第73回:ポルトガル菓子店「カステラ ド パウロ」と修道院菓子

 本題に入る前に、ひとこと申し上げます。私はこのエッセイ「京都暮らしあれこれ」を2013年4月より書き始め、ちょうど8年が経ちました。自分でもびっくりです。お読みいただいている皆様に厚くお礼申し上げます。
 実は私はこの文章を原稿用紙に鉛筆で書いています。原稿用紙は連れ合いや子ども達が使わなくなったものを、まさに発掘しては200字詰めや400字詰めで書いてきました。第72回でとうとう底をつき、先日自分のために購入しました。京都駅ビルの伊勢丹に入っている伊東屋に行きました。私は昔から文房具店に入るとワクワクするのです。そこで伊東屋オリジナルの原稿用紙を見つけました。ルビの部分がない横長のマス目、20字×10行の200字です。
 原稿用紙に手書きする利点は文章が長文にならないことです。長々とはとても書いていられないからです。つい最近、皇室某様の婚約内定者の方が28ページにも及ぶ文書を公表したそうですが、手書きでは到底無理でしょうね。

 本題に入ります。
 何年か前、ポルトガルの方が京都でカステラのお店を開いたという記事を読んで、一度行ってみたいと思っていたところ、昨秋、親しい友人がプレゼントしてくれました。それはそれは濃厚でおいしいカステラでした。このたび、念願かなって4月下旬、お店に行ってきました。

 「カステラ ド パウロ」は北野天満宮の鳥居のすぐ東、もと酒蔵がお店です。ランチもしようと昼前に行きました。入り口にケーキの並ぶショーケースがあり、奥でパウロさんが仕事をしているのが見えました。木の内装がしっとりとした雰囲気の店舗2階でいただいたのは、ビファーナランチ。薄切り豚肉が層になっているものを自家製パンで挟んでありました。連れはチキンパイ、干しタラのコロッケ。どちらも野菜スープが付きます。

 いよいよメインのカステラです。「おすすめ3種プレート」と「食文化比較体験プレート」のどちらを選ぶか迷いました。悩んだ末に、前者はお持ち帰りで購入することにし、後者をコーヒーと共にいただきました。
 ポルトガルにはカステラというお菓子はなく、地方により様々な「パォンデロー」があり、これが宣教師によって日本に伝えられたカステラの原型とも言われています。パォンデローは洗礼式、結婚式になどの大切な行事に欠かすことのできない伝統的なお菓子です。コーヒー右の画像は地方によって異なる様々なパォンデローで、しっかり焼き上げたものや、とろ~り濃厚な蜜状の半熟に焼いてあり、スプーンで頂くもの、やや半熟のものとあります。そして画像下・中央がおなじみ日本のカステラです。
 比べてどれが一番おいしいなんて言えませんでした。どれも卵が濃くて、甘さもしっかり、とにかくおいしいのです。苦めのコーヒーがよく合いました。

マミーニャシュ

パステル デ ナタ

プディング デ ジェーマ

 続いて、お持ち帰りにしたのはマミーニャシュ、正式名「若き修道女の小さなおっぱい」ドキリとする名前です。卵黄と砂糖のみで作ったパフに伝統的な卵黄クリームを挟んでいます。柔らかく幸せな気持ちになれます。
 パステル デ ナタ(ナタ)はパイ生地に卵黄たっぷりのクリームを流して焼いた、ポルトガルで一番人気のおやつだそうです。パリッ、サクッ、トロリの三拍子揃った食感です。エッグ タルトの名で日本でも見かけます。
 そしてプディング デ ジェーマ、修道院で作られていた卵黄だけで作った濃厚なプリンです。「プリンの王様」と言えるコクと旨味で、うなってしまいます。

 ポルトガルの菓子職人、パウロさんは長崎の老舗カステラ店・松翁軒で日本のカステラ作りを学んで、夫人の智子さんと共に1996年、リスボン近郊に「カステラ ド パウロ」を開店しました。ポルトガルにおいて日本のカステラを喜んで頂けるようになり、「今度は、日本の皆様に卵黄をたっぷりと使った素朴であたたかなポルトガルのお菓子を食べてもらいたい」と思って、2015年4月、智子さんの故郷である京都でお店をオープンさせたのです。

 智子さんはポルトガル菓子の研究家として『ポルトガルのお菓子工房』(1999)、『ポルトガル菓子図鑑』(2019)と2冊の本を上梓されています。4月に行った時はご不在でお会いできなかったので、5月3日に電話をしてから再訪しました。お客様がひっきりなしでした。初め、工房で仕事されていて、その後、接客の合間にお話を伺いました。

 一番の疑問、ポルトガルのお菓子は修道院菓子が元になっているということをお聞きしたかったのです。というのは、前回購入して持ち帰ったケーキに付けて下さったしおり「ポルトガルの修道院菓子」の中に、「修道院に入るのは貴族などの裕福な家庭出身者が多いー(中略)―修道女になる際に全ての財産を寄付しなければならなかったー(中略)―修道女を志願する者が鶏と卵を持参したことで、当時貴重であった卵が潤沢にあった」と書かれていたからです。『ポルトガル菓子図鑑』にはもっと詳しく「修道院をルーツとした菓子が多いわけ」という文章もあり、修道院の役割が書かれていました。
 ポルトガルでは12~16世紀頃、多くの修道院が建設され、学問・教育機関であった。修道士・修道女の主たる活動は神への祈りであったが、貧しい人、病人を受け入れ、食事を与え、治療を施したりした。また菓子を含む食事作り、ワイン醸造、養蜂、養鶏、畑仕事、糸を紡いでの衣服作り、大工仕事等まさに自給自足していた。また当時、全国にある修道院は、王族・貴族が国内を旅する際の宿泊施設としての役割も果たしていた。その為、どこの修道院でももてなしの質の向上に励んでいた。菓子作りも例外ではなく、よりおいしいものをと研究に余念がなかった、ということです。

 ところが修道院に権力が集中することを恐れたドン・ペドロ王が、1834年に修道院廃止令を施行したことにより、修道士・修道女は生活の場とそこでの仕事を失ってしまいます。貴族に仕えたり、家族・知人に修道院で作られていた菓子のレシピを教えたりして、糊口をしのいだそうです。そんな背景から、一般には食べることができなかった特別な修道院菓子が広く人々に知られることになり、全国各地で地域の伝統菓子として根付くこととなったとのことです。

 テレビの語学番組だったと思いますが、スペインの修道院が小さな、ホロホロとこわれそうなお菓子を作っていて、修道女が顔を見せないで、小さな小窓からお菓子とお金のやり取りをしているのを見ました。智子さんに「資金にするため、近隣の人々に販売していると思いました」と話しましたら、「ポルボロンと言うお菓子ね。そういうこともあるわね」との答えでした。

 智子さんのご著書2冊を読むとポルトガル菓子に対する熱意と愛情の深さに圧倒されます。智子さんはポルトガル全土を回って調査したのみでなく、実際に技術を習得して作ることができるのです。ご主人のパウロさんが長崎の松翁軒でカステラ修行されたのは、先代の社長・山口貞一郎さんがカステラのルーツを探しにイベリア半島を旅して回った折、智子さんが案内されたから、と4月にパウロさんから伺いました。
 今回智子さんに松翁軒の山口さんとの出会いのきっかけを聞いたところ、一番おいしいカステラが松翁軒と思ったので自ら訪ねた、と言うことでびっくりしました。実は私も松翁軒のカステラが一番おいしいと思っていて、ここ何年か毎年取り寄せています。手元に山口貞一郎さんが編集した『よむカステラ』という冊子があり、引っ張り出して読んでみたら、第9号(2003)の最後のページに「1996年(平成8)、ポルトガルの菓子職人の研修を受け入れる」と書かれていました。この年、帰国したパウロさんは智子さんと一緒に「カステラ ド パウロ」を開業したわけです。
 ポルトガルがルーツのカステラを本国に里帰りさせた、などという簡単な話ではなく、どんなに大変なことだったかは『ポルトガルの菓子工房』の最後に、山口貞一郎さんが「智子さんとパウロのこと。ポルトガル菓子と南蛮菓子のこと。」と題して寄稿しています。

 私が修道院菓子というところに惹かれた理由は、亡き母の従妹が浜松にあった海の星修道院の修道女だったからです。現在90歳になる彼女は元気に三方原聖隷の施設で暮らしています。母もそうですが、親がいなかった彼女は自立して生きていくために考えて、当時浜松にできたばかりの海の星修道院(フランス北部リール近郊に本部がある聖ベルナルド女子修道会)に入ったのです。そこは幼稚園と高校を経営していました。彼女は幼稚園教諭の免許を取り、長いこと園長をしていました。
 私が通学していた浜松北高のわりと近くに修道院があったことから、下校後、母に頼まれて物を届けに行ったこともありました。また、柏餅等、季節のお菓子を30個くらい、冬にはみかんを1箱「皆さんでどうぞ」と、頻繁に両親と差し入れのため訪れました。引退した彼女に最近になって聞いたことは、修道院に入るために持参金が必要で、彼女の亡き父の実家が工面してくれた、と言うことです。それも言われた金額の半分だったが許してもらったと。持参金が必要だったなんて全く知らなかった私はたいそう驚きました。

 パウロさんのカステラは本当に美味しくて、ちょうど取り寄せて届いた松翁軒のカステラと比べてみました。松翁軒のも勿論十分おいしいのですが、しっとりしたところ、卵黄の旨味が感じられるところ、キメの細かさの3点でパウロさんのものが上回り、お世辞抜きで私にとって日本一のカステラとなりました。
 4月にパウロさんにお会いして、「ポルトガルのパォンデローの中で一番おいしいと思うのはどれですか?」と伺った時の彼の答えは、「日本のカステラです」でした。作っている本人が言うのですから本当です。その時、「お菓子を通じて、ポルトガルと日本の文化の架け橋となりたい」とおっしゃったのが印象に残りました。
 智子さんは「日本でポルトガル菓子を作る人ができるといいのですが」と話されていました。京都でずっとお店を続けてほしいと切に願っています。

 長い文章になってしまいました。ごめんなさい。

【参考文献】

  • ドゥアルテ智子『ポルトガルのお菓子工房』成星出版、1999
  •  同『ポルトガル菓子図鑑―お菓子の由来と作り方』誠文堂新光社、2019
  • 山口貞一郎「松翁軒菓子抄」『よむカステラ』第9号2003、第15号2009
  • しおり「カステラ ド パウロ 」 
  • しおり「カステラ ド パウロで作るポルトガルの修道院菓子」

【参考サイト

(2021.5.7 高25回 堀川佐江子記)