恩師「松平和久先生著述集」の御紹介:連載⑪

-『野ざらし紀行』考11.大垣から桑名に 折々の記『チョコレートと素数』―

【紹介者】幡鎌さち江(24回)、吉野いづみ(31回)

 ごきげんよう、皆様。
 色あざやかな春の花々に百千鳥がさえずる季節を迎えた長閑な日本。
 その一方でウクライナ侵攻の衝撃的なニュースが日々、世界中を駆け巡り、罪なき民衆の信じがたい悲劇に心張り裂ける思いの毎日でございます。

 さて、前回の「野ざらし紀行」考十秋の近江路を拝読いたしました。
 吉野にいて義経と静御前を省いたのが西行を際立たせるためであり、「義朝の心に似たり秋の風」の芭蕉の俳句、美濃の章で父・義朝と母・常盤を登場させたことの意味など、松平先生の解説に思わず、なるほどと心引き込まれました。今、大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が話題になっていますが、この時期に「野ざらし紀行」を改めて読ませて頂き、大変勉強になりました。

 また、「古希へのメッセージ」は、とても興味深く楽しく拝読させて頂きました。
「老人六歌仙図」のお話、大変面白く、私もそろそろ心当たりがあることが多い年ごろとなりましたので、自戒を……と心掛けます。
 先生が卒業生たちのために選んだ古希の祝の前登志夫の歌と心のこもったコメントの数々。「狼にはやり病の…」先生のコメントに「どうして人間を絶滅危惧種に指定しないのか。…」に、最近の世相を重ね合わせて感慨深いものがありました。

 なお、前回紹介いたしましたクリエート浜松5階浜松文芸館で開催されている「松平和久先生所蔵品展」を先日、私も観に行って参りましたが素晴らしい展示品の数々、感激いたしました。その折、たまたま会場にて、元しらはぎ会会長・元同窓会副会長を歴任された二橋とき子さんにお会いしましたが、とても興味深く御覧になっておられました。6月19日まで開催されておりますので、是非、皆様どうぞ。

 それでは、今回はまた、どのような楽しいお話をお伺いできるのでしょうか。

2022年4月24日 記

『野ざらし紀行』考 松平和久 十一 大垣から桑名に ― しら魚しろき

大垣に泊まりける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心におもひて旅立ちければ、
  死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮
    桑名本統寺にて
  冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす
 草の枕に寝あきて、まだほのぐらきうちに、浜の方に出でて、
  明けぼのやしら魚しろきこと一寸

 谷木因(ぼくいん)は大垣の回船問屋。杭瀬(くいぜ)川・揖斐(いび)川流域の舟運だけでなく、江戸に行く大きな船も桑名の港に幾艘も持ち、自ら江戸に出かけもした。もともと北村季吟門。西山宗因・井原西鶴らとも交わり、江戸で芭蕉と俳諧を楽しんだこともあった。
 芭蕉は、天和二(一六八二)年三月の木因宛て書簡で「来る卯月末・五月(さつき)の比(ころ)は必ず上(のぼ)り候ひて、御意を得べく候ふ」と大垣行を約束しているが、これは実現しなかった。〈野ざらし〉の旅の目的の一つが木因訪問にあったことは間違いない。
 《死にもせぬ》の句は、出立の時の《野ざらしを心に風のしむ身哉》と呼応する。大垣を〈旅寝の果て〉と観ずる思いは当初からあったのだろう。だが旅はまだ続く。木因の『句商人(あきんど)』によると、このあと木因は舟で芭蕉を多度山権現に案内。さらに桑名本統寺を訪ねる。住職琢慧(たくえ)は風雅の人、俳号は古益亭。《冬牡丹》は季語尽しの挨拶句。木因の《釜たぎる夜半や折々浦千鳥》は、茶を喫し千鳥の声を聞き、俳諧を楽しんだ風流の夜を今に語る。翌朝、芭蕉は浜べで《明けぼのや》の絶唱をよむ。

折々の記『チョコレートと素数』 松平和久

 ヴァレンタイン・デイなど少し前まで耳にしなかったが、老人も、その余沢に預かるのだから、ありがたい話だ。
 今年のヴァレンタイン・デイの姪からの贈物には大いに楽しんだ。カカオの含有量の異なる八種類のチョコレートが入り、箱には世界地図があり、商品の写真と説明がある。ひとつひとつのチョコレートにカカオの産地からとったような名が付けられ、カカオの含有量を百分比で示し、さらに、ご丁寧なことに細かい文字でその特色が記される。
 もっともビターなものの名称はガーナ・エクアドルで、カカオの量は80%、次がマラカイボで66%、ついでトリニダッド59%、エクアドル48%、カレネロ42%、アイボリー・コースト37%、マダガスカル34%と続く。しんがりはホワイト。名は体を表してホワイト・チョコレートで33%。

 陶淵明の〈甚だしくは解せんことを求めず〉をひそかに生活信条としている、万事大まかな私は、これほどの説明はいるまいと思うのだが、食の贅を楽しむ人に言わせるなら、そんないい加減さでは、人生の楽しみを逃してしまうと思うだろう。そんなことをぼんやり考えているうちに、このチョコレートの名前に誘われ、調べてもいいなと思い始める。

 まずは〈ガーナ・エクアドル〉。ガーナはアフリカ大陸の国。エクアドルは南米の国、スペイン語で赤道の意。二つの国名を重ねるのは、二つの国の豆を使うからだろう。
 〈マラカイボ〉は初めての出会い。辞書で検索する。ヴェネズエラの西北部に位置し、近くにあるマラカイボ湖の湖岸と湖底に世界的な規模の大油田があり、20世紀中葉にはカリブ海につながる水路が出来、石油都市とか。昔は湖岸にある、コーヒー豆・カカオ豆の小さな積み出し港だったという。このマラカイボ湖、約一万三千平方キロ。わが浜名湖が猪鼻湖を含め七〇・四平方キロだから想像もできない。それでも必要に迫られないと知らず終いなのが悲しき人間。
 〈トリニダッド〉、これはふつう、トリニダード・トバゴと二つの島を重ねて呼ぶカリブ海の共和国。オリンピックで短距離競技の早い選手が出てきたことで知った記憶が私にはある。
 〈カレネロ〉、これも初めて聞く言葉。説明文には「独特のナッテイ感を持ったベネズエラ産カレネロ・シュペリオール豆を100%使用。口にいれると、・・・」とあるから、豆の名であるとして、シュペリオールはsuperiorだろうから、上質の意としても、肝心のカレネロがさっぱり分からない。さいわい綴は箱に〈Carenero〉とある。図書館で、西和辞典を引いてみる。「《海事》船体修理所」、しかし、なぜ豆の名になるのか。マラカイボ湖上でハリケーンのために遭難した船が、船体修理所にたどり着き、マドロス一同、一安堵、ココアでも飲んだのだろうと想像してそれ以上の追究は止め。
 〈アイボリー・コースト〉、これは懐かしい。子供の頃、我が家の居間に大きな世界地図が貼ってあった。太平洋戦争が始まってしばらくは「皇軍」が優勢で東南アジア、いまのヴェトナム・カンボジア・ミヤンマー・マレーシア・シンガポール・インドネシア・ブルネイ、さらに南太平洋の方に侵攻した。ニュースが伝える土地の位置を知るのに、世界地図は子供にも必需品だった。アフリカの西海岸の黄金海岸、奴隷海岸、象牙海岸を知ったのはそのころのこと。象牙海岸はいまのコート・ディヴォワール、長らくフランスの植民地だった。カカオ豆の産地とは知らなかった。七つ年下の弟がようやく話しはじめたころ、白湯のことを「ぶ-たん」という。地図の前につれて行き、ヒマラヤ山脈のなかのブ-タンを教えたことを思い出す。70年代の初めテル・アヴィブ空港での赤軍派の乱射事件のあったとき、テル・アヴィブは私の語彙のなかになかった。地名のみに限らず、語彙の身に付くのはどういうきっかけなのか、考えてしまう。〈マダガスカル〉インド洋の南、モザンビーク海峡を中にアフリカ大陸に向き合う。

 八種類の名前とココアの含有量の百分比を見ているうちに妙なことに気付いた。トリニダッドの59%、アイボリー・コーストの37%、この59と37とは素数ではないか。日頃小さな買い物はするが乗除の必要になることすらない。ましてや素数など関係はない。しかし、小川洋子の『博士の愛する数式』を読んで以来、なぜか気になる。
 A新聞の連載コラム欄に「福岡伸一の動的平衡」というのがある。一月の終りから二月にかけ素数の話が載った。31は素数、331、3331、33331も素数、それが3が七つ並ぶところまでは素数だけれども、そのつぎ八つ並ぶと17で割り切れる。13と31、37と73のように反転しても素数のものをエマ-プというとか、今年2017年は素数だとか、楽しい話をたくさん教えられていたから、ヴァレンタイン・デイの贈物の数字を見ていて、素数に反応したのだろう。姪には口腹の楽しみを味わっただけでなく、素数の発見、辞書を引く楽しみまでも頂戴したと、はがきを書いた。
 当地の新中学生が、小学六年のときに分数の物差しを発案したという嬉しい記事が、四月三日の新聞に載った。後生畏るべしである。発案のヒントに京都大学の「素数の物差し」があるという。どんなものか知りたい思いが募る。

(2017.4.10)