第66回:御鎌餅と新婚時代の思い出

 かつて京の都には洛中と洛外の街道筋を結ぶ出入りの口があり、「京の七口」と言われました。鞍馬口、大原口、荒神口、粟田口(三条口)、伏見口(五条口)、竹田口、東寺口(鳥羽口)、丹波口、長坂口などです。今九つを挙げましたがなぜか七口と言われます。鞍馬へ通じる鞍馬口もその一つで、寺町通りの北のどん突き(京都のことばでドンと突き当たった所)が鞍馬口通りです。

 連れ合いの先輩にHさんという愉快な方がいます。曹洞宗の名刹「天寧寺」のご次男で、年賀状の住所が「寺町鞍馬口下ル」とだけ書かれていました。なんてかっこいい住所かと思ったものです。念のため申し添えますが「下ル」は「さがる」と読みます。
 晩秋のある日、Hさんが結婚して間もない私たちをお茶に招待してくれました。その時、菓子鉢に盛って出して下さったお菓子が、大黒屋鎌餅本舗の「御鎌餅」でした。薄い経木(へぎ板のこと。杉、檜を薄く削ったもの。薄板、板紙とも言う)に包まれ、細長い形は鎌の刃先を表しています。柔らかい餅の中はほんのり黒糖の香りのするこし餡です。すべすべした餅となめらかなこし餡がなんとも上品で、独身のHさんが用意して下さったことに感激しました。「すぐ近所のお菓子屋ですよ」との言葉に近くに良いお店があっていいな、と思いました。

 しばらくして高島屋で見かけるようになり購入することはありましたが、わざわざお店にまでは行ったことがありませんでした。今回、地下鉄烏丸線の鞍馬口駅から10分も歩けば行けると気が付き昨日行って来ました。
 寺町通りというのは、秀吉が京都改造の一つとして多くの寺を集めた為、寺町通りという名になったのです。何も知らなかった私に寺町通りのいわれや、京の七口を教えてくださったのはHさんでした。
 鞍馬口駅からほど近い御霊神社にまず行き、お参りしました。それから天寧寺に行ってみました。ここの山門は、比叡山が門の中に見えるので額縁門と言われることで有名です。ちょうど曇っていたため、あいにく見えませんでした。(画像はネット上より拝借しました)きれいな花が沢山咲いている緑の美しいお寺でした。そこから南へ下ルこと数分、阿弥陀寺があります。信長の廟のある寺で、観光客らしき人たちが写真を撮っていました。めざす大黒屋は阿弥陀寺町にあるのですが通り過ぎてしまい、戻って来て寺の前から電話すると、門前を西へ3軒目とのこと、すぐ分かりました。住宅地の中にあるお店でした。

 歴史を感じさせるお店で、ご主人に伺うと創業は明治30年、現在3代目とのこと。元々鞍馬口の茶店で作られ、京に出入りの旅人や地元農家の人々に喜ばれてきたものですが、茶店がなくなり、初代が復活させたのだそうです。鎌の形は豊作を祈り、福を刈り入れる願いが込められています。餅には少し砂糖を加えているため、2,3日は柔らかさを保っているそうです。他に作っているのは丁稚羊羹、最中、懐中しるこで、この4品は昔から変わらないとのことでした。私は懐中しるこを除き、3種類を購入しました。

 鎌餅というと忘れられない思い出があります。当時、私たちは連れ合いの恩師、もちろんHさんの恩師でもある羽田明先生のお屋敷の離れにご厚意で住まわせてもらっていました。奥様は東京出身の明るい素敵な方で、時々私をお茶に招いて下さいました。Hさんは菓子鉢に盛った鎌餅が残ったので私に持たせてくれました。私が「明日、奥様と一緒に頂こうかな」と言ったら、「僕からと言わんといてな。一日前のお菓子やし。」これには絶句してしまいました。この日からお菓子は賞味期限がどうであろうと、その日のうちに頂くことにしています。明日になると昨日のお菓子になってしまいますから。
 もう一つ、天寧寺の住所を調べてみたら、案の定「寺町鞍馬口下ル天寧寺門前町○○番地」とありました。Hさんはお寺の名前をあえて書くことをしなかった、というより「寺町鞍馬口下ル H 」で十分だったのでした。

【参考文献

  • 「御鎌餅しおり」、大黒屋鎌餅本舗
  • 『菓子ひなみ』京都新聞出版センター、2007
  • 大村しげ「お鎌餅」『京のお菓子』中央公論社、1978

【参考サイト

(2019.10.18 高25回 堀川佐江子記)