第58回:拾翠亭の今様合と甘楽花子の生菓子「翁」

 今年の春から新聞を替えて、京都新聞を取っています。きっかけは「初体験は脳を活性化する」と何かで読んだからです。京都新聞は京都のことがよく分かってよいとは聞いていましたが、取ってみると、単なる地方紙ではなく、もっと奥の深い読み応えのある紙面ですっかり気に入っています。
 先月27日の記事に「15日連続『今様合(いまようあわせ)』」とありました。「今様」とは高校時代の日本文学史のテキストでちらと見た記憶では、平安時代に流行っていた歌で、後白河法皇が歌集「梁塵秘抄」を編纂したという知識しかありませんでした。その記事によると、「平安時代後期に貴族や庶民に広く流行したが鎌倉期以降は衰退していった。京都で育まれた今様の文化を後世に残そうと、戦後まもない1945年に故桝井泰山氏が再興した。現在は二代目家元を継いだ石原さつき会長(75)をはじめ、約30人の会員が活動している」ということです。1986年には約800年ぶりに後白河法皇ゆかりの法住寺(ほうじゅうじ,東山区)で「今様合」を復活させ、府内外のみならず、海外公演も実現させています。今様合というのは歌合(うたあわせ)と同じく、左右二組に分かれて、詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を競う遊び、および文芸批評の会です。

 後白河法皇が十五夜にわたって「今様合」をした記録に基づき、創立70周年記念で15日連続、後白河法皇や平清盛に縁深い法住寺、寂光院等、様々な場所を会場として「今様合」を行う、という記事を読んで、第10日にあたる10月9日、京都御苑内にある拾翠亭(しゅうすいてい)に出かけました。
 拾翠亭は五摂家のひとつ九条家の別邸でした。およそ200年前の江戸時代後期、数寄屋風書院造りで建てられ、当時は主に茶会のための離れとして使用されたといいます。亭の前面には広大な庭園と九条池があります。現在は一般公開もされていて、茶会、句会などへの貸し出しも行われています。

 新聞記事で11時開始とありましたので、ちょうど11時に到着したのですが、門の手前にあった「本日貸切一般見学はできません」の貼り紙にひるんで、拾翠亭に入らず、庭園のあずまやから亭をながめていました。ほとんど中は見えず、何も聞こえません。小一時間して仕方なく諦め、帰ろうと門まで戻り、よく見ると「今様合11時開始」と横に小さく書いてあるではありませんか。さっきはシニアグループがたむろしていて、貼り紙が半分しか見えなかったのでした。
 あわてて玄関を上がり、そっと座敷に入り、一番端で見学しました。見学者が色紙に書いた今様、つまり七五調4行の歌を集めて、お家元が独得の節回しで歌い上げました。
 最後に大変美しい白拍子の衣装を着けた方が、「今日はここ拾翠亭を会場とすることができてよかったです。九条池の中の島には厳島神社があり、平清盛の生母との説もある祇園女御が祀られています。今から彼女にちなんだ今様をします。」と語り、もう一人の白拍子と二人で、笛の音とともに歌いながら舞をして終了となりました。今様の雰囲気を一曲でも味わえて本当によかったです。

 京都御苑に来たのだから、今回の和菓子は烏丸丸太町下ルの「甘楽花子(かんらくはなご)」と決めていたのですが、目と鼻の先にあるはずのお店が、がらんどうの空間になって工事の人たちがいました。店がない、とびっくり仰天です。がっかりして帰宅しました。調べると「甘楽花子」は3月末に閉店して、6月25日に聖護院(丸太町東大路東入ル)でオープンしたとあります。よかった。それで、数日後行って来ました.ご主人によると、オーナーが代わってホテルになるため、立ち退きになったとのことです。
 茶人でもあるご主人はおいしく抹茶も点ててくれますので、生菓子は「翁」を選び、店内で頂くことにしました。奥様が運んできてくださり、いざという時、ふと見ると、ご主人がせっせとお菓子作りをしています。20センチくらいの細長いステンレス製のパウンドケーキの型のようなものに村雨餡(餡を蒸したもの)のそぼろを乗せていました。まさに私が注文した「翁」を作っていたのです。ふきんを被せて型からはずすと一棹の「翁」が出て来ました。

「薄緑の餡は白小豆ですね?」とたずねると
「はい、そうです。白小豆をよくご存じで。」
「お宅の餡のおいしさは白小豆と思いました。そぼろ餡は村雨ですね?」
「そうです。お菓子を作らはるんですか?」
「以前、ほんの少しだけ習いました。」
「ここでも教えていますよ。」
「はい、前の店で案内を見ました。」
 ご主人は手を休めることなく、気さくに話してくれました。白小豆は高価すぎるので、手亡や福白金時も使っているそうです。「翁」は昔からあるお菓子かたずねると、
「わたしの創作です。5年位前に井上由理子さんが『和菓子の意匠』という本を京都新聞社から出す時、頼まれて作りました。」
白いポリタンクが見えたので、「特別の水ですか?」と伺うと下御霊神社の水です。京都は昔から,水がいいですから。」お抹茶は一保堂の「和の昔」とのことです。「翁」はもちろん、ご主人が点てられたお薄はキメが細かく、本当においしかったです。
 前の店にも観世流の能の公演チラシが沢山ありましたが、ご主人は能をされています。店名の「甘楽花子」は能楽から取られました。「翁」も能楽で別格に扱われる、天下泰平・五穀豊穣を祈る祝言曲です。私は毎年5月、奈良興福寺の薪御能で金春流の「翁」を拝見しています。能舞台は鏡板に老松が描かれ、橋掛かりのそばには一の松、二の松と若松が植えられています。お菓子の「翁」は、緑が松の葉、粒餡の村雨は松の根幹を表しているとのことです。舞台の松と能楽「翁」の世界を一つにしたものでした。

 拾翠亭の拾翠の意味を調べましたら、貴族が春先に若菜摘みをする習わしに因み、「緑の草花を拾い集める」ということだそうです。もうひとつ「翠」は鳥のカワセミを指し、碧い羽を持つカワセミは「翡翠(ひすい)鳥」「翡翠」とも呼ばれ、かつて九条池に、カワセミが数多く飛翔していたことから「拾翠」と名付けられたとも言うそうです。

 美味しそうだったから、たまたま選んだお菓子がみどり色で、「今様合」を拝見した拾翠亭ともご縁があったようです。井上由理子さんのご本は拙稿第56回祇園祭・屏風祭と菊水鉾の「したたり」、他でも参考にさせて頂いていますが、今回の『和菓子の意匠』のプロフィールを見たら、「文筆業のほかに、平安末期から鎌倉時代にかけての芸能である白拍子の歌舞にたずさわる。舞台公演をはじめ、社寺での奉納多数」とありました。これには驚きました。

【参考文献

  • 「15日連続『今様合』」京都新聞2018.9.27
  • 井上由理子『和菓子の意匠--京だより』京都新聞出版センター2010

【参考サイト

(2018.10.25 高25回 堀川佐江子記)