)宵々々山(14日)と言われる期間、各鉾町に立てられた鉾・山を間近で見て、見事な懸装品(けそうひん)を鑑賞することがあります。巡行前夜の宵山、前々夜の宵々山は四条通や烏丸通の一部が歩行者天国となります。浴衣姿にうちわを手にした多くの人々で賑わい、埋まり、その様子は必ず翌朝の新聞に掲載され、例年、宵山の人出は20万人以上と発表されます。

 この期間のもう一つの楽しみに、「屏風祭」があります。「屏風祭」というのは鉾町の商家や旧家で、所蔵する工芸品や美術品などを飾り、親戚や知人などをもてなす習わしがあり、屏風飾りとも言われます。いくつかの個人宅や店舗では、祭見物に訪れる一般の人にも公開しています。秘蔵の品を見られる貴重な機会です。
 京都で暮らし始めた40年前には、屏風祭とも分からぬまま、四条室町界隈の商家が夜、座敷の格子戸をはずし電灯を煌々とつけ、通りからよく見えるように屏風を飾っているのを眺めて歩いたものでした。あれが祇園祭のひとつ屏風祭と知ってからは、あえて見に行くこともありませんでした。

 今回知人より杉本家住宅の「祇園会屏風飾り展」の招待券を頂戴しましたので、7月15日に行って来ました。杉本家住宅というのは拙稿第26回和菓子のお稽古「錦玉」作りと渋沢栄一、で書いた和菓子のお稽古の会場になっていたお宅です。2010年に重要文化財となり、京都で最大級の町屋として有名です。それのみならず、祇園祭の伯牙山を持つ町内にあり、毎年ここが山に乗せる人形や山を飾る懸装品を展示する「会所」となっています。
 その日は三連休の中日、一番気温が上がるだろうと予想された日でした。公式記録が38.7℃。寒暖計を見るのが大好きな私ですが、昼前にベランダの日向が48℃を示しており、私の寒暖計史上初の出来事になぜかうれしくなってしまいました。でも昼間出かける気になれず、夕方5時頃行きました。宵々山の日曜日ということで、すでに多くの人が繰り出し、地下鉄四条(烏丸)駅から地上に出るまでも列になり、四条より一本下(しも)の綾小路は片側に露店が並び、浴衣を着た人の波で動きにくくなっていました。

 杉本家に着くと、裸足、パンストは不可なので持参したソックスを履いて上がります。クーラーのある部屋は年代物のピアノのある応接間のみで、他は各部屋に扇風機が回っていました。部屋の室礼(しつらい)はハレの日仕様となっており、2箇所に祇園祭にちなんだ檜扇が美しく生けられていました。左の写真は別のものですが、葉が扇のように開いて先端に花を付けます。しかも普通見かけるものと違い、大きくて立派な檜扇でした。檜扇は厄除けの植物として扱われており、祇園祭の目的が悪霊退散、疫病封じなので祇園祭の花とされています。
 屏風の数々はそれはそれは見事でした。一番の目玉は俵屋宗達の「秋草図屏風」です。金箔の上に描かれた秋草の図は、昔の行燈のほの明かりで愛でたであろうと思われる飾り方でした。夏の宵らしく、灯りを落とし、夕闇せまる中、座敷に飾られた美術品は美術館の照明の下、ガラス越しに鑑賞するものと違い、大店の商家の所蔵品を現在もそこで暮らしているお宅の生活空間で見せるということに、杉本家の人々の並々ならぬ努力と意気を感じました。また、庭園は国の名勝指定を受けており、そこに面した廊下には氷柱が置いてありハッとする美しさでした。撮影は不可なので、今年の案内チラシと、檜扇はいけばな嵯峨御流の画像をインターネット上から拝借しました。
 また、表の間(見世の間)は前述のとおり、伯牙山の会所になっており、山の上に置かれるご神体の人形、山の前後側面を飾る懸装品の前掛、胴掛、見送(みおくり)が展示されていて、こちらは無料で見ることができます。

 さて、今回取り上げる祇園祭にちなんだ和菓子は「したたり」です。これは菊水鉾の為に40年ほど前、亀廣永が創製したお菓子です。
 四条室町上ルの菊水鉾は、中国故事にある菊の露のしたたりを飲んで、700歳の長寿を保ったという能楽「枕慈童(観世流では菊慈童)」から題材を取った鉾です。山と鉾の違いは大きさに関係なく、てっぺんに木があるのが山なのだそうです。
 菊水鉾の会所のあるマンションには、近年まで金剛能楽堂が建っていて、敷地内には洛中名水のひとつ「菊の井」という井戸がありました。この菊の井の名水にちなみ、八坂神社の宮司であった高原美忠氏が「したたり」と命名しました。
 7月13日から16日までここの会所では、お茶席が設けられ、お薄と共に「したたり」が出されます。そして、「したたり」を乗せる銘々皿は毎年色が変わり、お土産として持ち帰ることができます。4月にある「都をどり」や「鴨川をどり」のお茶席のお皿と同じです。ちなみに祇園祭で一般向けにお茶席があるのは菊水鉾のみです。

 亀廣永の二代目、西井新太郎さんのインタビュー記事によりますと、1970年頃、菊水鉾の為のお菓子をと言われて、考えたのが「したたり」の始まりだそうです。名水「菊の井」の清涼なしずくをイメージしています。当初は祇園祭の時だけに作る菓子だったのが、茶席で召し上がった方から土産に欲しいという声をいただいて、通年作るようになったということです。

 波照間産黒糖を使った寒天菓子ですが、程よい弾力があり、口に入れたらほろりと崩れる食感は炊き方の工夫にあるのだそうです。くどくないのは阿波最高級の和三盆、上質なざらめを用い、腰のつよい丹波産の寒天等、選び抜いた素材を使っているからでしょう。一番重要なのが「水」。「同じ材料・製法でも京都の地下水を使わんとあかんのです。」とはご主人の言葉です。透ける感じが涼やかです。
  杉本家住宅で和菓子のお稽古をしましたから、暑い夏に寒天を長時間煮詰めるのは苛酷な作業であることは身をもって体験しました。

 杉本家で屏風飾りを見学した後、さほど遠くない菊水鉾のお茶席に行こうと思いましたが、人の波で四条通まで上がることすらできず、あきらめて地下鉄に乗って帰宅しました。写真の「したたり」は20年来使っている化粧品会社の社長Mさんが、拙宅にいらした時の手土産です。Mさんによると、お茶席券は2000円だそうでびっくりしました。お皿が欲しいならともかく、まあいいか、とあっさり諦めがつきました。

 祇園祭はいつもうだるような酷暑の中で行われるので、ことの起こりが疫病退散を願った神事であることはよく理解できます。それにしても今年の暑さは尋常ではありません。1994年の猛暑のことはよく覚えていて、あの夏、日向の寒暖計が45℃を示したのを見てから、わたしの寒暖計フリークが始まったように記憶しています。今年はそれを上回りました。俄然元気が出ているわたくしです。昨日7月19日の京都の最高気温は39.8℃を記録し、とうとう日本一になりました。しかしです。外の寒暖計を見るのを忘れてしまったのです。50℃に近かったのではないかと想像しますが、もちろん、そんな日がまた来てほしいなんてみじんも思っていません。

【参考文献

  • 井上由理子 「京の祭とお菓子」『京都の和菓子』学習研究社 2004.
  • 「祇園祭特集2018」京都新聞 2018.7.10

​【参考サイト

(2018.7.20 高25回 堀川佐江子記)