第53回:パキスタンのヘナ・パーティと結婚式(その2)

 前回の第52回では結婚式の2日前に行われたヘナ・パーティについて書きました。今回はその続きです。
 いよいよ1月6日が挙式の日です。日本風に昼間の挙式・披露宴と思い込んでいましたら、17時挙式、20時披露宴ということを前日に知りました。カラチは暑いところなので昼間のイベントはないのかと、ふと思いました。1月は涼しく夜は寒いくらいですからブライダルシーズンというのも納得です。

 17時に新婦の父が私たちの滞在するホテルに新郎、私たち両親、ベストマンを迎えにやって来ました。時間がずれ込むことは2日前に学習しました。迎えの車は映画で見るような華やかなリボンで飾られていました。挙式する大聖堂は新婦の自宅、隣接する神学校と同じ敷地内にあります。セキュリティチェックを受けて 敷地内に入ると、驚いたことにドローンを飛ばして撮影開始。例のディレクター、ボリウッドの指示で大回りさせられ、新郎が大聖堂に到着する所からしっかり映していました。私が車から降りると、ボリウッドは私をじっと見下ろすので緊張しました。すると、私の帽子のつばを1センチ上げて「よしっ」と言ったかどうか知りませんが、にっこりしました。

 挙式は新郎がタキシード、新婦は白のウェディングドレスで西洋風です。もちろん二人ともレンタルして、息子は日本から持ち込み、新婦も現地で調達しました。パキスタンで白いウェディングドレスを着るのはキリスト教徒だけだそうです。プリースト(司祭)4名を従えたビショップ(主教)が着席すると式が始まりました。プリーストの主導で結婚の誓いが述べられ、ビショップの祝福の言葉が続きます。英語ですが深く胸に染み込んで来ました。そのあと、祭壇横の小さな机で教会の台帳に二人が署名し、ベストマンが証人のサインをして結婚が成立しました。ステンドグラスのある荘厳な大聖堂での挙式というのも映画でしか知りませんでしたから感動しました。

 披露宴が始まる20時まで、夫と私は花嫁の自宅で休憩させてもらっていましたが、新郎新婦は大聖堂前で又々、ずっと撮影をしていたのでした。そろそろ始まるということで案内された披露宴会場は2日前とは違う場所にもっと巨大で立派なテントが設営されていてビックリしました。夕方見た時は、昨日もほかの披露宴があったから撤収作業をしているのかなと思ったのがこのテントで、設営中だったわけです。真っ白い天幕にイルミネーションが美しく、下は板を敷き詰めた上に絨毯が敷かれています。白いソファーが沢山置かれ、周辺はテーブルにイス。テントとはとても思えない、宴会場です。明日また、解体するとはもったいないと思いました。あとで花嫁に聞いたところでは、パキスタンの結婚式産業は莫大な市場となっており、これが普通とのこと。ホテルの宴会場を使う人もいるが経費は同じようなもので、セキュリティ上、敷地内でする方がより安心ということでした。

 200人はゆうに超える披露宴ですが、こちらも司会者がいるわけでなく、新郎新婦が長い撮影を終えて到着するまで、ふるまわれたウェディングケーキを口にしながら談笑していました。写真のケーキはその時のものです。レーズン・ブルーベリー・ナッツ等がワインたっぷりの生地で焼き上げられたフルーツケーキです。上の白いのはアイシングという砂糖衣だと思います。
 やっと二人が入場すると双方の両親、ベストマン、ブライドメイドが壇上に並び、列席者が次々と上に上がって祝福の言葉をかけてくださるのを握手しながら受け、お礼を述べるというものでした。中にはその場でお祝いの品、ご祝儀を渡す場面もありました。皆さんの衣装がカラフルで見事でした。
 それからブッフェ形式のお料理をそれぞれテーブルで頂きます。参列者の数がイスの数より多そうだったので、私たち近い親族はお客様がお帰りになった後で食事となりました。招待状を送るとご夫妻で、またお子様3人も連れてと一家で出席されるので、数を読むのが難しいそうです。最初200脚用意したイスを50脚増やしても足りなくなったようです。又々、深夜12時はとっくに過ぎていました。

 新郎新婦はというと、またもやボリウッドにあれこれポーズの指示を出され続け、撮影が続いていました。ひたすら記録のための挙式・披露宴かと思うほどでした。写真は両手にヘナを施した花嫁です。第52回の私のヘナは描いた直後でしたので、焦げ茶色をしていますが、2時間ほどで乾いた後はポロポロと剥がれ、明るいオレンジ色の模様が現れます。
 そしてこの婚礼衣装はブライダル・マキシというそうで、パンツに重ねたドレスの丈はくるぶしまであり、ここ2年位前に現れたニュー・ファッションとのことです。金色の生地にはラインストーン、ビーズがびっしりと装飾されています。この手仕事はザルドジと言われ、ムガール朝時代から伝わる技術だそうです。金糸・銀糸でメタルやビーズを刺繍しています。ピンクのドゥパッタ(ヴェール、ストールのこと)の縁にも同じように施されていました。半年前に母上がオーダーしたと聞きました。
 母上の婚礼の時は白と金色のサリーを着たそうで、花嫁もそれを望んだようですが、最近は婚礼衣装にサリーは使われなくなったということです。
 ところで、美味しいお料理に付きもののお酒は一切なく、飲物は水、コーラ、炭酸のセブンアップ。そして食後のコーヒー、紅茶でした。パキスタンはムスリムの国だからでしょう。誰もアルコールは飲まないようです。同じイスラムの国でもトルコでは普通に飲みますから、ムスリムを一括りには語れません。また、キリスト教徒が沢山集まったパーティでも、ワインすら飲まないとは意外でした。なごやかに歓談して、なんとなくお開きになる、ゆるやかな披露宴でした。

 挙式・披露宴の翌日がたまたま息子の誕生日だったので、親族30人くらいがまた集まってくれました。写真のバースデーケーキは花嫁の姉が注文したもので、結婚式のコンセプトになっていた白とピンクの薔薇の花で覆われたケーキです。部屋の飾り付けなどすべて企画して、息子に知らせないようサプライズのパーティをしてくれました。近所に暮らす親族は別として、遠路はるばるやってきた人々はずっと花嫁宅に滞在していたのでした。足かけ4日がかりの結婚式でしたが、3回目に顔を合わせるともう親しい親戚の感覚で、名前も覚えたりして楽しい誕生会でした。

 今回私たちが経験したパキスタンの結婚式はキリスト教式ということと、元々インドに伝わる伝統的結婚の儀式との組み合わせということで、特殊なものだったと思います。パキスタンは1947年に英国よりインドと分離独立しましたが、それまでは一つのインドでした。広いインドですから地域や宗教によって様々な文化・風習があるのでしょう。でもこの度の結婚式にはインドの伝統的な要素があるように感じられました。
 私は中学時代からインドに興味を持って、恥ずかしながら卒論のテーマも分離独立直後のインドのことでした。ですから、2009年にしらはぎ会の同級生Tさんがインド旅行に誘ってくださった時は願ってもない喜びでした。その後、Tさんがしらはぎ会の会長になられた際、私もお手伝いすることとなりました。この「京都暮らしあれこれ」の執筆を勧めてくださったのもTさんです。

 インドに親しみを感じていた私ですが、パキスタンは地理的にも心理的にも遠い国でした。これから日本で暮らす花嫁に、色々教えてもらおうと楽しみにしています。

【参考サイト

(2018.2.28 高25回 堀川佐江子記)