続編その21:「理想は苔虫の団体生活」そして「島村洋二郎展」での再会

幡鎌さち江(24回
(写真をクリックすると拡大してご覧になれます)

 連日炎暑が続づく今日この頃でございますが、しらはぎ会の皆様におかれましては、お元気でお過ごしでございましょうか?

 今年は6月から7月、梅雨というよりは、雨が降れば「線状降水帯」というこれまで耳にしたことがない言葉が日本列島を駆け巡り、各地で大洪水が発生。

 また、巷(ちまた)では、連日の嘗(かつ)てないほどの痛ましい事件のニュースの報道!
 世界を見渡せば、先の見えないウクライナ侵攻、近くでは嘗てない規模での北朝鮮のミサイル発射!
 今日の人間の愚かさは、「人類滅亡へのカウントダウンか」との危惧(きぐ)を抱(いだ)かざるを得ないのは私だけでしょうか?!

 さて、丘浅次郎は、明治40年7月「理想的団体生活」という論文を「時事新報」に発表。(※代表作の一つ、『進化と人生』に収録)以下、その一部を抜粋してみましょう。

 「かくのごとく苔虫(こけむし)の国では各自がおのれの欲するところはすべてこれを他に施(ほどこ)し、おのれの欲せざるところは決してこれを他に施さぬから、罪悪ということが全くない。……(中略)東洋でも西洋でも道徳の教えの終局の目的は各個人をしておのれの欲するところを他に施さしめるにあるが、苔虫類では生まれながらこの性質が備わっているから、道徳を教える余地がさらにない。たいていの人間社会の道徳個条は苔虫のほうへ行ったならば赤面しなければならぬくらいである。……(中略)
 宗教も道徳もともに罪悪を未然に防ごうとつとめるもので、その理想とするところは罪悪のない世の中であるが、苔虫類はすなわちすでにこのありさまにあるのである。苔虫類の社会は宗教や道徳の理想とするところを実現しているのであるゆえ、この点から論ずるときわめて尊いもので、われわれ人間の向上の目標物とすべき価値が充分にある。各学校で毎週一時間や二時間ずつ修身倫理の陳腐(ちんぷ)な講釈をして聞かすよりは、苔虫類の群体を顕微鏡で見せ、その団体生活の状態を詳しく説き聞かせたほうが、はるかに有益ではなかろうかと思われる。……(中略)特に近ごろのようにくだらぬ人間の銅像をここにもかしこにも建てるのにくらべれば、苔虫の銅像を建てて、この虫のごとくにおのれの欲するところを他に施せよ、この虫のごとくに早く小我(しょうが)の境を脱して大我(たいが)の域に進めよ、という訓戒をつねに眼の前に示しておいたほうが、世道人心を益するに幾倍の効があるかわからぬ。
 苔虫の国には罪悪がないゆえ、罪悪を未然に防ぐべき宗教道徳がいらぬと同じく罪悪を未然に制すべき法律も全く必要がない。したがって法律に関係したものは一つもいらぬ。明白な事件を二年も三年もかかって調べる裁判所もなければ、疑いもない大悪人の無罪を主張する弁護士もない。これを思うと、今日の人間の団体生活は実に不完全きわまるもので、苔虫などとはとうてい比較すべき価値はないのである。われらは長く苔虫類の生活状態を見なれた結果として往々自身を苔虫の地位において、人間界のできごとを観察する習慣が生じ、何事を見るにあたっても苔虫的見地から批評を下すを禁じえない場合があるが、帝都の中央に大審院や司法省の大廈(たいか)高楼(こうろう)が巍然(ぎぜん)と立っているのを見、またこれを写真にとり絵端書などに造って誇っている世上のありさまを見て、かかる立派な建築物を要するほどに司法事業の繁昌(はんじょう)するのは誇ってよいことか、恥じてよいことかなどと考え、たまたまその近傍を通行する際には「虫も思わんことも恥ずかし」など、思わず独語することがある。」

 明治という時代に既に、「苔虫的見地」というユーモア溢れる言葉で、生物学者としての鋭い視点から、人間社会の矛盾・欺瞞(ぎまん)を指摘し、痛烈に批判している丘浅次郎の慧眼(けいがん)と勇気に、私は改めて敬意を表したいと思います。

 さて、話は変わり、先日7月2日に丘浅次郎の孫・香西理子様のバイオリン演奏を久しぶりに拝聴できるとのことで、東京銀座で開催された「島村洋二郎展―没後70年」に行って参りました。(※拙稿・続編9で画伯・島村洋二郎については御紹介)
 米寿をお迎えになられたとは思えない素敵な香西理子様の心のこもった素晴らしいバイオリン演奏に、しばし時を忘れて酔いしれました。
 また、どんな状況の中でも最後の最後まで生きること、描くことをあきらめなかった画家の作品(※新たに発見された作品一点を含め)に、大変感動いたしました。

 なお、午前中には、近代地理学の創始者・山﨑直方(なおまさ)邸にお伺い致しました。
 山﨑直方邸は現在、国登録文化財となっている邸宅ですが、丘浅次郎の三男・英通・喜美子御夫妻が晩年、お住まいになっておられたとのことです。(※喜美子は山﨑直方の長女)
 現在、山﨑直方邸を管理されている山﨑直方の孫の早稲田大学名誉教授・山﨑芳男先生に御案内して頂き、拝見させて頂きました。山﨑邸は、改修中でしたが、玄関や2階に上がる階段のステンドグラスなどが素晴らしく、また、丘英通博士(※東京教育大学名誉教授)の中学時代に書かれた文章や絵などを拝見させて頂きました。さすが、丘浅次郎の息子だけあって、子供の時から、人並み外れた観察眼と表現力があったのだと感心致しました。
 また、山﨑芳男先生は、音響の権威として著名であり、津田塾大学から依頼されて津田梅子資料室に長く保存されていた途中までしか再生できなかった津田梅子による「卒業生へのスピーチ」と「ロングフェローの詩の朗読」のレコードの全文の音声復元を1999年にされ、より多くの人に聴けるようにと2000年津田塾大学創立100周年記念事業の一環としてCD作成をされました。そのCDとDVDを拝見させて頂きました。

 午後はイベントが終わると関係の方々とのティーパーティー終了後、香西理子様と品川駅まで御一緒し、新幹線に乗って日帰りにて帰って参りました。

大変有意義な一日を過ごす事が出来ましたことに感謝の気持ちで一杯でございます。

 なお、6月には、「掛川・松ヶ岡」の初代掛川町長・山﨑千三郎の御子孫から、掛川市に寄贈された目録の一部を送って頂きました。丘浅次郎が東京帝国大学卒業後の明治24年、従兄弟・山﨑覚次郎(※経済学者・東京帝大名誉教授)と共にドイツ留学する直前、松ヶ岡に逗留し、東京帝大時代に使っていた顕微鏡を置いていったとの話ですが、その目録の中に他の丘の資料とともに顕微鏡もあり、掛川市に確認いたしましたところ、保管されているとのことでした。その話を香西様にいたしますと「浅次郎の使った顕微鏡が公の場に保管されていることは素晴らしいことで嬉しくてなりません。」と仰っていられたことに、私はさらに感激いたしました。いずれ、掛川市の御協力により、皆様にも公開することが出来ると存じます。

2023年7月27日 記

(続く)

【出典・参考資料】

  • 『進化と人生』増補四版 丘浅次郎 著 大正10年 開成館
  • 「津田梅子のスピーチ」他CD、DVD
    津田塾大学創立100周年記念事業実行委員会 編集
  • 『カドミューム・イェローとプルッシャン・ブリュー島村洋二郎のこと』
    島村直子・小寺瑛広 編

「島村洋二郎洋二郎展」パンフレット

「島村洋二郎洋二郎展」パンフレット

香西理子様のバイオリン演奏

丘英通博士の中学時代の文と絵

丘英通博士の中学時代の文と絵

丘英通博士の中学時代の文と絵

山﨑直方邸(国登録文化財)

山﨑直方邸(国登録文化財)

津田梅子のスピーチCD、DVD

津田梅子のスピーチCD、DVD