続編その17:コロナショックと人間の本性について

幡鎌さち江(24回
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 皆様、お久しぶりでございます。

 今、世界規模でのコロナウィルスの拡大について一喜一憂している今日この頃、一刻も早い終息を願うばかりでございます。

 さて、これまで明治元年(1968)生まれの動物学者・丘浅次郎の紹介をしてまいりました。丘はダーウィンの進化論を明治32年(1899)に「種の起源」と命名・翻訳し、その論文を『動物学雑誌』に発表。その後、著書を通じて広く「進化論」を普及させ、多彩な社会文明批評を執筆し、多くの知識人に影響を与えました。
 戦後は、昭和49年(1974)に筑摩書房より、『近代日本思想大系9丘浅次郎集』が刊行されました。『近代日本思想大系』は全36巻ありますが、自然科学者として唯(ただ)一人、福沢諭吉や中江兆民、西田幾太郎など著名な思想家と並んで紹介されています。

 その丘が、明治44年11月に「自然の復讐」という文の中で次のようなことを述べております。

 「火を用い始めたことは文明の第一歩であって、人類文化史の第一頁に特筆すべき自然の征服であるが、物を煮て食うように成ってからは人類の消化器は著しく弱くなった。食物を煮て食う動物は人間以外には一種もないが、人間ほどに歯や腸胃の弱い動物も人間以外に一種もない。衛生の書物を開いてみると、生水は危険なれば飲むべからず、必ず煮沸したるものを飲用すべしなどと書いてあるが、未だ火を用いなかった頃の人類の先祖は、他の総べての野獣と同じく、無論煮沸せぬ水ばかりを飲んで、天寿を全うして居ったのである故、それより今日までの間に、斯様(かよう)な注意を要する程度までに、人間の体質が弱く成ったのである。………(中略)………家屋を建てて寒暑を防ぎ、市街を造って安全に住居することは、総べて文明の礎(いしずえ)とも云ふべきことであるが、そのため日夜悪い空気を吸うて、呼吸器官が次第に弱くなり、終には誰も彼もが肺病に罹(かか)る様になった。結核の「パチルス」はコッホが之を発明しない遠い昔から、無論何時の世にも有ったであろうから、或いは熊の肺に入ることもあろう、また猪の肺に入ることも必ず有ったらう。然(しか)るに熊や猪が悉(ことごと)く肺病に罹らぬ所を見ると、肺病の原因は弱き人の肺なりと云うた方が寧(むし)ろ適当かとも考えられる。………(中略)………血清療法の如きも、個人を助ける術(すべ)としては恐(おそ)らく大成功であろうが、人手を借りて………若(も)し血清の注射によって、病を治療し又は予防することが長く且(かつ)広く行われたならば、一代毎に人類総体としての健康が極めて少し宛(づつ)、降(ふ)るものと見做(みな)さねばならぬが、若し人間生来の抵抗力が段々減ずるとしたならば、或(ある)いは未来に於(おい)て、従来人体に対して無害であった細菌のために侵(おか)されて、新しい病気の種類が続々と殖(ふ)える如きことは無いであろうか。………また名も知らぬ伝染病が幾つも生じて、病気に罹(かか)る虞(おそれ)は却(かえ)って今日以上に上る如きは無いであろうか。………(中略)

 自然の復讐の最も劇(はげ)しく最も残酷なのは、人間の社会生活の不条理なる点に起因するものである。之は人類の征服に対しての直接の復讐と云うよりも、寧(むし)ろ人間の社会制度の欠点に附け込んで自然が行ふ間接の復讐と云ふべきもので、社会の制度が今日の儘(まま)に続く限りは、到底防ぐことは出来ぬ。………(中略)………

 さて、今日の制度のままでは、自然を征服して文明を進めれば進めるほど自然から劇(はげ)しく復讐せられるとすれば、今後は自然を征服することを全く止(や)めて、唯々(ただただ)自然に従ふては如何(いかが)と論ずる人があるかも知れぬが、これは素(もと)より甚(はなはだ)だ不得策である。………若し研究を怠り、努力を休んで、自然の征服を務めずにいたならば、自然の復讐を受けることは或いは軽く済むかも知れぬが、………更に苦しい位置に落ちねばならぬ。」

 今さらながら、現代の私たちの未来を予見したような丘の言葉の重さに驚かされます。

 また、そのような「病」の発生、拡散の情報が世界規模で流されると、人々はパニックに陥り、悪意のある情報に流され「真偽」を確かめることもなく、振り回されることが多いのも人間の常でありますが、そのような点にまで言及していることは驚きです。
 現代人はテレビ・インターネットなど文明の進歩により真実を見極める手段を数多く獲得したように思っていますが、私たちの物事を理解する能力・判断する力は、実は案外、「劣ってきているのではないか」と、感じられる場面に多く遭遇いたします。

 丘浅次郎の「生物学的の見方」(明治43年)という次の一文があります。

 「すべての物は見方によって種々異なって見えるもので、同一の物でも見方を変えると、全く別物かと思われるほどに違って見えることもある。たとえば、ここにある水呑(みずのみ)コップのごときも上から見れば丸いが、横から見るとほぼ長方形に見える。日々世の中に起こる事柄も、ある人はこれを道徳の方面から見、ある人はこれを政治の方面から見、ある人は教育の方面より、ある人は衛生の方面よりというように種々の異なった方面から見るが、かくあらゆる方面から見た結果を綜合(そうごう)して始めてその事柄の真相が知れるのである。一方から見るのみで、他のほうから見ることを忘れては決して正しい観念を獲ることはできぬ。」

 ここで思い出すのは、黒澤明監督の名作「羅生門」(※1950年公開)の映画です。

 時は平安時代。土砂降りの雨に煙る羅生門の廃墟で、駆け込んで来た下人の問いに答えて杣(そま)売りと旅法師が不思議な話を語り始める。都で名高い盗賊・多襄丸が、森の中で武士の夫婦を襲い、夫を殺した。しかし、検非違使庁でのそれぞれの証言は………!?
 殺人犯の多襄丸の証言、殺された男の証言(※巫女(みこ)の口を借りて)、妻の証言、そして、それを藪(やぶ)の中から見ていた杣売りの話、すべて全く異なっていた!
 一つの単純なはずの殺人事件の真相が、人間のエゴイズム・自分勝手な言い分が美しい映像ともに4つの方向から提示されている。

 世界中に衝撃を与えた映画史上に、燦然(さんぜん)と輝く傑作。

 また、ジョン・フォード監督の1962年製作の西部劇映画「リバティ・バランスを射った男」も思いだされます。

 西部の田舎町にやって来た正義感溢れる新米弁護士ランス(※ジェームス・ステュアート)が、町の嫌われ者リバティ(※リー・マーヴィン)をクライマックスの決闘で撃つが、自分の嫌っていた銃で殺したと思い込んで悩んでいた。しかし、実は別の方向にいた銃の名手の牧場主トム(ジョン・ウェイン)が、悪者リバティを撃ち殺していたという痛快な展開。

 決闘シーンの謎解きの種明かしをするという異色の名画です。

 話はいろいろな方向にそれましたが、本当に猿の如き者から、人間の脳は素晴らしく発達したと思われますが、反面、大変な錯覚を起こしやすいものであることを痛感する今日この頃でございます。
 自分勝手な人間の本性・驕りなどから、人類自身の手で「未来」を破壊することが無いようにと願うばかりでございます。謙虚に真実を見つめ、「病」や「環境破壊」など様々な苦難を乗り越えて、素晴らしい明日が築けることを祈ります。(つづく)

写真①

近代日本思想大系9 丘 浅次郎集
筑摩書房(1974年初版)
(写真)丘 浅次郎 昭和初年

写真②

近代日本思想大系 全36巻 筑摩書房

写真③

丘 浅次郎の知恵  長谷川智著 羽衣出版

写真④

DVD 羅生門 黒澤明監督 大映

【参考文献・参考資料

  • 『近代日本思想大系9 丘 浅次郎集』 昭和49年(1974) 筑摩書房
  • 『進化と人生』上 丘浅次郎著 昭和51年 講談社学術文庫
  • 『人間を考えるヒントダーウィン紹介者・丘浅次郎の知恵』 長谷川智著 令和2年 羽衣出版
  • DVD黒澤明『羅生門』デラックス版 大映・Pioneer