恩師「松平和久先生著述集」の御紹介:連載⑩

-『野ざらし紀行』考10.秋の近江路 折々の記『古希へのメッセージ』―

【紹介者】幡鎌さち江(24回)、吉野いづみ(31回)

 ごきげんよう、皆様。
 時は今、三寒四温の今日この頃、白梅、紅梅、河津桜など美しい季節となりましたが、遥か遠くの地、ウクライナでは春の嵐が吹き荒れ罪のない民衆が苦しんでいる姿が毎日、報道されています。本当に心痛むことでございます。一刻も早い平和が訪れることを願ってやみません。

 さて、前回の松平先生の「『野ざらし紀行』考九西上人の庵」を拝読いたしましたが、千本桜で名高い吉野に西行庵があり、芭蕉も松平先生も訪れたとの由、私も一度は訪れてみたいと心惹かれました。桜の季節のみならず、紅葉、新緑も風情があることでしょう。
 また、高校時代に習った漢文、伯夷・叔斉、理想の政治を行ったという帝堯(ぎょう)・帝舜(しゅん)の話などを思い起こしました。そして、いつの時代も国を率いる指導者が如何なるかによって、人々の幸・不幸が左右されるのだと痛感させられました。

 「折々の記」の『あるクラス会』を拝読。松平先生の人望もさることながら、クラス会の皆様、本当に素晴らしいですね。
 先生の好きな詩人・小説家清岡卓行と言えば、清岡卓行と親交のあった原口統三の『二十歳のエチュード』を思い出し、興味深く読み進ませて頂きました。そして、清岡卓行が日中文化交流協会の訪中団の一員として訪れた蘇州の寒山寺、張継の七言絶句「楓橋夜泊」など……。

   楓橋夜泊   張継
 月落ち烏(からす)啼(な)いて霜天に満(み)つ
 江楓(こうふう)漁火愁眠(しゅうみん)に對す
 姑蘇(こそ)城外寒山寺
 夜半の鐘聲(しょうせい)客船に到る

 さすが松平先生の最初に担当された卒業クラスの大先輩たちのクラス会のお話、大変勉強になりました。羨ましい限りです。

 なお、最後になりましたが、以下、松平先生の素晴らしい収蔵品展のお知らせです。

  • 2022年3月3日~6月19日
  • 令和3年度 浜松市教育文化奨励賞 受賞記念
  • 「古典文学研究家 松平和久氏 所蔵品展』
  • (場所)クリエート浜松5階浜松文芸館展示室

 松平先生が長年にわたって収集された所蔵品の数々が展示されています。
 是非、御興味のある方は会場を訪れて下さい。

 それでは、今回はまた、どのような楽しいお話をお伺いできるのでしょうか。

2022年3月5日 記

『野ざらし紀行』考 松平和久 十 秋の近江路 ― 義朝の心に似たり

 大和より山城を経て、近江路に入りて、美濃に至る。今須・山中を過ぎて、いにしへ常盤の塚有り。伊勢の守武(もりたけ)が云ひける、義朝殿に似たる秋風とは、いづれの所か似たりけん。我も又、
  義朝の心に似たり秋の風
    不 破
  秋風や藪も畑も不破の関

 「大和より山城を経て、近江路に入りて、美濃に至る」のだが、細かな足取りは分からない。今須は近江から美濃路に入って最初の宿駅。山中は関ヶ原のあたり。
 吉野にいて義経と静御前とを思うのは、謡を嗜(たしな)む人や歌舞伎好きなどには普通のことだろう。義経ファンの芭蕉がそれに触れないのは意外である。架蔵の一枚物の『新板吉野山名所記』にも、義経の大蛇退治や、勝手(かつて)明神での静御前の法楽の舞のことまで載っている。義経と静御前を省いたのは、西行を際立てるためなのだろう。代りに次の美濃の章で、父義朝と母常盤を登場させる手際は憎い。『山中常盤』は常盤が義経を訪ねて平泉に行く途中、この地で病に罹り、野盗に殺される伝承。
 また、平治の乱に敗れた義朝は美濃の青墓(あをはか)まで逃れ、そこで深手を負ったわが子朝長(ともなが)の命を絶つ。《義朝の》の句は、寂しい義朝の心の奥をとらえるとともに、先輩の俳諧師荒木田守武へのオマージュとなる。
 《秋風や》の句は、新古今集の代表歌人、藤原良経の《人すまぬ不破の関屋の板びさし荒れにしあとはただ秋の風》を踏まえる。とりわけ珍しいわけでもないが、この句は名詞と助詞とだけで出来上がっている。

折々の記『古希へのメッセージ』 松平和久

 文化の日に、昔教員をしてはじめて卒業年次に担当した教え子の古希の会に招かれた。
 この会では近頃は、はじめに、だれかが話をする。先回は医師のYさんが、加齢にともなう健康上の留意点の話をした。飲酒をして風呂に入る害など、その時はメモを取って聞いたが、大方は忘れてしまった。

 今回は、浜松の大きな禅寺の住職のIさんが、当節の葬いの話や釈迦の教えなどについて語った。その中で、仙厓和尚の『老人六歌仙図』とそれに添えられた和歌の話が面白かった。
備忘と自戒のためにも、少し注を加えてここに書いて置きたい。

◇しわがよる、ほくろが出来る、腰まがる、頭がはげる、ひげ白くなる

◇手は振ふ、あしはよろつく、齲(は)は抜ける、耳は聞えず、目はうとくなる

◇身に添ふハ、頭巾・襟まき・杖・目鏡・たんぽ・温じやく・しゅびん・孫の手
*〈たんぽ〉は湯たんぽ。〈温じやく〉は温石。軽石などを温め布で包み懐炉とした。〈しゅびん〉は溲瓶〈しびん〉とも。

◇聞きたがる、死(しに)とむながる、淋しがる、心が曲る、欲深くなる
*〈死とむながる〉は、「死にたくもない→死にたうもない→死にともない→死にとむない」と変化した語の動詞形。
本能の素直な現れ?仏教ではこの世への執着?

◇くどくなる、気短かになる、愚痴になる、出しゃばりたがる、世話やきたがる

◇又しても同じ咄に、子を誉(ほむ)る、達者自まんに、人はいやがる

 私は普段挨拶のための準備はしない。ただアド・リブだと、いわずもがなの話になる。近頃はそれもひどい。彼らの古希の祝いとなれば、いい加減なこともはばかられる。
 最近、前登志夫(一九二六~二〇〇八)の歌集『大空の干瀬(ひし)』を繰り返し読んでいる。思索に誘う歌集だ。そのなかから古希の祝いになり、でき得れば、彼らが半生を顧みることのできる歌を選んでみたい。そんなことを思い立った。いく日か後、どうやら形が定まって、当日の朝、ワープロに向かった。それが次の十首。短いコメントをつける。

◇空高く栃の花咲き草青しあやまちて人は生まれしならず
*もともとは半生を顧みての感懐だろう。それを誕生のときの歌に転用してみた。

◇石投げて青竹ひびく谷間なり少年の日の淋しさ消えず
*少年の感傷も生きる糧の一つになる。

◇人間がけものに近くひと恋ひば山のもみぢの空に炎ゆるも
*〈けものに近く〉は単に比喩ではない。

◇羽化せむとする山繭のさみどりを目守りゐたれば水無月の盡
*ヤママユガの羽化に畏敬の念を持つ生命の賛歌。

◇鬱然と青葉の匂ふこの朝明(あさけ)いのちを山の神に預けむ
*人間は絶対的な存在ではない。素朴な宗教心が生きる苦しみを支える。

◇未開なるゆゑに尾を曳く山人の尾の聖性を思ひみるかな(井光(いひか))
*神武東征の折、吉野の地で天孫族に屈した未開の有尾人〈井光〉は、吉野に生まれた前登志夫にとって遠祖である。

◇狼にははやり病のありけむか文明といふもはやり病か
*ニホンオオカミはすでに絶滅した。どうして人間を絶滅危惧種に指定しないのだろうか。文明は病ではないのか。そうした問いに向き合うべき時はきている。

◇生くるとは死の縁(へり)あゆむ行ならむ春山の雪いつしかに消ゆ
*〈死の縁〉を歩む末にはじめて来る希望の光を歌人は信じている。

◇人間の幸福とは何ゆっくりと山に生きたり老いふかめつつ
*せっかちに何かをしようとする気持はない。ただ不思議に〈老い〉とともに〈人間の幸福とは何〉と問う気持は強い。歌人の思いに私は共感している。

◇晩年をもつとも若く生くべしと秋草の野のつゆふみしむる
*これも容易なことではないが、歌人の自恃を学びたい。

 話を終えて席に戻ると、同じ円卓にいたSさんがやってきて、吉野・熊野とこの国の歴史についての話をしてくれた。八咫(やた)烏・大海人皇子・丹生川上神社・後醍醐天皇と話は尽きなかった。
 Tさんは和歌やいろは歌、音数律のことなど話し、前登志夫の歌を君が代のメロデイーにのせた。
 メッセージ、よく分かりました。そうですね、といってくれたのは医師のYさんだった。《晩年を》の歌への感想だったのだろうか。

2013.11.5

(写真撮影・提供)
北高15回・大野拓夫様

(写真撮影・提供)
北高15回・大野拓夫様

(写真撮影・提供)
北高15回・大野拓夫様