第44回:東大寺お水取りと「糊こぼし」

 関西では、「東大寺のお水取りがすむと春が来る」と言われています。通称、「お水取り」「お松明(たいまつ)」と呼ばれる二月堂修二会は、東大寺の初代別当良弁(ろうべん)僧正の高弟であった実忠和尚が、大仏開眼と同じ天平勝宝4(752)年に始めたものです。今年1266回を数え、一度も絶えることなく連綿と続けられています。

 修二会は正式には十一面悔過(けか)法と呼ばれます。十一面とは二月堂の本尊である十一面観音菩薩のこと、悔過とは、われわれが日常犯している様々な過ちを悔い改めることで、観音さまの前で、過ちを懺悔するのです。昔の人は天災・疫病・反乱は国家の病と考え、そうした病を取り除いて、鎮護国家・天下泰平・五穀豊穣等、人々の幸福を願う行事です。この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われますが、元は旧暦2月に厳修する法会(ほうえ)という意味をこめて「修二会」と呼ばれます。二月堂の名もこのことに由来しています。

 懺悔役を担うのが練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる籠もりの僧です。現在は11名で3月1日からの本行に備え、2月20日より別火(べっか)と呼ばれる前行が始まります。普段の生活を断ち切って心身を浄めます。いくつかある準備のひとつが2月23日の「花こしらえ」です。僧侶たちは二月堂の須弥壇(しゅみだん)を飾る椿の造花を作ります。この様子は毎年新聞の夕刊にカラー写真で掲載されます。
 3月1日からの本行のうち毎夜、堂に上がる練行衆の足元を照らす道明かりとして、大きな松明に火が灯されます。そして12日はひときわ大きな籠松明(全長8メートル)が登場します。今回、奈良国立博物館の特別陳列「お水取り」を見に行ったところ、入口に籠松明が展示してあり、その大きさにビックリしました。同じ12日の夜半過ぎには、二月堂下の広場にある若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(こうずい)」をくみ上げる儀式があります。このため、修二会はお水取り・お松明とも呼ばれるようになりました。

 実は今から11年前の2006年、連れ合いの恩師である森本公誠先生が東大寺の別当でいらっしゃった時に、二月堂修二会を初めて体験しました。それより前から、先生の奥様に「お水取りを一度見にいらっしゃい」とおっしゃって頂いていましたが、2005年に私の父が他界したことがきっかけとなって決心しました。恐れ多くも先生のおはからいで、12日夜7時半からの籠松明が11本、二月堂に上がるのを下から見上げた後、二月堂の局(つぼね)に入り、練行衆の行法を聴聞することができました。
 二月堂内部は中心の須弥壇に絶対秘仏の十一面観音様が安置されており、東大寺の僧侶ですら見ることができません。そのまわりに内陣があり、練行衆が行法をする場所です。その外側が外陣で、練行衆以外の僧侶・許可された男性のみが入れます。連れ合いはそこに入れて貰い、私は一番外側の局に入りました。堂内は灯明だけなので暗く、よく見えず練行衆の声明(しょうみょう=節をつけたお経)を聞いたり、堂内を走る「走りの行法」の音や、松明を振り下ろす「達陀(だったん)」と呼ばれる火の行法の気配を感じたりしていました。とにかく寒くて寒くて、まるで戸外にいるかのようでした。ありがたいことに近くに休憩所がありますので、そこのストーブで暖を取り、また戻って局に入るということを繰り返していました。深夜1時半ごろ、いよいよお水取りが始まり、練行衆数名と補佐の方々が行列して、二月堂横の階段を下り、「若狭井」で汲み上げられた「お香水(こうずい)」を観音様にお供えします。12日の行事は4時頃終了しました。京都に帰る電車はありませんので、奥様の助言に従い、取っておいた駅近くのホテルにて仮眠し、朝の電車で帰宅しました。
 二月堂の須弥壇を飾る椿の造花の材料である和紙は、京都の有名な染色家「染司よしおか」の吉岡幸雄さんが植物の紅花から染め、花芯の黄色はクチナシの実で染めて納められます。以前、その様子が映画「紫」の中で映り、一口に草木染めといっても大変な作業であることを目のあたりにしました。

 この時期、奈良の和菓子屋さんの店頭では修二会で使われる椿の造花に因んだお菓子が並びます。今回たずねたのは江戸後期創業の「萬々堂通則」で、銘は「糊こぼし」です。糊こぼしというのは二月堂近くにある、東大寺を開山した良弁僧正を祀る開山堂の庭に咲く椿の品種です。その名は真紅の花びらの一部が、あたかも糊をこぼしたように白くなっていることから来ています。別名「良弁椿」ともいわれます。
 もう1軒、樫舎(かしや)という店に行きました。まだ開店して10年足らずの新しいところですが、拙稿第24、38回にも登場した同級生のTさんが1年前にここの生菓子を下さり、私の中で和菓子ランキング1位に躍り出た店なのです。銘は「良弁椿」でした。他に2箇所和菓子屋さん巡りをしましたが、どちらもリアルに造花の椿を模した意匠でした。一週間前に大和郡山でいただいた菊屋の生菓子の銘は「開山堂」で、樫舎の意匠とよく似ていました。樫舎に電話して伺うと、やはり菊屋さんで修行されたとのことでした。明らかに白小豆の練り切りで、それはそれは口の中が幸福になりました。

 

 最後の写真は、私どもの友人である能楽師の金春康之さんが7年前の今頃、二月堂の椿の造花を模して作られたものです。拙稿第38回に書いた「萩を愛でる会」のMさまが、お水取りのしつらえでお茶会に招いて下さったときに、お宅の玄関に飾られていた椿も金春さんの制作でした。後から分かったことですが、なんと金春さんも2006年のお水取りのときにあの二月堂の外陣に座って練行衆の行法をご覧になっていたそうです。現在別当の狭川普文さんと同級生なので、その関係で堂内に入られたのかもしれません。それにしても、私の連れ合いも金春さんもお互い気が付かなかったということは、そのくらい二月堂の中は暗く、厳粛な異次元世界ということです。

 素顔の森本長老はおだやかな笑顔が素敵なお坊さんですが、お目にかかると何かは分からないオーラがこちらに届き、1週間くらいは私でも良い人でいられるのが不思議でした。その理由は、凡人がとてもできない激しい行を何度もされているからだと、修二会の行事を一度経験した今では確信しています。

【参考文献】

  • 森本公誠「私の履歴書」日本経済新聞平成26年8月
  • 『東大寺二月堂修二会』近鉄奈良駅総合観光案内所配付パンフレット2002年2月
  • 「糊こぼし(良弁椿)」しおり萬々堂通則
  • 佐藤道子『東大寺お水取り春を待つ祈りと懺悔の法会』朝日選書852、2009年

【参考サイト】

(2017.3.14 高25回 堀川佐江子記)