第64回:中村軒の「麦代餅」

 随分前のこと、大丸京都店で見かけた「麦代(むぎて)餅」が気になりました。ふっくらしたお餅が二つ折りになっていて、中央にきな粉がまぶしてあります。随分大きいなと思いましたがある時購入したところ、素朴なやさしい甘さが印象的なお菓子でした。その時ついていたしおりにこうありました。

 「麦代餅は昔から、麦刈りや田植えどきの間食として供せられ、また、多忙な農家などでは、日頃もこれが重宝がられました。
 かつては、この1回分の間食が麦代餅2個でしたが、これを農作業の各田畑まで直接お届けし、農繁期も終わった半夏生の頃(七十二候の一つ、夏至の頃から数えて11日目の7月2日から七夕頃までの5日間をいう。田植えは半夏生に入る前に終わらせるものとされた)、その代金としてあらためて麦を頂戴しにあがったのです。(麦代餅2個につき約5合の割)いわゆる物々交換の名残りでございます。このように、麦と交換しましたので、『麦代餅』の名が生まれました。」ということです。そういう時代があったのかと思いました。

 今年は麦刈りも田植えもとうに終わっていますが、一昨日、桂川の畔、桂離宮のすぐ南側にある中村軒に行って来ました。思えば、5年前の桜の頃、しらはぎ会で一緒にお役をした4名が浜松から桂離宮見学に来たことがありました。その時、中村軒でお茶休憩しようとしたのですが、運悪く定休日でしたので、木の雨戸がピタリと閉じていてがっかりしたものでした。

 今回は、せっかくお店に来たのですから茶店でいただこうと思いました。茶店は靴を脱いで上がる座敷でした。麦代餅はミニサイズもありますが、ここは迷わず普通サイズを、そして中村軒の銘菓「かつら饅頭」を注文しました。廻りを見回すと、かき氷を食べている人がほとんどでした。今月いっぱい「いちご氷」があるからでしょう。このお店はいちご、マンゴー、すだち、いちじくとすべてその時の旬の新鮮な果物を使った自家製の蜜なのです。かき氷は早いなあと思い、メニューを見ると「かつら女(め)」という葛が氷の中を泳いでいる写真が目に入り、さらに追加注文しました。

 前日、定休日と行き方を調べようと中村軒のホームページを見たところ、「京のおかし歳時記」があるのを見つけました。読んでみたら中村家に嫁いで?年のマサコはんが京都のお菓子にまつわる伝統や行事をおもしろく紹介していました。224回も連載していたのです。月一回のペースは私とほぼ同じですが、その回数となんと言っても和菓子屋の女将さんということで、私など足元にも及びません。読み出したら止まらず、京都駅から桂に向かう市バスの中でもiPhoneで読み続けていました。それで、茶店に上がる時、「ホームページに『京のおかし歳時記』を書いている女将さんはいらっしゃいますか?」とたずねたところ、「呼んできます」とのこと。麦代餅とかつら饅頭を食べ終え満足した頃、エプロンと三角巾?で髪を覆った方が現れ「中村です」と挨拶されました。お仕事の手を止めてわざわざ来て下さったのです。自己紹介のあと、昨日から「京のおかし歳時記」を読んでいてとても面白いと話しました。すると、ホームページを開設する時、何を読みたいかアンケートを取ったところ、京都ではいつ、どういう和菓子を食べるか、慣習を知りたい、という答えがとても多かったので書くことにしたということです。
 私は麦代餅の餅がやわらかく、控え目な甘さの粒あんと調和して美味しかったと言いました。「餅は搗いた餅ですね?」とたずねますと、「もちろん搗いてます。」そしてなんの混ぜ物もしていないから今日中でないと固くなること、砂糖やその他少し加えたら柔らかさが保たれるが、そうしたらあんこも皮も甘いことになるからそれはよくないのでしないと話されました。麦代餅は女将さんが嫁いで来た頃、このあたりは田畑で本当に届けに行った。3年もすると機械化が進み、農作業そのものが変化した。でもうちは通年で作ることにした。他にも田植えの頃に麦代餅を作る和菓子屋さんは何軒もありましたよ、と話され驚きました。私は中村軒しか知りません。

 ちょうどその時、「かつら女」ができて運ばれて来ました。注文を受けてからひとつずつ作るため、少し時間がかかったのです。女将さんは「固くなりますからどうぞ召し上がってください」と、付いていたきな粉を黒蜜の器の中に全部入れ、「よく混ぜてください。むせますから」と言った後、席を立たれました。氷の中にある葛は生八つ橋の大きさの短冊で2ミリほどの厚みがありました。きな粉を混ぜた黒蜜にからめて冷んやりと歯ごたえもあり、すっと汗がひきました。
 女将さんが戻って来られ、麦代餅のしおり、中村軒のことを紹介したパンフレット、グラビアに掲載された『PHP』とともに「京のおかし歳時記」を差し出され、かつて出版した本はもうないが、抜粋したのは残っているのでどうぞ、と冊子をくださいました。とてもうれしかったです。それから、あんこは今でもおくどさん(かまどのこと)で上木(くぬぎの割り木)を燃やしてじっくり炊いていること、火を止めてもすぐ温度が下がらず、おくどさんのレンガや土、銅製の釜が抱いている余熱がひと味違う奥の深いあんを作り出すこと、こしあんまでおくどさんで自家製なのはうちくらいではないか、とお話しくださいました。余熱があるということは、薪を引くタイミングがいかに難しいことか、川端道喜の『和菓子の京都』にありましたから想像できます。一瞬遅れると一釜ダメにしてしまうと聞いたことがあります。

 座敷からはひっきりなしにお客さんが買い求めている様子がよく見えました。桂川の畔ですから、どちらかというと京都のはずれにある和菓子屋さんがこんなにも愛されている理由は、女将さんの文章を読むとよくわかります。女将さんが心から中村軒のお菓子を愛し慈しんでいることが、優しい甘みで素朴な味わいの麦代餅になっているのです。
 また、女将さんの文章が無駄なくすっきりしていることから私は「あの文章は手書きで書かれてますよね?」とたずねました。案の定「はい手書きです。事務の方がパソコンに打ち出してくれてます。」
 実は、私もこの原稿を原稿用紙に鉛筆で書いています。出来上がった後、ワードで打ち込み、しらはぎ会の担当の方に送信しています。最初からパソコンを使うとどうしても文章が長くなり、饒舌になってしまうからです。鉛筆で原稿用紙の枡目を埋めていると、最小限の文字数で書こうと工夫します。
 女将さんと共通していることを見つけ、嬉しく思いました。

 ところで、私は京都に来て42年になりますが、今でも嵐山や奈良公園などで人力車のお兄さんに「乗ってきませんか~」と声を掛けられます。どう見ても観光客に見えるのでしょう。今回も、女将さんが抜粋した冊子をくださるとき、「帰りの新幹線の中で読んでください」とおっしゃいました。私の浜松弁は健在のようです。

【参考文献

  • 「麦代餅」しおり
  • 「御菓子司中村軒」パンフレット
  • 中村優江(まさこ)『京のおかし歳時記』三想者、2003
  • 『京のおかし歳時記』抜粋100回記念、2009
  • 川端道喜『和菓子の京都』岩波書店、1990

【参考サイト

(2019.6.22 高25回 堀川佐江子記)