恩師「松平和久先生著述集」の御紹介:連載⑧

-『野ざらし紀行』考8.吉野山の僧坊―碪打ちて、8『ラリー狂詩曲その二』

【紹介者】幡鎌さち江(24回)、吉野いづみ(31回)

 しらはぎ会の皆様、明けましておめでとうございます。
 今年こそは、新型コロナウィルスも終息して、素晴らしい年となることを願っております。

 さて、昨年11月下旬に、私たち2人は松平先生とお会いして、楽しいひと時を過ごせていただきました。その時のお写真掲載できれば良かったのですが、あまりの嬉しさに時のたつのも忘れ、残念ながら写真を撮ることも忘れてしまいました。その時、先生から2人が頂戴いたしました本を載せさせて頂きます。

 さて、連載⑦の「野ざらし紀行」考の「同行千里の旧里」、松平先生の解説がとても勉強になり、興味深く面白く拝読させて頂きました。
 「竹林の奥から聞こえてくる綿弓のびんびんと鳴る音を琵琶に喩える。竹と琵琶は隠士の象徴である。」なるほど、素晴らしい光景が……!高校で習った竹林の七賢人に想いを馳せました!
 すっかり忘れていた当麻寺の中将姫伝説、芭蕉が寺の巨松に長寿を得たのだとの話、私のようなものでも、芭蕉の想いを追体験する感動を覚えました!

 「折々の記」の『中国の水』について。
 松平先生が長江三峡ダムを訪れた2005年から15年あまり。
 先生が心配された「中国の水」の問題は、昨年は相次ぐ記録的な豪雨による大規模洪水として、ニュースを通して私たちも知らされました。そして、温暖化による被害は他人事ではなく、今まさに地球規模で先生の仰る「人知の横暴」が「しっぺ返し」を味わいつつあるのではないかと思います。何とかしなければ!との思いに駆られる先生のお話でした!

 それでは、今回はどのような素晴らしいお話がお伺いできるのでしょうか?
 ごきげんよう、しらはぎ会の皆様。

『野ざらし紀行』考 松平和久 八 八吉野山の僧坊-碪(きぬた)打ちて

 独(ひと)り吉野のおくにたどりけるに、まことに山ふかく、白雲(はくうん)峯に重なり、烟雨(えんう)谷を埋ンで、山賤(やまがつ)の家処々にちひさく、西に木を伐る音東にひゞき、院々の鐘の声は心の底にこたふ。むかしよりこの山に入りて世を忘れたる人の、おほくは詩にのがれ、歌にかくる。いでや、唐土(もろこし)の盧山(ろざん)といはむも、またむべならずや。

  ある坊に一夜をかりて

  碪(きぬた)打ちて我にきかせよや坊が妻

 竹の内の千里のもとを辞(じ)して、芭蕉はひとり吉野山を目指す。漢語と和語の按配(あんばい)、視覚と聴覚の働き、対句(ついく)の使用などが相俟(あいま)って、山水画を見る趣(おもむき)がある。また白雲・烟雨・伐木・院々・鐘声といった語は、漢詩を思い起こさせることから、それらの出典についても云々(うんぬん)されている。最後に吉野を唐土の廬山になぞらえる。廬山は揚子江の中流域の九江市にある名山。文人たちの遊んだところだが、とりわけ文人政治家白楽天が左遷(させん)され蟄居(ちっきょ)の日々を過ごして詠(よ)んだ詩は、わが国で好まれた。
 吉野には当時から、妻を持つ僧の住む寺があった。妻帯寺といわれる。芭蕉はその宿坊に泊まる。み吉野の山の秋風さ夜更けて古(ふる)さと寒く衣打つなり、新古今集にのる藤原雅経の歌を思い、砧を打って聞かせてくれと、坊が妻に頼む。
 猿を聞く人、芋洗ふ女、坊が妻、……堀切実は『表現としての俳諧』で、芭蕉の句に多い「対詠的発想」を日本文学史の中に位置づけ、それが「独詠的発想」に座を譲るようになっていることを指摘する。俳句人に勧めたい本である。

折々の記『ラリー狂詩曲 その二』 松平和久

昨年の五月に「ラリー狂詩曲」と題して、わが愛犬記を書いた。これはその続き。親馬鹿ならぬ、犬の飼い主馬鹿の話である。
 あの時から一年あまり、犬の行動もずいぶん変わった。進歩もあれば、退歩と言うべきものもある。

 書斎の書物の谷間で憚(はばか)りなく小用をしていたラリーは、主人の愛書癖に敬意を抱き始めたらしく書斎を汚す不届きは卒業し、便利、すなわち大小便の排泄は必ず後架でする。そればかりか、五枚も六枚も敷いていた〈においOFFシート〉も、いまはほぼ二枚で足りるようになった。ただし家が狭く、ラリーと人間様が後架を共用することになったのは育犬上の大失敗で、後架のドアは閉めることができない。こんな愚かしい飼い主がほかにいるのだろうか。

 二階への階段を軽やかに上っていたラリーは、調子に乗り過ぎたか、あるとき、踏み外し、四・五段墜落した。それ以来、階段を自力で上がることはできない。おかげで二階の和室はドッグランにならず、二階で横になっていて顔を嘗(な)められる心配もなくなった。これを運動能力の退歩とみるか、一度の体験で危険の存在を察知した聡明さとすべきか。
 我が家の近くは三方原台地の南隅で道に坂や階段が多い。散歩の折に通る階段は軽やかに上り下りするのに、家の階段となると、一番下の段に前足をかけるだけ。それでも、幼少の頃二階に駆け上った心地よさはインプットされているらしく、私が二階に上がろうとするといち早く感じ取り脚にまつわりつく。そのたびごとに、甘い飼い主は抱き上げて階段を上る。
 二階の物干し場に連れていくと、喜びようは並ではない。叫び声を上げ、飼い主の手を噛み、喜びを表わす。傷こそ付かないが、名にし負(お)う犬歯だから、結構痛い。それを承知で物干し場に抱えて行くのだから、潜在的なマゾヒストなのだろうか。夏は夕方はコウモリが、朝は燕が飛び交う。屋根の上を飛び、物干し台をかすめる。ラリーは当然のこと、狂喜する。遠くの道を犬を連れた人が通ると、目敏く見つけてエールを送る。××と鶏は高いところが好きと聞いたけれど、犬も高いところは満更(まんざら)ではないらしい。
 農作物の鳥による被害を防ぐために、大きな目玉を描いた大きな風船ようなものを畑などにおいて威嚇(いかく)することがある。目玉に直視されるのは動物には嫌なのだろうか。人間でもジロジロ大目玉を向けられると、視線を避けたくなる。家の中には円筒状のものがいろいろある。お茶や海苔の缶もそうだし、ウェット・テイツシュの容器もそうである。それらが倒れると、ラリーには不気味な目玉となり、なかなか吠え止まない。また、長い棒状のものもお気に召さない。

 ラリーは自分ではほえ立てるくせに、大きな人工音を好まない。だからテレヴィ番組には気に入らないものが少なくない。
 私の音楽好きを知り、色々な音楽情報を教えてくれたり、珍しいCDを贈ってくれたりするO君という教え子がいる。そのCDの贈物にある時、三善晃の『レクイエム』があった。
 『反戦詩集』や『海軍特別攻撃隊の遺書』のなかの言葉をはじめ、中野重治、金子光晴、石垣りん、宗左近らの詩句を挟み、太平洋戦争で若くして亡くなった人々をはじめ命を失ったもろもろのものへの鎮魂歌なのだが、神の死んだ時代のレクイエムだから、その曲から聞こえてくるのは、激しく軋(きし)る音、耳を聾(ろう)する打楽器の響き。その断絶と沈黙。さらには、地の底からの呻(うめ)きのような混声合唱である。
 次第に慣れてはきたのだが、初めてこの曲を聴いたときのラリーの興奮は激しく、コンポに向かって吠え立てた。それは花火や雷や自動車のエンジンをふかす爆裂音に対するのと違いはなかった。わが愛犬の現代音楽鑑賞能力の不足を棚上げしていうのだけれども、現代が動物にとり、動物であるヒトにとり生き難い環境であることだけは確かだろう。

 朝夕の犬の散歩のときなど、つまらぬ事を犬に話しかけている。親しい犬の姿を認めると尻尾を振り、綱を引く、〈朋あり遠方より来る〉。Sさんはいつもポケットにチーズを入れていて、会うとラリーにくれる、〈早起きは三文の得だな〉。道に落ちている怪しげなものを口に入れようとする、〈武士は食わねど高楊枝だぞ〉。道の右側に行き左に転ずる、〈中庸が大切だぞ〉。積み上げてある本の山を崩す、〈なんだ、積み木遊びか〉。座り机で本を広げていると前足をかけ、覗き込む。涎でも落とされると一大事である。〈ほう、おまえの垂涎の書か〉。どんな言葉も黙って聞いて(?)いる。人間の世界では煙たがれるのが落ちだろうに。
 そんなこんなで、困らされても叱る気にならない。妙なことだが、どう考えても家内への応対より優しい。こんなことを知られると家内の恨みを買い兼ねない。

(2018.8.10)