第84回:トロントの「カーサ・ロマ」とモントリオールの「聖ヨセフ礼拝堂」

 外務省の水際措置が変更されて、5月8日より新型コロナウイルス検査の陰性証明も3回のワクチン証明の提出も不要となり、以前のように海外渡航ができるようになりました。それで5月22日から6月1日まで、またNYへ行って来ました。今度は地下鉄もよく利用して、マンハッタン島内だけですが、少し遠いところへも一人であちこち出かけました。

 5月最終月曜日、29日はメモリアル・デー(戦没者将兵追悼記念日)といってアメリカの祝日でしたので、娘が26日(金)のみ休みを取り、カナダのトロントとモントリオールに小旅行をしました。
 トロントではカーサ・ロマ(Casa Loma)に行きました。スペイン語で「丘の家」の意味です。カナダ陸軍の少将で、ナイアガラの滝を使い水力発電で財をなし、さらに投資が成功して大富豪となったヘンリー・ミル・ペラット卿(1859-1939)が建てた中世ヨーロッパの古城のような大邸宅です(画像はHPより拝借)。1911~14年に4年もの歳月と350万ドル(当時)をかけて建設されており、部屋数98、内装、外観から庭園まで全てが豪華でした。この頃には珍しいエレベーターやシャワー、水洗トイレがありました。3階が軍事博物館のようになっていて不思議に思ったのですが、ぺラット卿はQueen's Own Riflesという歩兵連隊の少将だったので、ライフル銃の数々や軍服・制帽や地図を展示していたのです。カナダの国防軍というより、イギリス本国を向いていて女王陛下の軍隊でした。塔に登るとトロント市内が一望できる眺めでした。
 しかし、莫大な建築費、第一次大戦後の不景気による投資の失敗、そしてトロント市に多額の寄付をしていたにもかかわらず、住民税が年$600から月$1000に引き上げられ、ぺラット卿は10年しか住むことができませんでした。地下のプールになる予定だった場所が資材不足で未完成となり、映画室になっていました。ぺラット卿の生涯を10分ほどで紹介する映画が上映されていたので見ると、大富豪から破産して文無しに転落した激動の人生に愕然としました。地上の邸宅に戻り、お城を後にして丘を下る時、前回の渡米で訪れたロックフェラー邸のことを思い出しました。

 夕方の飛行機でモントリオールに移動しました。ケベック州にあり、州の公用語はフランス語だけです。街の表記はフランス語で、たまに英語を見かけるくらいでした。ホテル近くのノートルダム大聖堂のステンドグラスに見とれ、青い灯りに照らされた内部は息をのむ美しさでした。

 最終日29日はモントリオールでもう一ヶ所行きたかった「聖ヨセフ礼拝堂」Saint Joseph's Oratory of Mount Royalに向かいました。ここはカナダの守護聖人・聖ヨセフ(マリアの夫)に捧げる目的の建物でモントリオールの最高地点にあり、眼下にモントリオール市内を見渡せます。アンドレ修道士(1845~1937)が神学校の門番つまり雑用係を務めつつ、訪れる病人や悩みのある人の話を聞いていたそうです。ある時、同僚の修道士が足に壊疽を患い、切断の危機にさらされるということがありました。アンドレ修道士は聖ヨセフ像の前のランプの油を患部の足に塗り、聖ヨセフに祈ったところ、同僚の足は癒され治ったというのです。その噂はまたたく間に広まり、「奇跡の人」と言われたアンドレ修道士は巡礼に訪れる人々を受け入れ、香油を塗り、共に聖ヨセフに祈り、癒しをもたらしたそうです。それで歩けるようになった人たちの使われなくなった杖や松葉杖がうず高く何ヶ所にも奉納されていました。子供用の松葉杖もありました。

 元々1904年に建てられたのは小さな礼拝堂でしたが、信者らにより何度か建て替えられ、北米最大級といわれる礼拝堂が完成したのは1967年でした(左上の画像はネット上より拝借)。2010年にはローマ教皇ベネディクト16世により「モントリオールの聖アンドレ」として列聖されました。今では年間200万人もの人が訪れるそうです。元の小さな礼拝堂はすぐ近くに移築されていて見学できました。4.5×5.5mの礼拝堂は祭壇の左右にこれ又たくさんの松葉杖が奉納されていました。2階はアンドレ修道士の住まいになっていて、小さな机・椅子とベッド、小さなコンロ、聖書くらいしかなく、ここまで清貧な暮らしをしていたのかと絶句しました。病弱だったアンドレ修道士だったそうですが91歳の天寿をまっとうしたとの事です。

 丘から降りて、すぐ近くのレストランでランチをしました。お菓子屋とパン屋を兼ねていて、お食事もできました。スモークドサーモンのエッグ・ベネディクトと、ケーキは修道士を形どったコーヒー味シュークリームにしました。

 トロントのカーサ・ロマでは大富豪ペレット卿の城とその後の没落。モントリオールのアンドレ修道士は粗末な小屋での暮らしと祈りに生涯を捧げ、死後信者たちにより壮麗な礼拝堂ができた。あまりにかけ離れた二人の人生を思い、考え込んでしまったカナダへの旅でした。

日本に戻って、1ヶ月。この原稿を書いているとき、ふと自分の左膝に1年半も抱えていた痛みが消えていることに気がつきました。まさか、聖ヨセフとアンドレ修道士のご利益でしょうか?

2023.7.1 高25回 堀川佐江子記)