第100回:亀屋清永の「清浄歓喜団」と「星づく夜」

 この度、「京都暮らしあれこれ」は第100回となりました。2013年から連載を始め、ここまで回を重ねることができるとは予想もしていませんでした。お読み頂きました皆様に厚くお礼申し上げます。
 区切りの回で取り上げるお菓子は亀屋清永の「清浄歓喜団」と最初から決めていました。というのは、京都つまり日本における元祖お菓子であることと、私が京都に暮らし始めて間もない頃に出会い、非常に感銘を受けた思い入れのあるお菓子だからです。

 100回目のお菓子にふさわしい「清浄歓喜団」。この不思議な名前と形をしたお菓子は奈良時代、遣唐使により我が国に伝えられた唐菓子(からくだもの)の一種です。歓喜団は、歓喜天(すなわち聖天=しょうでん)に供えるもので、略して「団喜」、京都では「お団」と言います。数多い京菓子のなかで、1000年どころではない、1200年の歴史を昔の姿そのまま、今なお保存されているものの一つです。そして日本で唯一作っているのが亀屋清永なのです。
 唐菓子とは、仏教と共に伝わり、天台宗、真言宗などの密教のお供えものでした。当時はとても一般庶民は口にすることはできず、貴族のみにあたえられました。仏教において荘厳な場を作り上げるために使われた「清め」の意味を持つ白檀(びゃくだん)、桂皮、竜脳(りゅうのう)など7種のお香を「こし餡」に練り込み、米粉と小麦粉で作った生地で金袋型に包み、八葉の蓮華を表す八つの結びで閉じ、上質な胡麻油で20分ほど揚げてあります。小豆あんを用いるようになったのは、江戸時代中期以降と伝えられ、伝来した奈良時代には栗、柿、アンズなどの木の実に、甘草(かんぞう)や甘葛(あまづら)で味を付けて餡にしていたようです。製法は天台宗総本山・比叡山延暦寺の阿闍梨(あじゃり)さんから秘法を伝えられたとのことです。作るときは前夜から精進潔斎をして動物性のものはもちろん、匂いがつかないようネギや柑橘系も口にしないそうです。「全国のお寺さんから注文をいただくので、月の半分は精進潔斎をしていることになります。」と現17代目ご当主、前川清昭さんがおっしゃっていました。

 実はなぜ私がこのお菓子に思い入れがあるのかというと、私にとって教科書、いえバイブルとも言える『和菓子の京都』を入手したのは発売直後の1978年1月、冒頭に書いたように京都で暮らし始めて間もない時でした。眺めていて「清浄歓喜団」に強烈な印象を持ち、真っ先にお店に買いに行ったのです。お正月だったからか、私は連れ合いと上田紬の着物を着ていました。嫁入り支度に母が知り合いを通じて織ってもらいお揃いで誂えてくれた着物です。接客してくださった先代の奥様(つまり16代目夫人)に着物をほめていただいたのをよく覚えています。それから6年後、息子の小学校での4月の参観日、隣に立った方が
「祇園で和菓子屋をしています。」と話され、
「祇園のどのお店ですか?」
「亀屋清永です。」
どんなに驚いたことでしょう。しかも出席番号(あいうえお順)が堀川・前川と前後だったのです。ついでに言うと、息子の前が老舗呉服問屋・細尾の跡取り息子でした。担任に「細尾、堀川、前川が問題だ」とヤンチャ坊主3人組のように言われたことがありました。前川くんは18代目を継ぐ方です。小学校時代はお互いの家を行き来してよく遊んだものでした。その時に「一子相伝なので、お団はおじいちゃんとお父さんと僕しか作ることができない。」と言っていました。

 祇園、八坂神社の石段下南に店を構える亀屋清永は創業元和3(1617)年。江戸幕府が御所に納めることができる「禁裏御用達」の上菓子司をわずか28軒のみに許しました。上菓子とは上等な菓子の意味ではなく、献上菓子という事です。その28軒は「京御菓子司」と呼ばれ、亀屋清永もその一軒でした。明治になってからは「菓匠会」という名の京菓子仲間の会が続いていて来年2027年には140年にもなるそうです。その中でも亀屋清永は御所のみならず、諸藩諸侯、寺社仏閣に出入りを許され、もう400年も続いている老舗です。気が遠くなりそうな年月です。おばあちゃん、つまり先代夫人からは「戦時中は砂糖がなくてお菓子が作れず、滋賀で畑をしていました。」と、いろいろな時代を乗り越えて今がある、とのお話を聞かせて頂きました。そして、お団を用意している間にお抹茶と生菓子を振る舞ってくださいました。ある時は、確か知恩院さんだったと記憶していますが、そこの奥様が注文していたお菓子を取りに来られて、さっと帰って行かれました。
 お団は少しオーブントースターで炙ってからいただくと、胡麻油とお香のかおりが立ち、家族みんな大好きです。「清浄歓喜団」は日本中で亀屋清永でしか作っていないお菓子です。京菓子に興味を持つきっかけになった、私にとって特別なお菓子なのです。

 6月16日、久しぶりにお店に行って来ました。変わらぬ店構えで、寺社御用達の木札が掲げられているのを改めて見て、写真を撮らせていただきました。お店の方に「用意しますので、掛けてお待ちください」と言われ、「あ~老舗のお菓子屋さんはこんなスタイルよね。」とうれしくなりました。
 以前はなかった季節の棹物「星づく夜」のあまりに美しい青い棹物に目を奪われ、こちらも購入しました。パッションフルーツとレモンの「琥珀羹」です。江戸時代には「錦玉羹」という名称が一般的だったそうで、寒天と砂糖を煮詰めて冷やし固めたものです。「月」を羊羹で、「星」を口当たりのよい淡雪羹で作り、一つ一つ手作業で配置しています。透明な層とブルーの層の2層仕立てになっているのは銘々皿に切り分けた時に気が付きました。18代目の前川くんが生み出し16代目のお祖父様が「星づく夜」と名付けられたそうです。もう一点、ミントグリーンの琥珀羹の方は購入しませんでしたが、そちらは17代目の父上が「星に祈りを」と命名されたそうです。なんと素敵な姿と名前でしょう。冷んやりと爽やかな食感は期待通りでした。自分で撮影したのはこんなに上手に撮れませんでしたので、お店のホームページの画像をお借りしました。

 ご当主は「温故知新」との言葉を大切に1200年も前に伝わったお菓子を変わらず守り作り続けながら、創業から亀屋清永400歳記念のフルーツのお菓子も創作し、老舗を背負って日々修行努力されています。本当に頭が下がります。これからも末永く続いてくださいますように、和菓子好きの私は願っています。
 久しぶりにいただいたお団のお味は個包装の袋を開けた途端に、香ばしい胡麻油とお香のかおりが部屋に漂い、空気が清められたように感じました。ご主人が一つ一つ丁寧に作られたのだなあと感慨もひとしおでした。

【参考文献】

  • 鈴木宗康「京菓子のあゆみ」『京のお菓子―伝統のある名菓とお菓子司案内』暮らしの設計118号、中央公論社、1978
  • 「清浄歓喜団の由来」しおり
  • 中村孝也『和菓子の系譜』図書刊行会、1990

【参考サイト】

2026.6.18 高25回 堀川佐江子記)

 このたび、「京都暮らしあれこれ」を掲載していただいている母校同窓会女子部「しらはぎ会」が活動を終えることになり、ホームページもそのうち閉鎖となります。とても残念で寂しいです。でも私が関わっている浜松北高関西同窓会のホームページで掲載していただけることになりましたので、次回からはそちらで続けていこうと思っています。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。