続編その16:人心の堕落と物質文明の因果関係など

幡鎌さち江(24回
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 少しずつ、春の足音が近づいてくる気配を感じる今日この頃でございます。皆様、お元気でお過ごしでしょうか?
 平成もいよいよ残り少なくなってまいりましたが、昨年は明治維新150年の節目の年であり、皆様も、様々な感慨・思いを抱いている方も多いことと存じます。

 また最近、日々のニュースを見ていると、自然の脅威、さらにそれ以上に人間の愚かさ、人間とはかくも残酷になれるものかと心の痛む記事も多かった反面、様々な分野での人類の叡知、未来のために日夜努力を重ねる人々の明るい話題に感激することもありました。

 そして、昨年、拙稿(続編その14、15)でご紹介いたしましたように遠州地方には、誇るべき「善」と「学問」の歴史があり、さらなる嬉しい展開もありました。

 さて、ここで丘浅次郎が明治41年11月に書いた『所謂「文明の弊」の源』という文の一節をご紹介致しましょう。

 「現今世道のすたれ人心の堕落してることは目前のたしかな事実で、わが国の将来を考えると実に憂慮に堪えぬ次第である。世道とか人心とか、品性とか人格とかいう議論のやかましいのは、みな世の堕落している証拠で、まことに情けないことではあるが………(中略)
 ………単にわが国では維新以後、物質的文明の進歩したと同時に人心も堕落したというだけにとどまって、ただ時が相重なり合うているというのに過ぎぬ。同時に起こる事柄の中には、互いに原因結果の関係のあるものもあれば、またかかる関係の全くないものもあるは明らかなことゆえ、単に同時に起こったという理由だけで、一を原因と見なし一を結果とみなすのはすこぶる軽率な議論である。………(中略)
 ………元来人間には他人の迷惑は少しも顧みぬという性質が生まれながらに備わっているもので………。(中略)道徳も法律もみな人間にかかる性質が備わっているために必要であり、警察や裁判所の繁昌するのもみな人間にかかる性質が備わっているからである。もしも人間にいささかでも生まれながらにして他人の迷惑を顧みておのれの欲せざるところを他人に施さぬという性質が備わってあったならば、蟻や蜂の社会と同様な真に協力一致して毫も争いのない社会ができるであろうが………(中略)
 英国のある政治家の言うた言葉に『政治の要は容易に悪をなしがたき社会を造るにあり』とあるが、人間のこの性質がとうていなおらぬものと定まった以上は、社会の制度のほうを充分に研究して、その欠点を調べ、もしなし得べくば、これを改めて人間のこの性質のはげしく現れえぬような社会を造らんとつとめるほかに道はないであろう。」

 改めて、昨今の現代社会を見渡したとき、「人類が生物として来たった道のり」を見据えた丘浅次郎の言葉に深く考えさせられるものがあります。

(記 2019.2.23)

(続く)

追伸

 昨年、開催いたしました「学問の四大志士たち展」の会場風景写真①展示パネル、丘浅次郎の父・秀興の大阪造幣局創業当時の幹部写真と人事記録(造幣博物館御提供)②

写真①

開催日、2018年4月17日~29日

開催場所、東京御茶ノ水駅近くのギャラリー

写真②

昨年10月の掛塚祭の旧掛塚郵便局(登録有形文化財)の中での「丘浅次郎展」(掛川松ヶ岡を含む)の展示風景写真③、④

写真③

開催日、2018年10月20日、21日
会場、旧掛塚郵便局

写真④

開催日、2018年10月20日、21日
会場、旧掛塚郵便局

昨年11月下旬、紅葉の「掛川松ヶ岡(山﨑邸)」に、掛川町初代町長(山﨑家8代目)山﨑千三郎のお孫様たち(国登録文化財の焼津市浜当目・原田家住宅の原田様など)が来訪、掛川市の皆様のあたたかい歓迎を明治天皇御宿泊の間で受ける。写真⑤、⑥

写真⑤
写真⑥

丘浅次郎の三男(丘英通、東京教育大名誉教授)の夫人の実家(近代地理学の父「山﨑直方邸」、東京小石川・大正期の洋館、指定登録有形文化財)の写真⑦〈山﨑直方の孫・山﨑芳男早稲田大学名誉教授の御提供〉

写真⑦

掛川市に3月に天津市より寄贈される「松本亀次郎」「周恩来」の等身大の蝋人形の静岡新聞の記事、写真⑧〈平成31年1月12日(土曜日)朝刊、静岡新聞御提供〉

写真⑧

【出典

  • 丘浅次郎著「進化と人生」
  • 明治39年初版(1906)東京開成館
  • 丘浅次郎著「進化と人生」上・下
  • 昭和51年(1976)講談社学術文庫