第62回:三宅八幡宮と双鳩堂の「鳩餅」

 私の京都暮らしのスタートは洛北・修学院でした。白川通りに面し、バス停「修学院道」のすぐ近く、京福電鉄・叡山電車修学院駅にも近いところです。暮らし始めたのが10月末でしたので、比叡山からの冷たい風、つまり比叡颪(おろし)が吹き京都の底冷えに震えました。
 当時、修学院をさらに北に行った上高野に仲人さんご夫妻がお住まいでしたので、よく遊びに行っておりました。奥様が「近くにある三宅八幡宮というのは、夜泣き・癇の虫封じで有名な神社だから、お子さんが生まれて夜泣きで困ったらお参りするといいですよ」とおっしゃいましたが、引っ越しをしたことと幸い夜泣きで困るようなこともなかったので三宅八幡宮には行く機会がありませんでした。

 時は流れ、十数年前から修学院のマンションには上の息子が住み、時々修学院駅近くの「双鳩堂」という和菓子屋さんで「鳩餅」や玄の子餅、桜餅を買って来てくれるようになりました。どれも美味しくて一度お店に行きたいと思っていたところ、念願かなって先週行って来ました。双鳩堂は明治13年の創業。大原を抜けて若狭に続くかつての若狭街道の入口を山端(やまばな)といい、お店はそこに位置しています。三宅八幡宮はその街道沿いにあります。店名にもなっている鳩餅はかつて、三宅八幡宮の参拝客が帰りに買いに来られたのだそうです。

 「鳩餅」は米粉を熱湯で練り、蒸して砂糖を加えた生地を鳩の木型に押して作ります。生地に肉桂(ニッキ)、抹茶を入れたものと3種あります。お店の奥様が「団子菓子です」と言われたように、もちもちした食感にニッキの香り、抹茶の香りが加わってとても美味しいです。

 お店に行ったその足で、叡電修学院駅から2駅乗り三宅八幡宮に向かいました。「三宅八幡前」で降り徒歩数分、静かな神社に着きました。鳥居の脇には狛犬ならぬ狛鳩が鎮座していました。途中、三宅八幡茶屋という茶店がありましたが閉まっていました。「双鳩堂」によると、ここは別のお店ということで、後で調べたら聖護院八ツ橋総本店がやっているお店でした。ゆるやかな階段を上がり、社殿に着きました。
 社務所は4時で閉まったようですが、私の姿を見てかガラス戸を開けてくれました。宮司さんとおぼしき方が「何かご用ですか?」と声をかけてくださいましたので、神社の由緒を聞いてみました。「元々、他の神社と同様、五穀豊穣を祈るもので、田の虫を封じるご利益のある神社であったが、子どもの虫封じに転じ、今ではそれも少なくなったので、子どもの守り神となっている」ということです。八幡宮ということで、石清水八幡宮のように源氏の武神としての信仰もあるのか訊ねると、「それとは違う」とのお答えでした。

 いつもの私なら神社仏閣でどん欲に家族全員の祈願をしてしまいますが、今回は控え目に孫たちの健康のみをお願いしました。

 鳥居の横にあった立て札には「社伝によると、推古天皇の時代(6~7世紀)聖徳太子の命により小野妹子が遣隋使として赴く折、筑紫の辺りで病に罹り、近くにあった宇佐八幡に祈願をすると、直ちに平癒したので、帰朝後、宇佐八幡を勧請したのがこの社の起源であるといわれる。祭神は応神天皇である。」と書かれています。小野妹子は聖徳太子の没後、上高野の地に移り住み、八幡神をお祭りしたようです。小野妹子が関係していたとは知りませんでしたので驚きました。
 ところが神社のホームページには、私がお参りした前日、つまり3月21日に「三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬--国指定10周年を迎えて--」という講演会が当神社であり、村上忠喜氏(京都産業大学)の「三宅八幡宮の歴史はそんなに古くはなく、記録をたどれば江戸の中期頃にその姿をあらわし、そのころから今の形で存在したのではないか、その以前には記録としては現れていない」とのお話が掲載されています。 ホームページには社伝による由来も書かれていますから、神社としてどういう見解を持たれているのか不思議ですが、まあ由来など不明な部分が多いのも事実です。和菓子屋さんを取材していても、「創業はいつかわからへん」と何軒ものお店で言われました。私としては美味しいお菓子を変わらぬ美味しさで作り続けていただければ、創業がいつだろうとどうでもいいことです。

【参考文献

  • 『菓子ひなみ---三六五日の和の菓子暦』京都新聞出版センター 2007

【参考サイト

(2019.3.29 高25回 堀川佐江子記)