第79回:NY・ワシントンD.C.の教会めぐりとNYチーズケーキ

 3月1日より水際対策が緩和され、アメリカからの入国は自粛期間がなくなり、公共交通機関も使用可能となりました。それで3月2日、JALのサイトで3月22日の伊丹→羽田→NYのチケットを取りました。PCR検査は日本帰国時には72時間以内の検査でOKですが、アメリカ入国では搭乗の前日と厳しくなったため、21日午前に前回と同じ京都駅前のクリニックで検査し、19時に陰性通知を受け取りました。

 羽田からの直行便は本当に楽で、13時間ほどでNYのJFK空港に到着。時差が-13時間なので、ちょうど羽田を出発した時刻と同じ、現地時間午前11時ごろに着きました。
 週末は娘とワシントンD.C.に小旅行しました。ここはアメリカの政治の中枢、NYと打って変わって整然と静かな街でした。地下鉄駅は天井が高く、頑丈そうで有事のときにはシェルターになるのかと思うほどでした。スミソニアン協会が総轄する博物館・美術館・動物園・研究部門は全部で19もあります。そのうち16が国会議事堂からワシントン記念塔に至るナショナルモールと言われる広大な庭園と緑地の中に点在しています。ワシントンD.C.のD.C.とはDistrict of Columbiaのことで、ワシントン・コロンビア特別行政区といいます。つまり、建国の父George Washingtonとアメリカ大陸の発見者と言われるChristopher Columbusの二人のアメリカ建国の礎になった人物の名前が含まれています。
 スミソニアン博物群の一つ、国立自然史博物館の目玉は45.52カラットのブルーダイヤで、ホープダイヤモンドとして知られています。他にも、見たことのないような大きくて美しいルビーやブルーサファイアがいくつもあり、色石好きの私は動けなくなってしまいました。他に国立アメリカ歴史博物館、スミソニアン協会には属しませんが、すぐ近くにあるナショナル・ギャラリー(国立絵画館)を2日間じっくり見学しました。すべて入場無料です。

 27日の日曜日には教会のミサに出かけました。まず一つ目、9時にタクシーで「無原罪の御宿りの聖母教会(Basilica of the National Shrine of the Immaculate Conception)」に行きました。近くに見頃を迎えた桜並木があり、ワシントンD.C.にはポトマック河岸だけでなく、桜の木があちこちにあるのを知りました。この「無原罪の御宿り」とは、聖母マリアが、神の特別な恵みによって、その母アンナの胎内に宿り、この世に生を受けた瞬間から原罪を免れていた、とするカトリック教会における教義です。これは1854年教皇ピウス9世によって定められました。
 今年の復活祭は4月17日ですので、3月27日はレント(Lent)と言って四旬節つまり、キリストの受難を記念して断食・精進を行う40日の期間に当たります。ミサは讃美歌と聖書の一節を読み上げることが繰り返され、司祭の説教、聖体拝領があり終わります。英語の説教はさっぱり理解できませんでしたが、娘に「放蕩息子のたとえ、のことを言っているよ」と耳打ちされ、よく聞いたら確かにそうでした。放蕩息子のたとえとは「ルカによる福音書」15章11~32節にある、イエスが語った、神の憐れみ深さに関するたとえ話です。カトリック教会の祭壇やステンドグラスは目を見張る美しさでした。旅行中、教会を見つけると必ず中に入って、内部の装飾などを見るのですが、ここまで見事なのは知りません。ミサに参加したのも初めてで感慨深いものがありました。

 続いて、11時15分からミサが始まる「ワシントン大聖堂(Washington National Cathedral)」へ行きました。ミサのハシゴなんてしてもいいのか不明ですが、まあいいか。ここは聖公会の教会です。荘厳な姿は最後のゴシック建築といわれ(つまり新しい。20世紀の建築)、世界でも6番目の規模だそうです。歴代大統領のうち4人の葬儀が行われました。
 ここでの説教も「放蕩息子のたとえ」でした。偶然とはいえビックリしました。歌は讃美歌だけではなく、アメイジング・グレイスやブラームスなどの曲もあり、神に捧げる音楽はどれも美しいなと思いました。建物はおごそかで、バラ窓のステンドグラスもまぶしく、中で座っているだけで「今日からいい人になろう」と思えました。

 NYに戻り、翌週4月2日の土曜日はユダヤ教のシナゴーグへ行きました。五番街に面し、セントラルパークの東にあります。正装した12~13歳くらいの少年が両親と兄に見守られ、トーラーと呼ばれる巻物の聖書を、節を付けたヘブライ語でたどたどしく読み上げていました。声変わりしたばかりのような声でした。おそらく成人の儀式だったのでしょう。後から調べたところによると、それはバール・ミツヴァー(Bar Mitzvah)と言って、13歳の男の子がユダヤ教の戒律を守る宗教的・社会的な責任をもった成人と認められる儀式でした。

 翌3日の日曜日は冷たい雨の中、3つのミサに行きました。まず9時に「クライスト・チャーチ(Christ Church United Methodist)」へ。ここはプロテスタントの教派、合同メソジスト教会とのことです。祭壇横のこじんまりとしたスペースで、15人くらいの参加者でした。ミサの後、チェロ、ヴァイオリン等楽器を抱えた人たちが続々と入って来て、テノールの一人が素晴らしい声で歌い出し、リハーサルを始めました。11時からのミサはこの人たちが演奏するのだと思い、11時まで待ちました。今度は中央祭壇の前でミサが行われ、指揮者はピアノも弾き、弦楽団、合唱の人たち、一人でハンドベル12個ほどを鳴らす人。それはそれは素晴らしい演奏でした。今まで、パイプオルガンの荘厳な響きに何度も感動しましたが、こちらもよかったです。無料のコンサートを聞かせてもらえたので、献金のかごが回って来た時は少し多めに入れました。つくづく西洋音楽の起源は神への捧げものだったと納得しました。思えば、日本でも芸能の始まりは神への祈り・五穀豊穣・疫病退散等、人間の努力ではどうしようもない事を祈念して、奉納するものでした。

 音楽に聞き惚れて、11時からの「長老派教会(Fifth Avenue Presbyterian Church)」のミサは半分しか参加できませんでした。質素な作りの公会堂という雰囲気でした。プロテスタントですから、聖書をテキストとして読み、信仰を深める教派です。
 最後は4時から、同じく五番街にある「セント・トーマス教会(Saint Thomas Church Fifth Avenue)」へ。ワシントン大聖堂と同じく、教派は聖公会です。少し地味な祭壇はレリーフでした。少年合唱団の演奏が目当てでしたが期待通りの美しい歌声でした。もちろんおじさん合唱団もよかったです。五番街の目抜き通りには大きな教会がたくさんあり、他にもセント・パトリック大聖堂(カトリック)が有名です。

 娘の在宅勤務の日、すぐ近くのバプ・レストランにランチをしに行きました。P.J.クラークスという1884年からあるお店です。三番街と55丁目の角にあります。パトリック・J・クラークスはアイルランドからの移民です。お店の名物、クラークス・バーガーと白身魚のフライを挟んだバーガーを注文しました。フレンチフライがどっさり付いて来ました。アメリカサイズで巨大に見えましたが、ふっくらサクサクして、フレンチフライ以外は全部食べられました。ハンバーガーってこんなに美味しいのかと失礼ながら見直しました。隣のカウンター内でおねえさんが手際よく牡蠣を剥いて氷の上に並べているのを見て、こちらも注文すればよかったと思いました。シーフードも売りの店というのを後で知りました。
 カウンターの上に透明の蓋をかぶせたホールケーキがあり、よく見るとチーズケーキでした。「これはNYチーズケーキか?」とたずねると「イエス」。すでに満腹でしたし、日本の2倍の大きさですからお持ち帰りにしてもらいました。NYでは食べきれないとケースに入れてくれて、持ち帰ることができます。後から家で紅茶をいれて頂いたお味はチーズが濃厚でコクがあり、甘さも控えめで本当に美味しかったです。
 どうしてNYチーズケーキというのか、色々調べてみましたがよく分かりませんでした。1900年代にドイツからアメリカに移民したユダヤ人ルーベンさんが「NYチーズケーキを最初に作ったのは私である」と主張しているそうですが、確証はないとのことです。
 P.J.クラークスは様々な有名人にひいきにされていたようで、帰宅後、娘が持っていた雑誌PENを見てハッとしました。「フランク・シナトラがお気に入りだった席は大きな古時計の下」という記事があったのです。私たちが座ったテーブルの隣ではありませんか。私はあわてて店に戻り、3人連れの男性に許可を得て、写真を撮らせてもらいました。気を利かせて少し脇へよけてくれました。他には俳優のピーター・オトゥールは旅先からNYに戻ると、まずはここに立ち寄ってハンバーガーを食べたというし、ジャクリーン・ケネディはホウレンソウのサラダがお好みだったそうです。

 今回のアメリカ再訪は教会のミサめぐりが印象に残りました。春の訪れと共にある復活祭はキリスト教徒にとってクリスマスよりも待ち望むものかもしれません。実際、この時期のNYはとても寒くて、娘の冬のコートを借りて過ごしました。また余談ですが、娘が東京にいる9歳の甥と定期的にビデオ通話をしていて、こんなやり取りをしたそうです。
「クリスマスはイエス様が生まれた日だが、復活祭はイエス様が何をした日でしょう?」
「卵を拾った日」
だそうです。

【参考文献・サイト

2022.5.1 高25回 堀川佐江子記)