第39回:ハロウィーン


 最近のハロウィーン商戦の興隆は目を見張るばかりで、今年は百貨店のお菓子売り場でも、9月になると飾り付けが始まっていました。東京ディズニーランドや、USJでの仮装パーティのみならず、渋谷や川崎での仮装も年々盛んになっているようで、市場規模はバレンタインを上回るそうですからいささか驚きです。

 子ども達が "Trick or Treat"と言ってお菓子をせびる、ハロウィーンにつきもののお菓子はキャンディと思っていましたが、百貨店の和菓子売り場を覗くと生菓子にもハロウィーンの意匠のものがありました。尋ねると百貨店側の意向で、全館上げてハロウィーンを盛り上げるため、依頼があったのだそうです。拙稿第23回の「還暦同窓会と落とし文」で取り上げた「京都鶴屋 鶴寿庵」では、今年初めてきんとん製の「ハロウィーン」が登場しました。ハロウィーンカラーのオレンジは丹波白小豆を染めたもの、中は粒あんです。もう1軒、第15回「お盆と夏柑糖」で紹介した「老松」で見つけたのは、薯蕷饅頭のおばけ「スイートゴースト」です。こちらは5年前から作り、本店でも販売しているそうです。どちらも生菓子に定評のある老舗ですから、とても美味しかったです。

 ハロウィーンはアメリカの収穫祭が日本に入って来たものだろうと考えていた私ですが、実際はそんな単純なものではなさそうです。
 2年前の2014年10月30日から11月4日まで、3泊6日という弾丸旅行でハンガリーのブダペストに行って来ました。11月1日夜のコンサートチケットは日本で取って行ったのですが、その日は「諸聖人の日」という祝日で、お店も美術館もすべてお休みでした。私はよくこういう失敗をして、現地に行ってから休日と知り、口惜しい思いをすることがしばしばです。カトリックの祝祭日「諸聖人の日」(古くは万聖節、All Saint's Day)とは、すべての聖人と殉教者のための日でした。それで、その日の曲目はブラームスの「ドイツ・レクイエム(鎮魂歌)」だったのでした。
 「諸聖人の日」の前夜祭が「ハロウィーン」である、と書かれているものを目にして、これはどういうことかと気になり調べてみました。ハロウィーンは"Halloween"と書きます。英語で"Hallow"という名詞は「聖人」や「聖職者」を意味し、"Halloween"は"All  Hallow Evening"の短縮形ということです。訳すと「諸聖人の夜」となります。その起源はキリスト教の祭ではなく、それ以前のケルト人の祭に由来しています。
 古代ローマがヨーロッパを支配する前、ケルト人がヨーロッパ、イギリス諸島ほぼ全域に広がり住んでいました。ケルト人にとって1年の終わりは10月31日でした。彼らはその日を「サムハイン」という「夏の終わりで冬の始まり」を意味する祭で祝いました。当時、1日は日没から始まりましたから、サムハイン祭は10月31日、暗闇が忍び寄る頃に、収穫したばかりの作物や、家畜を犠牲にして祝ったのです。ですから、ハロウィーンは諸聖人の日の「前夜祭」ではなく、まさに 「諸聖人の夜」"All  Hallow Evening"ということになります。また彼らは年に1度この日に、この世とあの世を分かつ扉が開かれると信じていました。
 ケルト人の風習が色濃く残っていたアイルランドでは、キリスト教が入って来た後も、サムハイン祭は続いていました。しかし、19世紀半ば主要作物のジャガイモの疫病が大流行し、100万人もの餓死者が出ました。そして、同じ数のアイルランド人が新大陸に移住します。彼らがもたらしたサムハイン祭が、アメリカでハロウィーンとなったのです。
 ハロウィーンはこのように収穫を祝う意味があるのですが、仮装するのは霊界から出て来る死者の霊に捕まってあの世に引きずり込まれないよう、同じ格好をして仲間と思わせ、やり過ごすのが目的のようです。
 ちなみに、プロテスタントの国ドイツでは、1517年10月31日にマルティン・ルターが「95箇条の論題」をヴィッテンベルク城教会の扉に貼りだしたので、10月31日は「宗教改革記念日」となっています。もちろんハロウィーンは行われません。

 わたしは辛いものと怖いものは嫌いですので、ハロウィーンの不気味な仮装をする人たちが理解できません。いつも通り、美味しいお茶と和菓子で秋の日を楽しみたいと思います。

【参考文献】

  • リサ・モートン、大久保庸子訳『ハロウィーンの文化誌』原書房 2014

【参考サイト】

(2016.10.28 高25回 堀川佐江子 記)