続編その20:2023年、新年のご挨拶

幡鎌さち江(24回
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 明けまして、おめでとうございます。
 しらはぎ会の皆様、本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 新しい年を迎えましたが、いまだ世界はコロナ禍、巨大自然災害、東アジアや中東などの諸問題、そしてロシアのウクライナ侵攻など混迷を深めるばかりです。

 丘浅次郎は、著書『進化と人生』(明治39年、開成館より発行)の中の「人道の正体」という論文の中で次のように述べています。

「・・・もし各人が人道を行うならば世の中は毫(ごう)も争いがなく、真に平和極楽の黄金世界であるべきはずなるに、実際を見ると世間は全くその正反対で、他人はいかに迷惑しようとも、自分さえよろしければ差支えないという主義が行なわれ、大にしては国と国との間の戦いより、小にしては記念絵端書を買わんとする争いにいたるまで、他人を蹴飛ばし踏み倒しても、ただ自分さえ先へ進み出て目的を達すればよいというありさまで、法律の制裁だになくば、わが靴に塗る脂(あぶら)をえんがために他人を打ち殺すことをもあえて辞(じ)せぬような人がどこにも充満し、実に人間とは利己心の凝固結晶したものかと思われるほどであるゆえ、かかる方面のみを見ると人道なるものはどこに存するかと疑わざるをえぬような心地がする。
 しかしながら、また広く他人の行為を観察し、かつ自分の内心を顧(かえり)みると、他人の悲しみを聞けばともに悲しくなり、他人の苦しみを見れば、これを助けたく感ずる利他同情の心の存在していることもまたたしかな事実である。仕合せの悪い悲惨な境遇にある人の話を聞けば、自然に涙が出て、どうにかして救うてやりたいとの心が生じ、重い荷をひく馬が坂で、苦しんでいるところを見れば、実に憐れである、助けてやりたいとの気になるが、同情の心は決して表面を飾るための偽(いつわり)でもなく、教えられて覚えた結果でもなく、真に生まれたときから備わっている本能的性質である。その程度は各人決して一様ではないが、とにかくかかる性質がある程度において、たれの心の中にも存在することだけは決して疑うべからざることで、これがすなわち人道なるものの源である。」

 丘浅次郎の言うように、人間は矛盾にみちたものであり、「善の心」も「悪の心」も生まれつき共に心の内に持っているものでありますが、人間は周りの環境や人の言葉に影響を受けやすい一面もあります。また情報化社会に生きる私たちは、ともすると溢(あふ)れんばかりの情報に振り回され、真偽を確かめる手段も判断力も欠如していることにも気が付かないことが多いものです。これは、一人一人が深く考えなければならない問題ではないでしょうか。

 また、現代の戦争は、遥か高みから爆弾を投下し、ゲームか、映画の一場面のような世界が繰り広げられ、そこに生身(なまみ)の人間が生き苦しんでいることを実感することもなく、悲劇が繰り返されています。また、いつの時代も戦場に駆り出された兵士たちは、地獄を目の当たりにすると野獣と化します。
 しかし、現代は兵器が格段の進歩を遂げ、たった一人の戦士の判断ミスや悪意を持った指導者によって、世界が滅亡の危機に直面する時代となりました。

 このような状況下、この度、私たちは、先人たちの教えや郷土の歴史などを紐解き、第二弾となる拙著『「人類は下り坂」その後の展開―丘浅次郎と先人の知恵』(静岡新聞社)の刊行に至りました。
 その際、浜松北高の恩師・松平和久先生や北高の先輩・名倉慎一郎先生(北20回、磐田歴史文書館)が、関連の歴史的資料の解読などで御協力下さいました。

 また、さらに浜松北高の現校長・長井利樹先生の大変なお力添えによりまして、拙著(前著と新著2冊)を2022年11月18日、県下の公立高校など約120校に寄贈させて頂くことが叶いました。なお、11月18日は、丘浅次郎・生誕の日でありましたことには不思議な御縁を感じました。長井先生、誠にありがとうございました。

 今、世界は巨大化する自然災害、いつ果てるとも知れないコロナ禍、9・11同時多発テロから20年の年を迎え、米国はアフガニスタンからの撤退(てったい)、さらに2022年2月にはロシアのウクライナ侵攻など多くの困難な問題に直面しています。このような時期だからこそ、私たち現代人は、丘浅次郎に出逢うことにより、人類という大きな視点で物事を捉え、また多くの先人たちの教えから、現代を生き抜く知恵を学ばねばならないとの思いで、拙著執筆を思い立ちました。

 新しい年にあたり、今年こそ、世界中の人々にとりまして、希望に満ちた素晴らしい年となりますことを願って・・・!!
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2023年1月19日 記