第47回:亀屋則克さんの「浜土産」と秋山十三子さん

 見るからに涼しげな「浜土産(はまづと)」は京都・堺町三条上ルの亀屋則克さんの代表銘菓です。
 則克さんを知ったのは20年以上前のことになりますが、造り酒屋の若奥様である友人の新居が完成し、友達ふたりと寄せてもらった時でした。お姑さんが、京のおばんざいを何品も用意してくださり、「母屋に取りに来るように」との連絡で、われわれも一緒に、廊下でつながったお姑さん宅のお台所まで行きました。立派な大皿に盛られたお料理を各自ひとつずつ持つと「割らんように」と一言。なおさら緊張したものでした。もちろん、食卓でいただくときもです。というのは、そのお姑さんは著名な随筆家、秋山十三子さんで、これまた有名な随筆家の大村しげさん、平山千鶴さんと共に、京都の暮らしを文章にされた元祖のような方なのです。ご著書は沢山あり、三人共著の第一作が昭和41(1966)年に刊行された『おばんざい』です。おばんざい、つまり、京都の常の日のお総菜のことです。
 食後のお茶のお菓子がなんだったのか覚えていませんが、お姑さんが「のりかっつぁんのわらびもちはおいしいなぁ」と言われたことはよく覚えています。それですぐ、則克さんに電話して、季節の生菓子を予約して買いに行ったのです。お姑さんはそれから間もなく急逝されました。

 則克さんといえば「浜土産」が有名です。今回は2度目の訪問で、はじめてそれを買いに行きました。20年前と変わらず座売りのお店です。電話で予約したのは浜土産、生菓子の葛焼き、水牡丹ですが、見本箱に会った葛まんじゅうも追加して貰いました。用意してもらう間、お座布団にすわって少しお話を伺いました。
 浜土産は、初代が亀屋良則(後に廃業)に奉公していた大正時代に考案したお菓子とのことです。海岸からは遠い京都において、見るからに海辺のおみやげの如く、真夏でも日持ちするお菓子です。波の磯辺にて取れた蛤に、寒天と砂糖などを一緒に煮詰めたものを流し、真ん中に浜納豆を一粒入れてあります。添えてある檜葉(ひのきの葉)は軽い防腐の役目もします。「よく冷やしてお召し上がりください」と言われました。3枚目の写真はお遣い物用で風流な竹の磯馴籠(そなれかご)に入っています。
 お店の創業は昭和初期とのこと、「まだ100年経っていません」にはさすが京都、と苦笑してしまいました。秋山十三子さんに教えていただいたことを話すと、「ははが親しうさせてもろてました」とおっしゃり、今もお元気とのことでした。

 帰宅して浜土産を冷やしている間、生菓子をいただきました。葛焼きは、今ちょうど祇園祭の真っ最中ですので、八坂神社の紋が二つ焼き印で捺してありました。葛にこしあんを練り込んで焼き、米粉をまぶしてあります。上品な舌触りでした。水牡丹も盛夏の生菓子です。葛が冷たそうに見えるから不思議です。
 その後、しっかり冷えた浜土産は爪でそっと蛤を開き、空いた殻をスプーン代わりにすくっていただきました。琥珀糖は固めの食感で、かすかな甘みが浜納豆の味噌風味と溶け合って、どこにもないお味が広がりました。5月中旬から9月中旬までの販売とのことです。立派な蛤を確保するのも大変かと思います。奥様は「蛤が小さいとお客様に言われますから」とおっしゃっていました。

 秋山十三子さんは、私が教科書として大切にしている『京のお菓子』にも執筆しています。則克さんの、生菓子ともう一つの主力商品である干菓子を詳しく紹介したあと、「浜土産は見るからに涼しそうな黄色い琥珀糖で、一週間ぐらいは大丈夫なので、地方のお土産にも重宝する」と書いています。
 そして最後に「ほかに好きなものは、春のわらびもち、冬の黒砂糖きんとん。肥えへんかったら、ごはんのかわりに五ツ、六ツたべてみたいと思う。できたての、ゆれているようなのをーーー。」
 これには驚きました。黒砂糖の3文字を除いたら、全く私の心境と同じです。こんな文章を書かれた大正13年生まれ(私の父と同じ)で生粋の京女である秋山十三子さん。足元にも及びませんが憧れます。

【参考文献】

  • 「涼菓浜土産」しおり
  • 秋山十三子「御題菓亀屋則克」『京のお菓子』暮らしの設計118号、中央公論社、1978年
  • 秋山十三子『はんなりと-京女の思い出箱-』私家版・非売品1999年

(2017.7.19 高25回 堀川佐江子記)