このホームページを通して会員相互の交流が一層深まり、活動の場が広がることを願います。
幡鎌さち江(24回)
しらはぎ会の皆様、暑中お見舞い申し上げます。
連日猛暑が続く今日この頃でございますが、昨年までは「浜松の気温40度」という報道に驚いておりましたが、それは北遠の佐久間や船明(ふなぎら)の辺りのことで、浜松市中央区の話ではないと思っておりました。しかし、今年は天竜川近くの比較的涼しいと思っていた我が家でも、日中は勿論、夕方や夜でも窓を開ければ熱風が押し寄せてきて、余りの暑さに我が家の警報器が「おそらく火災発生と間違えたのか」誤作動する有様。一雨降ればと思いますが、雨が降れば、最近は驚くばかりの豪雨となり、馬込川や芳川、安間川など警戒水位を超えたと浜松市危機管理課からの携帯電話が鳴り響きます。
皆様も、どうぞお気を付けくださいませ。
さて、高校野球、パリオリンピックなども始まりましたが、世界は未だ戦争やテロなどの心配が絶えません。
さて、丘浅次郎は、明治35年3月執筆の「戦争と平和」という論文を「青年界」に発表。(※明治39年初版の『進化と人生』に収録)その一部を抜粋紹介いたしましょう。
「全く乱を忘れて安心していられるような真の平和は過去にも一度もなく未来にもまた決してあろうとは思われぬが、・・・何事かの行われる場合には、必ず平和のためと称することが例である。戦争を始めるのも平和のため、勝って敵国を併合(へいごう)するのも平和のため、他国の勝ちえた物を強(し)いて捨てさせるのも平和のため、捨てさせておいてたちまちこれを拾いとるのも平和のため、なんでもかんでも平和のためと称して、自己の勝手なことを行なうのが現実の有様である。されば列国間の外交文書に平和のためと書くのは、あたかも英語の手紙では、仇(かたき)のごとくに思うている人に対してもDear Sirと書き始めると同じことで、日本語に直せば拝啓とか一筆啓上とかいう何の意味もない定式の文句に過ぎぬ。むしろ平和という文字を含んだ外交文書の遣り取りが頻繁(ひんぱん)になったら、次の戦争が迫ってきたものと見なして、なおいっそう準備に尽力することが必要である。
人道という字も戦争の口実としてしばしば聞くところであるが、列国間に用いる場合にはこの文字の意味はすこぶる曖昧(あいまい)である。」
本当に人間社会はいつの時代も変わらず、平和や人道のためとの大義名分を掲げ、他国を侵略したり、戦争を引き起こしたりという愚行・蛮行が行われてきたことを、丘は鋭く指摘しています。現在も、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナなど、争いの種は尽きません。そして、世界中にフェイクニュースが拡散され、何が真実で、何が正しいのか、己自身の目で見、確かめ、正しい判断力を一人一人が持つ必要性に迫られています。
また、現代社会は、嘗(かつ)てないほどの広い世界との繋がりの中で成り立っており、自分勝手な行為が一個人の人生の転落を意味するだけでなく、人類の歴史の終末に直結するかもしれないことを自覚する必要性に迫られている時代に差し掛かりました。
そして、今、人工知能(AI)が注目される中、改めて、人間の無限の可能性と人間性・人間らしく生きることの意味、教育の大切さを痛感いたします。
さて、このようなことから、改めて、過去の歴史に学び、優れた先人の教えに耳を傾ける機会となればと、8月に掛川で「偉人展」を開催いたします。幸い遠州には、私欲を捨てて世のため、人のために尽くそうとした多くの先人たちの素晴らしい歴史があります。
偉人展では、様々な分野における活躍をされた偉人を取り上げますが、さらにこれまで余り知られていなかった方々のエピソードや新たに発見された資料などの紹介をいたします。
例えば、最近、新札発行で話題となっている津田梅子とその父・津田仙、津田塾創設に協力したアナ・ハーツホンとその父・ヘンリー・ハーツホン(※米国医学者)などとの繋がり。また、前回の連載・続編21で紹介した津田塾資料室で発見された「卒業生に向けて英語でスピーチした津田梅子の肉声のレコード」(※痛みがひどく音声が聞き取れなかったもの)を復元し、CDが作成されたことの紹介。(※津田塾の依頼で復元したのは、丘浅次郎の縁戚である山﨑芳男・早稲田大学名誉教授)
留学生教育の父・松本亀次郎と井上靖、丘浅次郎の孫(※バイオリニスト)と小澤征爾、そして井上靖の繋がり。丘浅次郎の孫のバイオリンと夏目漱石の長男(※バイオリニスト)の繋がりなど。
また、掛川市に寄贈された丘浅次郎が東大在学中に使用していた顕微鏡の展示。(※既に当時、その顕微鏡で世界的な発見をしていたと思われる)
その他、興味深い展示の数々を是非、御覧頂けましたら、幸甚でございます。
2024年7月30日記
(続く)
【出典】『進化と人生』増補四版丘浅次郎著 大正10年 開成館