第68回:滋賀の「寒糊炊き会」と小野神社、そして大福餅

 大寒の2日前、1月18日に大学の先輩であり、『季刊・和紙だより』の編集長をされている右衛門佐(よもさ)美佐子さんに誘われて「寒糊炊き会」に参加してきました。「寒の時期に糊を炊く」の糊とは、表具に使う糊のことです。琵琶湖の西、滋賀県小野に坂田墨珠堂という文化財の保存・修理をする高い技術をもった工房があります。寺社や博物館、美術館などから依頼されて国宝級の文化財を扱っています。
 書を多少学んでいる私は、毎年展覧会に出展する作品を表具屋さんにお願いして、軸装や巻子装(巻物)に仕立ててもらっています。その時、作品の紙に「裏打ち」といって、もう1枚和紙を糊で貼り付けます。水で溶いた糊をハケで塗ってくっつけるので、水で濡らせば元通り剥がすことができます。その糊を大寒の頃に作って10年寝かせると聞き、興味津々で出かけました。ご一緒したのは同じく先輩の野口郁子さんと、右衛門佐さんの親友でデザイナーの田中裕子さんです。

 坂田墨珠堂の工房では、従業員を含め総勢50名以上が集まって朝から作業が続いていました。大鍋や釜が火にかけられ、燃料には竹が使われていました。白い糊が焦げ付かないように休みなく棒でかき混ぜられています。材料はグルテンを取り除いた小麦粉です。触らせてもらうと、弾力のある固形のものでした。それを3倍の浄水で溶き、しっかりかき混ぜてから火にかけます。さらさらの状態から、粘りのある糊になるまで交代でかき混ぜ続けます。できた糊は2斗と2.5斗の甕(かめ)に移します。何度にも分けて炊かれた糊が甕の8分目までになると工房の床下に貯蔵されます。

 貯蔵庫も見学させてもらいました。床下はかなり広い地下室になっています。酒蔵見学でも地下に巨大なタンクが設置されていたなと、以前、同じ大寒の頃、伏見の銘酒「玉乃光」の酒蔵見学をしたことを思い出しました。
 この貯蔵庫には沢山の甕が並んでいました。和紙で密封した甕は10年熟成させて古糊となります。1年前に仕込んだものは表面に黒やピンクのカビが出ていますが、その部分をこそげ取り、水を加えてまた、和紙で覆います。ふと私が25年間毎年作っている味噌のようだと思いました。味噌は2月に仕込んで、9月に出来上がりますがその間、2、3回カビを取り除きます。
 新糊は10年、こうやって大切に貯蔵され、表面をこそげ取るのと分解とで3/4に減るそうです。自前で作った古糊で、何百年も前の文化財を保存・修理するのです。
 紙についてのお話も伺いました。補修や裏打ちに使う紙は奈良県吉野の手漉き紙、宇陀(うだ)紙、美栖(みす)紙、が使われます。古文書の修理の場合、虫により侵蝕された無数の穴を埋めて補修するには、作品の紙質や風合いに合わせて補修紙を作らねばならないのです。そうすることで、1000年も持たせることができる。坂田墨珠堂では、現在補修した作品は50~100年後にも修理できるよう、伝統的な技術を基盤としながら、一方では日々進歩する現代技術や知識を取り入れながら修理している、という坂田さんの言葉は感慨深いものでした。

 人手は十分に足りていたので、作業を抜け出し、徒歩1分の所にある小野神社にお参りに行きました。拙稿第57回「京の六地蔵巡りと小野篁」を書いた時、大津市小野に神社があることを知り、行きたいと思っていました。小野神社は、小野妹子・小野篁・小野道風などを生んだ古代の名族小野氏の氏神社です。小野篁を祀る末社の社殿(元国宝、現在は重要文化財)をお参りしていると、「堀川さん、お供えの餅があるわよ~」と呼ぶ声が聞こえました。そちらを見上げると、社殿の横にある階段の上、左右に石で作った薄桃色の2段重ねの餅がお供えしてあったのです。
 説明書きによると、祭神は餅・菓子の匠・司の始祖である第5代孝昭天皇の第一皇子天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)とその7世の孫、米餅搗大使主命(たがねつきおほおみのみこと)の2神とのことです。後者は応神天皇の頃に日本で最初に餅を搗いた餅作りの始祖と言われ、現在ではお菓子の神様として信仰を集めているそうです。

 小野のお菓子を調べたら、車で3分の所に「団喜」という大福のお店があるとわかり、野口さんの運転で連れて行ってもらいました。「団喜」というのは奈良時代からある神饌菓子のことですが、これについてはいずれ別の稿で書きます。大層な名前のお店ですが、団子や様々な大福、つまり餅菓子を売っており、小野神社のすぐ近くにふさわしいお店でした。隣が工場です。私は一番の名物、黒豆塩こし大福と胡麻大福、見かけたら必ず買わずにはいられない珈琲大福を求めました。近江の名産品であるモチ米を搗いたお餅です。

 坂田墨珠堂に戻ると母屋で「直会(なおらい)」が始まっていました。50人もの出席者が座敷に座り、手巻き寿司が用意されていて壮観でした。ちなみに「直会」とは神社で神事のあと、お下がりを頂く食事会のことですが、ここでは作業後のこれも「直会」と言うのだそうです。私などほんの少しだけ糊をかき混ぜただけなのに、こんなにふるまって頂き恐縮至極でした。
 社長の坂田さとこさんの、文化財修理・保存の仕事の大切さをどうぞ発信して下さい、という挨拶が胸に沁み、美味しい手巻き寿司に舌鼓を打ったのでした。運転してくださった野口さん、誘って下さった右衛門佐さん、新しく知り合えた田中さんとの愉快な道中話も楽しく、大寒とは思えないこころ温まるとても有意義な社会見学の一日でした。

【参考サイト

(2020.1.24 高25回 堀川佐江子記)