第78回:突撃ニューヨーク(その2)美術館めぐり

 第77回で書いたように日本出国が思うようにいかず、NY到着が1日遅れてしまいました。娘は仕事がありますから、地下鉄・バスの乗り方を直接習う時間はなく、メトロカードを渡され「$100入れといたから滞在中十分足りると思う。地下鉄・バス共に1乗車$2.75だから。」そう言われても、到着早々ひとりで乗る勇気がなく、娘のアパートから30分近く歩いてマディソン街にある「フリック・コレクション」を見に行きました。

 そこはピッツバーグの鉄鋼業で財を成したヘンリー・クレイ・フリック氏が収集した美術品を展示しています。本来なら彼の住まいであった五番街に面した豪邸がそのまま美術館になっていました。しかし、コロナ以前から拡張、リノベーション工事のために閉鎖されていて、2021年3月、五番街より1本東のマディソン街に移転、「フリック・マディソン」として再開しました。個人コレクションでフェルメールを3点所蔵しているという事実が、いかに多くの名品を揃えているかお分かりでしょう。入場料は$22、シニア(65歳以上)は$17ですが、木曜日午後4~6時は「任意の金額(pay-what-you-wish)」で見ることができます。その日はちょうど木曜日でしたので時間指定予約を4時にしました。入場にはワクチン証明とそれを照合するID(私はパスポート)を提示しないといけません。レンブラント、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤ、ターナー、ルノワール等々を満喫しました。6時に迎えに来てくれた娘に「どうだった?」と聞かれ、「信じられないお宝がいっぱい。邸宅に展示されているのを見たいね。」と答えました。アメリカの大富豪に驚いた最初の衝撃でした。そしてバスで一緒に帰宅しました。

 次に「ノイエ・ギャラリー」に行きました。娘に「美術館内はよく歩くからバスを使った方がよい」と言われ、乗り継いで行きました。ここにはクリムトの「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」があるので、それが目当てです。非常に裕福なウィーンのユダヤ人ブロッホ=バウアー夫妻はクリムトやマーラー等、芸術家のパトロンでした。それで、クリムトはアデーレの肖像画を残したのです。映画「黄金のアデーレ名画の帰還」(2015)で描かれたように、ナチスに略奪され、戦後ウィーンにあるベルヴェデーレ宮殿・オーストリア絵画館に所蔵されていたこの絵を、アメリカに逃れていたアデーレの姪マリア・アルトマンがオーストリア政府に返還を求めて裁判を起こし、闘争の末に勝利するという曰く付きの絵画です。オスカー女優、ヘレン・ミレンがマリアを見事に演じていました。結局、マリアは旧知のエスティー・ローダーの息子で元駐オーストリア大使であり、美術コレクターのロナルド・ローダーに売却、彼の持つノイエ・ギャラリーの目玉となっています。エスティー・ローダーは大手化粧品会社のユダヤ系創立者であり、会社名にもなっています。館内は写真撮影不可でしたのでWikipediaよりお借りしました。
 ノイエ・ギャラリーにはウィーン風カフェがあります。ここで軽食スモークドサーモンのオープンサンド、ザッハートルテとカフェ・メランジェを頂きました。コップの水がついてウィーン風でした。

 続いて、バスで五番街を南下して「モルガンライブラリー&ミュージアム」に行きました。かの銀行家・投資家J.P.モルガンのコレクションを展示しています。収集した稀覯本、ナポレオンの自筆手紙、モーツァルトやベートーベンの自筆譜等、シックな図書室はうっとりする美しさです。一番見たかったのは真珠や宝石が散りばめられた装丁の『リンダウ福音書』ですが、その日は展示されていませんでした。画像は2020年9月、コロナで閉鎖後再開された時、娘が撮影したものです。そういえば、J.P.モルガンは宝石の蒐集家としても有名で、彼にちなんだ「モルガナイト」という石があります。残念ながら、宝石のコレクションも展示されていませんでしたがモルガン氏の書斎は美しい内装で素敵でした。

 帰りはマディソン街を北上するバスに乗りました。マンハッタンの道は京都のように碁盤の目になっているので、天才的方向音痴のワタクシでも分かりやすかったです。東西に走る一部の大通りを除き、ほとんどが一方通行で、進行方向は交互になっています。南北の通りは交互に北上か南下、つまり五番街は下ル、その東側のマディソン街は上ルというわけです。2、3ブロックごとにバス停があるので、交差点で〇〇St.の番号をよく見て、降車ボタンを押します。娘から「バスの行き先番号の前にMが付いていたら、マンハッタン島内しか行かないから、橋を渡って、ブルックリンやクイーンズに行ってしまうことはない」と言われ安心しました。

 アメリカの誇るメトロポリタン美術館には朝から気合を入れて行きました。日本語の案内ガイドパンフレット(マップ)があると聞いていましたが、英語のものしかありませんでした。所蔵品の数が膨大で展示内容が頻繁に変わるので、各国語での印刷が間に合わないのか、観光客が少ないからなのか分かりません。
 まず一番好きなロートレックを目指しました。「19~20世紀初期ヨーロッパ絵画・彫刻」の所に行っても細かく部屋に分かれていて、さっぱり見つかりません。係員に「ロートレックはどこか?」と聞くと、全く通じず「ロートレック」を聞き取ってもらえないのです。仕方なくマップの端に"LAUTREC"と書くと「あ~ロートレック」と教えてくれました。「そう言ったのに・・」1箇所にまとまっていなくて、2つの部屋に2,3点ずつ展示されていました。画集でも見たことのない初めてお目にかかれた絵もあり、うれしかったです。ロートレックのポスターは版画ですから日本でも目にする機会はありますが、肉筆画はオルセーで見られたくらいです。美術館のデータベースにはもっと所蔵品がありましたから、また見に来ないといけません。ここは写真撮り放題でした。入場にワクチン証明とIDが必要なのはどこも同じです。
 この言葉が通じない話。昔、友人のご主人が出張でNYを訪れ、JFK空港でタクシーに乗り、「マンハッタン」と何度言っても通じず、やっと「あ~マンハッタン」と言われた。「そう言うたやんけ」と思ったという話に笑えましたが、今回私も同じ目に遭いました。

アジア美術の所では日本の展示も見ました。2021年3月に107歳で他界された篠田桃紅さんの作品が2点ありました。写真は墨、胡粉、和紙に金箔が使われた「Golden Tablets 金言(2011)」。短冊に新古今和歌集より4首を散らし書きにした美しい作品でした。桃紅さんのことは拙稿第37回で書きましたので、NYでお目にかかれて懐かしく思いました。
 メトロポリタン美術館は建物も巨大で一日ではとても見ることはできません。収蔵品は200万点以上、展示されているのはその1/4。3/4は収蔵庫に眠っているそうです。特別展のコーナーもいくつかあり、例えば、メディチ家にちなんだ絵だけを集めた複数の部屋、レンブラントやフェルメール等オランダ絵画を集めた区画はまた別の場所となっていて、階段を上ったり、降りたり、エレベーターに乗ったり、探すのにも骨を折りました。

 アメリカでは成功した富豪が美術品収集をして美術館を建て、公開するのも沢山ありますが、メトロポリタン美術館は収集家が寄贈したものや、寄附金により世界中から購入を続けています。敷地はセントラルパーク内にあり、建物ともにニューヨーク市のものだそうです。入場料は財政難のため、2018年3月から「任意の金額(pay-what-you-wish)」は廃止され、大人$25、シニア$17と定額になりました。それまで「お気持ちの金額」でよかったとは驚きです。もっとも今でもNY州在住者と近郊の学生は「任意の金額」です。

 日々の買い物はアパート近くにオーガニックスーパーのWhole Foods Marketがあり、品揃えも豊富で便利でした。一度、少し遠いところにあるEATALY(EAT&ITALYの意味)というイタリア、トリノが本店のスーパーに行き、そこのカフェで一休みしました。カップチーノとティラミスを頂きました。ザ・アメリカというお菓子に巡り合えず、惜しかったのですが、これがNYなのかもしれません。多国籍の街です。

 いよいよ帰国についてです。そのために日本を出国する時と同じく、出国前72時間以内のPCR検査が必須でした。それも日本の厚労省が認めた書式で陰性証明を出してもらわねばならないので、よく見かけた街中のテントで無料PCR検査を受けるわけにいきません。対応してくれる医療機関は$300もかかりました。結果は翌日出ました。土曜日でしたので娘が取りに行ってくれて、おかげで私はグッゲンハイム美術館に行くことができました。
 アメリカ出国は、飛行機のチェックインの時にその陰性証明を見せるだけで簡単でした。入国は厳しいが、出て行く人はさっさとどうぞ、なのでしょう。
 また、仁川で一泊してやっと関空へ。ここからが検疫です。関門がいくつもあり、間隔を空けて一人ずつブースで説明を受けます。それからPCR検査陰性証明、ワクチン接種証明の提出(後者は向こうがiPadで撮影して原本は返してくれました)。滞在歴や健康状態を記入した質問票の提出。続いてスマートフォンに3種のアプリをインストールします。それは①健康居所確認アプリ(MySOS)、②位置情報設定・保存(Google Maps等通常は標準搭載されている)、③接触確認アプリ(COCOA)です。
 次に検疫措置を遵守する旨の誓約書の提出です。①入国から14日間(日本到着の翌日を1日目として起算した14日間)の公共交通機関の不使用、②自宅または宿泊施設での待機、③位置情報の保存・提示、④接触確認アプリの導入、⑤保健所等からの位置情報の提示を求められた場合にはこれに応じること、に住所・氏名を書きます。
 続いて」唾液検査です。紙コップを渡され、簡単に仕切られたブースに入ると、梅干しと、レモンを二つ割にした絵を見ながら採取します。これには笑えましたが、なるほど素早く規定量の唾液が採れました。誘導されて別室で待機。2~30分ほどで結果が出て陰性と言われ放免されました。やれやれ。

 スーツケースを受け取り、税関を通る時、それを開けるように促されました。初めての経験です。靴の箱だけを取り上げ、蓋を開けたのは怪しい物を入れていると思われたのでしょうか。靴が一足入っているだけです。きっとあまりに暇なので、税関吏は仕事をしたのでしょう。
 思ったよりすんなり入国できたので、時間に余裕を持って頼んでいたMKハイヤーに電話したら、関空に向かっているとの事。小一時間待ち乗車、自宅へ。ハイヤーとタクシーの違いは、タクシーは乗車分の運賃ですが、ハイヤーは営業所を出発してから営業所に戻るまでの時間らしいです。舞妓や芸妓さんを呼ぶときの花代は置屋を出てから帰るまでの時間と言いますから、同じですね。高速代も含めて、4万円弱でした。現時点では3日~6日、施設での隔離ですから、自宅に戻れるだけありがたかったという事です。

 さあ、翌日からスマホのMySOSに通知が来ます。ランダムに位置確認、健康調査、そして指定の場所で自主隔離していることを示すため、画面に表示された白枠に自分の顔を入れ、背景が見えるように30秒間映すのです。これがAI(人工知能)によるビデオ通話です。音声はありません。それが一日数回来る、と書いている人がいましたが、私は一回のみでした。午前11時過ぎが多く、たまに午後1時頃でした。近くに買い物に出るくらいはよしとされている筈でしたが、出かけた2回ともアラームが鳴り、「登録した場所から離れています。速やかにお戻りください」と表示されます。気分のいいものではありませんでした。いっそ、スマホを家に置いて行けばよかったのか。こうして真面目に過ごし9日目、「明日、公共交通機関を使わずに自前でPCR検査を受け、陰性証明を厚労省のここに送信すれば11日目からは隔離免除となります。希望しますか?」との表示が出ました。もちろん「希望する」にチェックを入れました。翌朝、車を呼んで京都駅前のクリニックへ。また1万5千円で検査を受け、クリニック前から車を呼び帰宅しました。19時に陰性証明通知が来たので、指定のフォームに添付して送信、無事に0Kの連絡が来ました。
 昨年9月に「帰国後自粛期間を条件付きで14日間から10日間に短縮する」と言ったのは、この自前で公共交通機関を使わずにPCR検査を受ければ、ということだったのです。決して自動的に短縮になった訳ではありません。また、水際対策がザルだと批判する人たちがいますが、この厳しさは世界的に見てもかなりのものです。
   2月17日に、岸田首相が3月1日より水際対策を緩和すると発表しました。それでもワクチン3回接種と帰国時に陰性でも隔離施設で3日間は必要のようです。

 美術館は他にも4つほど行きましたが、メトロポリタン美術館は別格として、今回取り上げた3つがなんと言ってもビッグ3でした。帰国後、体重が4キロ近くも減っていてコロナ太りはあっさり解消されました。おそらくNYの街を歩き回ったせいでしょう。じわじわと戻りつつあるのが恐ろしいです。

2022.2.20 高25回 堀川佐江子記)