第82回:湯島天神の白梅

 菅原道真ゆかりの北野天満宮はただ今、梅苑「花の庭」が公開され見頃を迎えています。2万坪といわれる境内には紅梅が多いなと感じていたところ、平安時代、道真は自邸の紅梅殿で丹精込めて紅梅を育てていた、と史料にあるそうです。北野天満宮と道真については第20回北野天満宮と「粟餅」に書きました。

 私ごとで恐縮ですが、上の息子が少し前に文京区湯島に引っ越しました。湯島天神のすぐ近くですので、2月末に行った折りお参りして来ました。ちょうど2月8日から3月8日が「梅まつり」でした。こじんまりとした境内にはあちこちに梅の木があり、神社そのものが梅苑のようでした。白梅がほとんどで、たまに紅梅があるくらいです。神社のホームページによると、300本のうち8割が白梅ということです。梅の木のすぐそばを歩くことができるのでマスク越しでも梅の香りがしました。
 湯島天満宮は458年、雄略天皇の勅命による創建と伝えられ、天岩戸から天照大御神を引き出した天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)をお祀りしたのが始まりだそうです。下って正平10(1355)年、郷氏が菅原道真公の御遺徳を慕い、本社に勧進し併せてお祀りしました。神社のしおりによると、文明10(1478)年、江戸城の基をつくった太田道灌がこれを再建し、天正18(1590)年、徳川家康が江戸城に入るにおよび、特に当社を崇敬すること篤く、翌年豊島郡湯島郷の内5石の朱印地を寄進、祭祀の料にあて、文教大いに賑わうようにと道真公の遺風を仰ぎ奉ったとのことです。その後、新井白石など学者・文人の参拝も多くあったそうです。

 境内に『婦系図』の作者、泉鏡花の筆塚がありました。里見弴、久保田万太郎らにより、鏡花が生前愛用した筆墨をうずめて石碑を建てました。『婦系図』は何度か映画化され、新派の舞台にもなっています。「湯島の白梅」という歌謡曲でも有名だそうです。私は何にも知らなくて、DVDを借りて見ました。1962年公開の大映制作、三隅研次監督。早瀬主税を市川雷蔵、芸者お蔦を万里昌代が演じていました。恩義のある師匠に将来を考え「師を取るか、女を取るか」と迫られ、夜の湯島天神の境内に連れ出し、別れ話をするときに、白梅が咲いているのです。まぁひどい話です。北高の先輩野栗さん(高23回)と話していたら「オペラだってひどい話ばかりだよ。歌舞伎だってそう。」と言われ、素直に納得しました。

 今回、朝日がまぶしい湯島天神でお参りし、社務所で「この神社の近くに和菓子屋さんはありますか?」とたずねました。するとすぐ近くにある「つる瀬」を教えてくれました。一番は豆大福との答えでしたので、「湯島天神にゆかりのお菓子は?」と改めて聞くと「ふく梅」とのことでした。早速行ってみました。

 映画にも出てきた緩やかな女坂(画像は神社のホームページより拝借しました)を下り、天神下の交差点までくると立派なビルの1階に「つる瀬」はありました。「ふく梅」はういろう生地に梅しそ餡、上には本物の小梅が乗っています。お店は昭和5年創業、「ふく梅」は平成14年の菅原道真公千百年大祭の献上菓子として作られたそうです。種も入っている小さな梅干しが、柔らかいういろうに包まれた餡の甘さをちょうどいい加減にしていました。まさに塩梅(あんばい)です。

 私は湯島天神の存在はもちろん知っていましたが、「湯島といえば白梅」というほど有名なのも、それが泉鏡花の『婦系図』から来ていることも知りませんでした。私はご丁寧にも友人に「湯島の白梅ってふけいずに出てくるのね?」と言ってしまい、「おんなけいず」と訂正されたのです。穴があったら入りたかった。私がろくに本を読んでいないことがバレたのでした。

 ところで『婦系図』をいろいろ調べたら、この小説は作者が自分のことを書いたもので、師匠は尾崎紅葉、早瀬主税は泉鏡花、そして芸者お蔦は神楽坂の元芸者すずのことでした。師匠の没後鏡花とすずは晴れて結婚し、添い遂げたそうです。本当によかったです。私はやはりハッピーエンドがいいです。

【参考文献

  • 「湯島天神」しおり
  • 「つる瀬」しおり

【参考サイト

2023.3.3 高25回 堀川佐江子記)