第92回:平等院の藤と宇治駿河屋の「茶の香餅」

 5月1日、京都に来て初めて藤の花見に行って来ました。思い起こせば、52年前、浜松の方ならご存じの磐田市にある熊野(ゆや)の長藤を亡き両親・兄と見に行って以来です。
 京都で有名な鳥羽の藤、城南宮の藤はすでに終わっていたので、宇治・平等院に行って来ました。いきなり入り口に藤棚があり、きれいに揃って垂れ下がる藤に感動しました。入場券を買い、玉砂利の上を歩くとすぐの所にもっと立派な藤棚がありました(画像右)。まさに満開、見頃。京都はコロナ前よりはるかに外国人が増えていますから、GWは出控えようかと迷いましたが、思い切って出かけてよかったです。手前に藤を、奥に鳳凰堂を入れたら素敵な写真になると思いましたが、同じことを考える人がたくさんいて、撮影はとても無理でした。
 平等院は永承7(1052)年、関白藤原頼通により、父道長の別荘を寺院に改め、創建されました。その翌年、天喜元(1053)年に阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が建立され、それが現在鳳凰堂と呼ばれている建物です。

 藤原氏の代表的な家紋は「下がり藤」です。また、藤原氏の氏神である奈良の春日大社の社紋もおなじく「下がり藤」です。春日大社の藤は境内各所に古くから自生し、藤原氏ゆかりの藤ということで大切にされ、次第に定紋化されたそうです。何度も拝見している春日大社の「薪御能」が行われる舞殿近くに「砂ずりの藤」があります。画像は春日大社のHPより拝借しました。長さ1m以上にもなり、砂に擦れることから名付けられたとのことです。薪御能は5月半ばに行くので、だいたい盛りが過ぎていました。樹齢800年にもなり、藤原氏直系の五摂関家筆頭の近衛家から献木されたものだそうです。

 藤は日本の固有種です。私は薄紫色が大好きなので、以前から藤を見たいと思いつつ機会を逃していました。数年前、娘が大阪市福島区野田(阪神電車梅田から2駅目)に住んでいた時、野田が藤の名所だと教えてくれたことがきっかけになり、強く見たいと思うようになりました。画像は2019年4月27日に娘が野田阪神駅前で撮影したものです。「藤」とはマメ科、フジ属、別名ノダフジと言い、大阪近郊の野田村に群生していたから付いた名前のようです。室町幕府2代将軍・足利義詮(よしあきら)や豊臣秀吉が藤見物をした記録があり、江戸時代には「吉野の桜、高尾のもみじ、野田の藤」と言われるほどの藤の名所でした。

 日本のフジの自生種は平地に咲くものと山間部に咲くものの2種があります。牧野富太郎博士は明治39(1906)年に、総称としての藤と区別するために、つるが右巻きの前者を「ノダフジ」または「フジ」、左巻きの後者を「ヤマフジ」または「ノフジ」と名付けました。「ノダフジ」は花房が長く優雅な雰囲気があり、「ヤマフジ」は花房が短くずんぐりとしています。つまり、美しく垂れ下がる「ノダフジ」が標準和名となったのです。

 平等院からの帰り道、以前第35回「茶団子」で取り上げた「稲房安兼」に寄り、「茶のだんご」を買い求めました。店先に見事な藤の鉢植えが置いてあったのでお店の奥様に「美しいですね。」と話しかけると「平等院の藤を手入れしている植木屋さんが同じ品種を鉢で育てて持って来てくれるのです。」との答えでした。目が覚めるような藤色の房を目の前で見ることができて、さらに幸せな気分になりました。

 今回のお菓子は参道入り口にある、宇治駿河屋の「茶の香餅」にしました。「茶の香餅」はどこにもないお菓子を目指して作ったオリジナル銘菓、としおりにあります。たしかに茶団子や抹茶羊羹等と違い、ここのお店にしかありません。小豆こし餡や和三盆糖をねりこんだやわらかな餅を宇治抹茶と京碾(きょうびき)きな粉でふんわり包んだものです。宇治駿河屋は明治後期に京都駿河屋の宇治店として宇治の地に誕生しました

 今日になって、昨年2024年に発行された新五千円札の裏が藤の花であることに気が付きました。財務省によると「紫色の五千円券には、古事記や万葉集にも登場し、日本では古くから広く親しまれている「フジ(藤)」の花を採用しています。」とあります。長く垂れ下がったフジはノダフジです。五千円札の表の人物ばかり見ていました。来年こそはノダフジを見に野田まで行きたいです。

【参考文献

  • 「平等院」しおり
  • 宇治の香り「茶の香餅」しおり

【参考サイト】

2025.5.5 高25回 堀川佐江子記)