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-『野ざらし紀行』考16.東大寺二月堂―氷の僧の 折々の記『ヤマガラの記』―
【紹介者】幡鎌さち江(24回)、吉野いづみ(31回)
ごきげんよう、皆様。
桜も満開の季節を迎え、中には既に葉桜となっているところも、あちこちに見られる今日この頃でございます。私も芭蕉の弟子や門人の如く、気の利いた俳句の一句でも出来ないものかと近隣の桜や春の景色を眺めますが、なかなか難しいもので、そうこうしているうちに連載を書くことを忘れていることに気づき、失礼致しました。
さて、前回の「『野ざらし紀行』考故里越年」を拝読いたしましたが、芭蕉の時代の旅の難儀さ、殊に年を越す冬の旅路はどれほどの苦労であったことか?「檜笠をかぶり、藁の束を脚に巻き、凍り付くような雪の美濃路を歩く芭蕉の姿が浮かぶ。」との松平先生の解説が心に染みました。また、伊賀上野では年賀のあいさつに婿が縁起物の歯朶(しだ)で飾った鏡餅を届ける風習があり、「誰(た)が婿ぞ歯朶に餅おふうしの年」の先生の解説「餅を負うのは婿ぎみであって、牛ではない。」を読んで、思わず笑ってしまいました。そして、さらに、当時の情報の早さにも触れられており、大変勉強になりました。
次に『八月九日の文学』を拝読し、それまで知らなかった被爆者の現実、「内部被曝」などの話、そして生涯をかけて原子爆弾の破壊力の恐ろしさを告発する作品を書き続けた「林京子」などの作品に衝撃を受けました。また、「原爆を使った人々への恨みや怒りよりも、死に迫られた人の悲哀と絶望を基調としたのが林文学だ」という加賀乙彦の紹介の文に救いを感じました。現代の兵器は、第二次世界大戦当時よりも格段の進歩を遂げ、次に世界大戦が起これば、確実に人類は滅びるであろうことを誰しも知っています。「恨みや怒りの連鎖を断ち切る」ことができなければ、人類に未来はないでしょう。
しかしながら、今また、ウクライナ侵攻などで見え隠れする「核」による恐怖。
松平先生の『八月九日の文学』は、改めて、そのような問題を私たちに教えてくれているような気が致しました。
それでは、今回はまた、どのような素晴らしいお話をお伺いできるのでしょうか
2023年4月4日 配
奈良に出づる道のほど
春なれや名もなき山の薄霞
二月堂に籠りて
水とりや氷の僧の沓(くつ)の音
丑の年の正月を故郷で過ごした芭蕉は、《子(ね)の日(び)しに都へ行かん友もがな》と詠む。〈子の日〉は野に出て小松を引き、その長寿にあやかる初春の優雅な遊びである。それは実現しなかったようだが、興福寺の薪能(たきぎのう)と二月堂のお水取りに出かける。伊賀上野から奈良に行くには普通、木津川沿いに笠置を経て加茂に出、奈良坂を越える。ほぼ九里一日行程。芭蕉は多分そこを通ったろう。《春なれや》の詠まれた所は特定できないが、《久方の天の香久山この夕べ霞たなびく春立つらしも》などが念頭にあったことは疑いない。私は三十年ほど前、山の辺の道で見た《春霞いよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ》という前川佐美雄の歌碑を思い出す。濃淡の違いはあれ、奈良の春は霞なのだろう。
お水取りは昔は二月一日から二七、十四日間行われ、直接かかわる僧を練行衆という。練行衆が二月堂内で使う履物が差懸(さしかけ)、平らな厚い檜の板に鼻緒を付け、紙製の爪皮を付ける。夜が更けて練行衆が須弥壇の回りを巡る行道がはじまると、差懸の音が堂内に響く。芭蕉が聞いた〈沓の音〉である。あわせて梵鐘が鳴り法螺貝が吹かれる。二月堂の脇の〈水取や〉の句碑には〈籠りの僧〉とあるが、寒中の厳しい行に耐える僧への畏敬の辞としての暗喩〈氷の僧〉の誤読から生まれた。懸け造りの堂の回廊を僧が急ぎ足に大きな松明を持って走り、善男善女がこぼれ落ちる火の粉を浴びて息災を願う風習も新しいものという。
玄関の脇に二坪ほどの空間がある。雑多な草木が植わっている。あまり世話はせず草木の命の力に任せている。この季節はシロバナマンサクの花盛り。横にエゴノキがある。四月の初めごろから芽吹き、月の半ばの今は緑を濃くしてきている。近寄ると、米粒よりも小さなつぼみも見える。
なかなか名を覚えられなかったが、エゴイズムと結びつけてからは忘れない。エゴノキにとっては迷惑な話である。白い鈴のような花をつけると、まことに美しい。
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百科全書『ニッポニカ』の説明を借りる。
《エゴノキ科の落葉小高木。樹皮は暗褐色で滑らか。葉は互生し、卵形、長さ4~6センチメートルで、縁(へり)に低い鋸歯(きょし)がある。5~6月に白花が下向きに開く。花冠は径約2.5㎝で、深く5裂し、雄しべは10本。果実は卵状楕円形、長さ約1㎝・・・。9月に熟し、不規則に破れて褐色の種子が1個出る。北海道南西部から沖縄に生育し、朝鮮、中国、フィリピンの山野に分布する。・・・・果皮はエゴサポニンを含み、洗濯用にするが、有毒である。種子は脂肪油が多くヤマガラが好んで食べる・・。》
科学する心に乏しく、事典を借りても〈エゴサポニン〉などまったく分からない。探求心のある方はお調べ下さい。
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去年の夏の終り頃から、そのエゴノキにつがいのヤマガラが来るようになった。スズメ目シジュウカラ科の鳥。
犬を連れて散歩をしていると、知り合いが増えてくる。そのなかにKさん夫妻がいる。ご夫妻ともに、私が長く勤めた学校の卒業生で、私が勤めた時にはすでに卒業していたのだが、私がその学校に勤めていたことを耳にしたのだろう、散歩しながらの青春の思い出話の中で、私には懐かしい先輩格の教師たちのことをいろいろ聞かせてくれる。
Kさんが野鳥の写真を撮る趣味を持ち、野鳥のことにくわしいことを知ったのは、妻を通してだった。エゴノキに野鳥がくると話した妻にヤマガラにちがいないと教えてくれたらしい。数日後、ヤマガラの写真をKさんから頂戴することになる。A3判の大きな写真である。全体の色調は緑、そこに、多くの実をつけたエゴノキの枝が左右から伸び、真ん中に、白い実をくわえ、紫灰色の羽を大きく広げたヤマガラの飛ぶ構図である。扇形に広げた両翼の羽も数えられる。頭頂部と目のまわり、咽喉の部分と嘴は黒く、頬は白。腹部と首の回りは柿色である。この焦点の確かさは驚異的である。写真を撮るには、ヤマガラがエゴノキを好むことが分かっているので、エゴノキのそばにカメラをセットして何時間もかけて、シャッター・チャンスを待つのだという。我が家に近い佐鳴湖の回りにも、バード・ウォッチングを楽しむ人や、野鳥の決定的瞬間の写真を撮ろうとする人を見掛けるけれども、それにしても、Kさんの技術と忍耐力には頭が下がる。
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エゴノキが葉を落とし裸木になっても、ヤマガラはやって来る。Kさんからヒマワリの種子を好むと聞き、アワビ貝とプラスティックの二つの容器に入れ、枝に掛ける。どちらも啄んでくれる。大成功である。話には聞いていたが人を恐れない。我が家に来た人がたまたまそれを見ると不思議顔をする。
Oさんは自称工作好きである。雛祭りの日、ハマグリを届けてくれたOさんに、ヤマガラに餌を与えるのだが雨が困るとこぼした。数日後、Oさんは両流れの屋根の付いたしやれた小鳥の家を作ってきてくれた。四本の柱に支えられ、四面どこからも出入りできる。新しいものに馴れるかどうか、の心配は杞憂だった。ヤマガラは、陽射しが暖かくなると、ヒマワリの種子を啄み、マンサクの下枝の間をくぐったり、玄関先に止めてある自転車のサドルに乗ったり、楽しませてくれた。
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それにしても食欲があり過ぎる。ヒヨドリはヒマワリは食べないが、リスは食べるとKさんは話していた。家の近くにリスはいる。姿を見ることもあるし、布を裂くような声を聞くこともある。あるいはリスが来ているかと思っていた。ヤマガラの訪れも減っている。小鳥の家ができて二十日ほど、夕闇の中にネズミの姿を発見。それも大きい。すこし前から、犬の散歩のとき、首縄をつけないうちに、エゴノキの周囲をかぎ回っていた。ネズミの臭いに反応していたのだろう。夜はヒマワリの種子を置かないようにし、殺鼠剤を家回りの排水溝に置く。
ネズミ発見の翌々日、やって来たOさんに、その後のなりゆきを話すと、ネズミが来るとは!?と絶句。しかし、工作マニアは頭の回転が早い。ネズミ返しを作りましょう。
そして数日、Oさんは四角の板、プラスティックの杭、長さの調整可能なスチールの棒シャベル、槌などを持ち登場。手際のよさに我ら夫婦は目を見張るばかり。小鳥の家には鼠返しがつき、エゴノキから少し離して棒は立てられた。
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ところが、それから、ヤマガラはさっぱり姿を見せない。ヒマワリの種子も減らない。ネズミも殺鼠剤でやられたのかもしれない。Oさんの労を思うと、申し訳ない。かといってヤマガラ相手では招待状を出すわけにもいかない。
Kさんは、ヤマガラは三、四月は子育ての季節だから、また来るだろうと慰めてくれる。エゴノキの花も遠からず咲くだろう。そうすれば好物の実も鈴生りになるはずだ。
妻は今日鉢植えのベニバナエゴノキを買ってきた。これも小さなつぼみが付いている。
(2018.4.15)