第75回:さゝまの松葉最中と「換舌」そして「舌代」

  つれ合いが蔵書をいよいよ整理することとなりました。それで、私の書塾仲間で古書店主の有馬さんにお願いすることにしました。彼は神田神保町で「書肆(しょし)ひぐらし」という古書店を経営しています。一昨年の書展後の総会でたまたま席が隣同士となり、久しぶりに言葉を交わしました。ダメ元で相談したところ、「どんなジャンルの本でも引き取ります。ボクにお任せください。」と言ってもらえました。

 そこで7月末、酷暑の京都に来て頂きました。その時の手土産が神田駿河台下の「さゝま」の松葉最中だったのです。十文字の紐がけをした小ぶりの箱を見て、私は「あー」と声を上げてしまいました。あの、年齢不詳、仙人みたいな風貌(ごめんなさい)の有馬さんが、こんな粋なはからいをしてくれるとは心底驚きました。
 夕食後、水出し煎茶と一緒に頂きました。こしあんがあっさりとして美味しいこと。猛暑なのに甘みを抑えていています。こしあんが光っていました。
 私は第16回小倉百人一首と小倉餡で奈良県桜井市にある白玉屋榮壽の「みむろ最中」が自分の最中ランキング1位と書きました。この度、「松葉最中」と双璧とさせていただきます。

 実はさゝまのお菓子を頂くのは3回目です。お店を知ったのは昭和54(1979)年に出た『城下町のお菓子』という本でした。東京の項の冒頭に生菓子4種「七夕」「岩清水」「水羊羹」「葛桜」が店舗の正面写真とともに紹介されていました。実際口に入ったのは1999年、つれ合いが東京出張の折、私が頼んだのです。その時のしおりに私が手書きで感想を書いていました。
 「生菓子 美しい 味もよい。薪のようなのどうやって餡で作っているのか。最中 香ばしくてよい、あんの照り、舌ざわりよい。20年来食べたかった店、神保町だったとは。近くの店でたずねると『あそこはおいしいですよ』と言われたらしい。」(ママ)羊羹の包み紙が保存されていましたが、私のメモはありませんでした。
 それから10年位後、私が書の師匠石川九楊先生の個展を見るため、神保町に行った時、同じく神保町のレトロな喫茶店「さぼうる」を贔屓にする若い書仲間の親友アキさんに勧められて、コーヒー休憩をした後、「今からさゝまに寄って帰ります」と言うと、マスターが店の外に出て、「そこを行って曲がったらすぐですよ。」と教えてくれました。

 お店はのれんが目印の控え目なたたずまいでした。店内にはガラスケースがひとつあり、本日の生菓子と最中、羊羹がありました。最中を買った記憶がなく、多分生菓子を5、6個選んだと思います。ちょうどご主人もいらしたので、「久しぶりに京都から来ました」とご挨拶しました。すると「私は京都で修業しました」「どちらのお店ですか?」「三条、、」と言われたので「若狭屋さんですか?」「はい」私の知る限り、屋号に三条が付く和菓子屋さんは若狭屋さんだけだからです。東京のお菓子はよく知りませんが、さゝまの生菓子が京都風なのは感じます。

 ところで、包装された箱の中に入っていたしおりに「換舌」と書いてあり、1999年のしおりとほぼ同じ文面です。この「換舌(かんぜつ)」と言うことば、22年前には気にも留めなかったのですが、ここで思い出すのは「舌代」と言うことばです。10年くらい前、岩倉具忠先生の奥様からお菓子と共にお手紙を頂戴し、1行目に「舌代」と書かれていました。一瞬、食べ物に添えられた手紙だから?と思いましたが、まさかそんなことはあるまい、と広辞苑で調べると「しただい」「ぜつだい」と読み、「口上書、口上のかわりの簡単なあいさつ文」とありました。挨拶文をこのように書き始めるのかと唸ってしまいました。

 しかし「換舌」は広辞苑にも漢和辞典にも載っていないので、お店に電話してたずねることにしました。ちょうど8月1~10日まで夏季休業でしたので、ようやく11日にお話しすることができました。電話に出られた方は「換舌は造語です。口上に換えてと言うことです。」と話されました。「舌代」と同じ意味のようです。それから、「以前お店でご主人とお話ししましたが、京都のお店で修業されたと伺いました。」と言うと、「お待ちください。おります。」とご主人に代わってくださいました。なんとうれしいことでしょう。三条若狭屋さんで修業されたのは、創業者である父上とそこのご主人が知り合いで「息子をよろしく頼む」と言うことだったようです。昭和43年に1年学ばれたそうです。
 京菓子のような生菓子はお茶席用に拵えているのでしょうか、と質問すると「はい、父も私もお茶をやっていますので」とのお返事でした。松葉最中のこしあんがとても美味しい、と言うと「ありがとうございます。通年で作っております。」失礼ながら最後にお歳を伺うと「75歳です」と答えてくださいました。来月は上京しますので、是非訪ねようと思います。

 肝心の本ですが、有馬さんはめぼしい本を選んで日通の大きな段ボール15箱に詰め、宅急便で送りました。たった15箱!本箱2本分じゃないですか。本箱は18本もあるんですよ。新婚時代、つれ合いに「給料は全部渡すが、ボーナスはないと思ってくれ。本の付けの支払いで消えるから。」と言われ、そういうものなんだ、と思った23歳の私でした。その話を聞かれた彼の恩師、羽田明先生が「本屋のツケ?飲み屋のツケだろ」とおっしゃったことを思い出しました。

【参考文献】

  • 『城下町のお菓子』暮らしの設計No127、中央公論社、1979
  • さゝま しおり「換舌」
  • 『広辞苑』第4版、岩波書店、1991

【参考サイト

(2021.8.11 高25回 堀川佐江子記)