第76回:彬子女王の「月見饅」と月光浴

 今日は十五夜で満月です。
 昨年の大晦日が満月でした。同い年の弘子さんが小鼓を習っていて、その師匠に「月光浴をするといいですよ。」と教えられたと聞き、大晦日から年が明ける頃、ベランダからテラスに出て見上げると、まさに煌々と満月が輝いていました。お風呂上がりで寒い筈なのに不思議と心地よくしばらく見とれていました。
 月の光を浴びるという初体験は清々しく、毎月の楽しみとなりました。1月の満月はウルフムーン、2月の満月はスノームーンと言うそうです。3月はワーム(芋虫)ムーン、4月ピンクムーン、5月フラワームーンとアメリカの先住民が名付けたそうです。

 そんな満月の月光浴が習慣になった頃の6月8日、京都新聞夕刊に月一回、連載されている彬子女王のエッセイが目に留まりました。「月みる月は」のタイトルです。虎屋の社長である黒川光晴くんより「月見饅(つきみまん)っていうのがありまして」と聞いた・・・と始まる文章です。「成人の儀礼として、大きな饅頭の真ん中に萩の箸で穴を開けて、そこから月を見るっていうのがあったらしいんです」と。万延元(1860)年6月16日に、和宮様から「御月見御用」ということで虎屋に注文の記録があるのだそうです。私はもちろん初耳ですが、彬子女王もそうで、早速『日本国語大辞典』を引いてみたら、月見には「月を眺めて賞する」のほかに「近世、公家の子女の成人の祝儀の一種。16歳に達した6月16日に男子は脇ふさぎ、女子は鬢(びん)そぎを祝しての月見をいう。月見は16日の夜、饅頭を月に供え、その饅頭1個を取って孔をあけ、その孔から月をのぞき見る作法」と書いてあったとのことです。
 彬子様はなんとしてもそのお月見をしてみたくて、昨年の仲秋の名月に合わせて虎屋に注文したそうです。和宮様以来160年ぶりの月見饅が虎屋から届けられたわけです。それはご自身の頭より大きな薯蕷饅頭だったとのことです。虎屋のホームページにありましたので画像をお借りしました。

 私は6月16日という日付に「おや?」と思いました。それは以前、第13回 6月16日「和菓子の日」にも書いた「嘉祥(かじょう)の行事」が行われた日なのです。それは仁明天皇の時代、疫病が流行したことから、6月16日に年号を嘉祥と改め、16種の蒸し菓子をご神前に供え、厄除けの御祈願をされたことにちなみ、旧暦6月16日に御所にお菓子を献上する行事です。宮中に16歳になった人がいる年だけ、月見があったそうです。月見饅から月を見ている間に、ハサミで袖下を切り、その後は短い袖の着物を着るという「お袖止め」という成人の儀式だったのです。月を見ながら3度唱えるというのが「月々に月みる月は多けれど月みる月はこの月の月」なんと美しい言葉でしょう。彬子様の書かれる文章には毎月感心させられます。

 今夜の十五夜お月様は、京都では曇っていて残念ながら見えませんでした。でも、昨夜ほぼ満月のお月様を見ることができました。何がうれしかったかというと、私は先月白内障の手術を受けたので、薄ぼんやりした視界がくっきり、すっきり見えたことです。月光浴の効果がさらに向上したように感じました。

【参考文献】

  • 彬子女王「月みる月は」現代のことば、京都新聞2021.6.8夕刊
  • 「和宮と月見饅頭--6月の不思議な月見」虎屋文庫『和菓子を愛した人たち』山川出版社、2017

【参考サイト

(2021.9.21 高25回 堀川佐江子記)