第81回:ロックフェラーの邸宅見学とHARNEY & SONSの紅茶

 2022年10月11日より水際対策措置が緩和されることになり、「ワクチン3回接種証明があれば帰国時の検査なし、公共交通機関不使用も求めない」と発表されたのは9月26日でした。それで、10月17~27日まで3度目のNYに行って来ました。初めてJFK空港から全く一人でタクシーに乗り、娘のアパートまで行きました。

 今回とくに印象に残ったのは、郊外電車に乗り、ロックフェラーの邸宅のあったカイカット(Kykuit)に行ったことです。グランドセントラル駅からメトロノース鉄道ハドソン線に乗り、ハドソン川沿いに北へ約40分、タリータウン(Tarrytown)駅で下車しました。この辺りはスリーピー・ホロウ(Sleepy Hollow)と言う地名です。映画ファンならお気付きかと思いますが1999年にティム・バートン監督、フランシス・フォード・コッポラ製作総指揮、ジョニー・デップが主演した「スリーピー・ホロウ」と言う映画がありました。
 タリータウン駅からタクシーで2、3分、カイカットのビジネスセンターに到着。ここから11時のガイド付きツアーに参加します。個人での見学はできず10数人でミニバスに乗り5分ほど、木々に囲まれた小高い丘にある邸宅に着きました。年配女性ガイドの詳しい説明はもちろん英語ですから適当に聞き流しました。というか、全部聞き取るなんて無理です。

 邸宅内は撮影不可でしたので、こちらをご覧ください。音楽室、ダイニングルーム等見学しましたが大富豪にしては豪奢な感じはしませんでした。リビングから見る遥か遠くの景観のために、ハドソン川対岸の土地全てを買い取った、と言う話に一番驚きました。カイカットはオランダ語だそうですので、しらはぎ会の先輩でオランダに長く滞在されていた間渕さん(高17回)に聞いてみました。オランダ語では"Kijkuit"とつづり、kijk=look、uit=outの意味で、"uitkijk"は見張りとか見晴らし台の意味があるので、「高台で見晴らしが良い場所」として名付けられたのではないか?と即答してくださいました。念の為申し添えますと、ニューヨークに最初に入植してきたヨーロッパ人はオランダ人でしたので、ニューヨークはニューアムステルダムと呼ばれていました。それでオランダ語の地名があるのではと思います。
 ロックフェラー邸の話に戻ります。建物自体は40室、それほど大きいとは思いませんでしたが地下の美術品を展示した部屋に、ピカソの絵、それを織り込んだタペストリーがズラリと並んでいました。マティスやアンディ・ウォーホルもあり、ロートレックの素描が4点、さりげなく飾ってありました。ロートレック好きの私は目をむいてしまいました。建物に比べ、庭園は広大で4000エーカー(500万坪)もあります。1箇所、スペインのアルハンブラ宮殿の水路みたい、と思ったらガイドがちょうど「それを模している」と話したのでびっくりしました。ゴルフ場も複数あるそうです。全体は見渡せませんでした。今まで経験した広大な庭園や屋敷は皆、王様のものでしたから、君主でもない人が暮らす邸宅、アメリカならでは、とふと思いました。
 ロックフェラー家は石油王、つまりスタンダードオイルの創設者で慈善事業家のジョン・ロックフェラーが初代です。この邸宅は彼のために建てられ、孫の代まで住居の一つだったようです。一族は金融業・軍事産業で財を成しましたが、初代の妻ローラが教師だったことと、夫妻が熱心なバプテストのキリスト教徒だったことから、莫大な富を教育・研究に寄付した、とガイドの女性が言っていました。アメリカでも桁違いの大富豪ジョン・ロックフェラーは人生の後半を慈善事業に捧げました。シカゴ大学の再建、ロックフェラー医学研究所(野口英世が研究していた所)等を作り、1913年ロックフェラー財団を創設しました。この屋敷でわりと質素な生活をしながらアメリカ中から舞い込む寄附の依頼の手紙を吟味していたそうです。ロックフェラー家は無駄金、つまり死に金は使わないという信念があったようで、前述のような教育・研究・医学の発展のために惜しみなく寄付をし続けたそうです。引き継いだジョン・ロックフェラー・ジュニアの夫人、アビー・ロックフェラーは現代美術にも造詣が深く、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の共同設立者となり、自身の邸宅のあったマンハッタンの53 St.五番街の土地を寄付してMoMAが建設されたそうです。
 カイカットつまりロックフェラーの屋敷・所有地は4代目、ネルソン・ロックフェラーによって国に寄贈され一般見学できるようになりました。ガイド付きツアーは3段階あり、私たちはクラシックツアーという2時間15分、$40のものでした。1時間半のハイライトツアーが$20、3時間のグランドツアーが$60です。私が渡米の日程を決断するのが遅かった為$20のツアーは売り切れていました。

 カイカットに出かけた翌々日、初めて一人で地下鉄に乗り、ぐんと南、ロウアー・マンハッタンにあるトリニティ教会に行きました。バスではあまりに時間がかかりそうなので地下鉄に初トライしました。
 トリニティ教会は地下鉄6番線、ウォールSt.駅から地上に出ると目の前に聳えていました。創立は1697年と古い歴史があります。ステンドグラスがとても美しかったです。9.11の時には多くの人がこの教会に避難して来たそうです。それを知ったのは帰宅後でしたので、すぐ近くに新しく建設されたワン・ワールドトレードセンターには行っていません。

 地下鉄の速さに気を良くして、次は北へ戻るのも地下鉄にしました。去年から気に入っている紅茶の店、ハーニー$サンズ(HARNEY & SONS)に行くためです。同じく地下鉄6番線で無事スプリングSt.駅で降りたのはいいのですが、ここで私は途方に暮れてしまいました。店の住所をメモして来なかったのです。今年の3月、NYに到着した日に娘に連れて来てもらったのですが、うろ覚えの道を歩いてもさっぱりわからず、何人もの人に聞いても「知らない」と言われました。私、何度も書いたように天才的な方向音痴なのに、空港でスマホのWiFiを繋ぐルーターをレンタルしなかったのです。大きな建物、駅、バスの中でもフリーWiFiが繋がるので、今まで何の問題もなかったからです。さて、どうするか?うろうろしていると本屋さんがあったので入り、レジのお姉さんにたずねるもやはり知らない。そこで厚かましくもそこにあるPCを指差して「住所を調べて貰えませんか?」とお願いしました。するとHARNEY & SONSで検索してくれて、すぐに433 Broome St.と判明。行き方も親切に教えてくれました。無事見覚えのある通りに出て、お店を見つけました。

早速、一番気に入っている紅茶、ホットシナモンスパイスのサシェ(ティーバッグでなく三角錐の袋)50入のお徳用袋を探しました。見当たらないので、店員さんに聞くと地下の倉庫に取りに行ってくれました。他にも2,3未知の紅茶を求め、ふと奥を見ると、前回はコロナで営業していなかったカフェスペースに人がいてお茶を飲んでいます。4テーブルしかなく満席のため、少し待って着席。迷うほどの茶葉の中からアイリッシュ・ブレックファストを選び、隣のカップルが食べていたスコーンが美味しそうだったのでそれを注文しました。随分時間がかかって運ばれて来たスコーンは出来立てでしたからきっと生地から焼いていたのでしょう。ほかほかして期待以上でした。紅茶はお店のロゴが入ったカップにたっぷり入って、こちらも私好みの味と香りでした。

 その帰り、もう一つ用事がありました。地下鉄でグランドセントラル駅に行き、一昨日買いそびれた孫たちへのお土産を買いたかったのです。が乗るべき路線の駅が分からず、適当に乗ったため目的地よりそれてしまい慌てて降りてひたすら歩くという失敗をしました。おかげで辿り着いたのは閉店3分後になり、悔しい思いをしました。
 白状すると、朝の地下鉄もすんなり行けた訳ではありません。最寄りの59 St.駅へ下りる階段が見え、入り口にDOWN TOWNとあったので、南に下がるからいいだろうとそのまま下りて行き、乗ってしまいました。車内WiFiが繋がったので娘に「無事乗りました」とLINEして顔を上げると、なんと77 St.駅。しっかり反対方向に乗り北上していました。急ぎ降り、ホームを変える階段を探しましたが、地上に出る階段しかありません。仕方なく上がり、道を渡り、そこから階段を下りて乗り直したのです。後から娘に聞くと「駅によっては中でつながっているが、あの駅はその方法が正しい」ということでした。DOWN TOWNの表示は「ダウンタウン行きはあちら」ということだったのか?そういえば朝、娘に「地下鉄の進行方向は道路で左ハンドルの車と同じだからね」と言われていました。バスに乗ったら日本では左に進むが、アメリカでは右に進みます。地下鉄は道路の下を通っていますから、道の手前に地下へ続く階段があったら、右へ進む車輌と考えればよかったのです。日本のようにどこの入り口から地下鉄駅に下りようが両方向に行ける訳ではありません。

 外でスマホが使えない状態なのに『◯◯の歩き方』を見たり、地図を広げたりするのは恥ずかしいし危険だ、などと思い、地下鉄路線図も持たないで出かけたとは全く無謀なことでした。でも少しも懲りない私ですから、今回の失敗を反省しても、次回もきっと迷うだろうと思います。

 今回、この原稿を第81回として掲載するには「京都暮らし」と関係ないし、と迷っていました。そんな時、原稿を見せた友人の弘子さんが「京都市がロックフェラー財団と繋がりがある」と耳寄りな情報を教えてくれました。なんとロックフェラー財団が設立100周年を記念して2013年に「100のレジリエント・シティ」を世界中から公募して3年の審査を経て京都市が選ばれていたのです。レジリエンス(resilience)とは跳ね返る力・回復する力という意味を持ち、日本語では 「しなやかな強さ、強靭さ」と訳されます。元は9.11の時に復興の合言葉としてNY市民が口々に発した言葉だそうです。1000以上の都市が応募して京都市が選定されたそうです。総額1億ドル、1都市100万ドルということです。この「あらゆる危機に対応する(レジリエンス)」プロジェクトは、様々な災害や気候変動に対して地球環境を守ることを世界中で取り組もうとするものです。京都市がこんな取り組みをしていたとは全く知らなかった私ですが、ロックフェラー財団のお金の使い方は立派だと思いました。

2022.12.9 高25回 堀川佐江子記)