続編その14:三遠南信ゆかりの偉人「学問の四大志士たち展」

幡鎌さち江(24回
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 桜から新緑のまぶしい季節と移りゆく今日この頃、皆様、お久しぶりでございます。

 さて、このたび、4月17日(火)~29(日)の期間、東京都文京区本郷(※お茶の水駅近く)のアートギャラリー884で、「学問の四大志士たち展―三遠南信ゆかりの偉人」を開催する運びとなりました。丘浅次郎の他、この連載で御紹介いたしました太田用成、山崎覚次郎、そして松本亀次郎、佐藤進などの素晴らしい業績を知って頂く展示会となります。御時間がありましたら、是非、御覧頂ければ幸いでございます。なお、今後、遠州をはじめとする三遠地方、静岡県、長野県などで同様な展示会を開催できますよう努力したいと考えております。

 なお、「朝日新聞」毎週金曜日、第2静岡面に「遠州考」の連載が始まりました。
 4月13日(金)から4回、「ダーウィンの紹介者・丘浅次郎と掛塚という町」が掲載されます。併せて、御覧頂けましたら幸いです。

三遠南信ゆかりの偉人の紹介と交流明治維新150年

「順天堂の佐藤進と繋がる学問の四大志士たち展」開催の趣意書

 三遠南信という地域をご存知でしょうか?愛知県の東三河、静岡県の遠州、長野県の南信州の三つの地域にまたがるエリアを言います。この地域が生んだ「順天堂の佐藤進と繋がる学問の四大志士たち展」を「初めて」東京で開催する運びになりました。今回は「佐藤進×丘浅次郎×山崎覚次郎×松本亀次郎×太田用成」に注目して、日本の近代化に貢献した偉人たちを取り上げる展覧会です。
 首都東京においては、順天堂の佐藤進と繋がる学問の志士たちは「国難を救った善の歴史と遺産」があるにも関わらずこれまでほとんど知られておらず、この機会に少しでも多くの方々に知っていただきたいと考えています。
 佐藤進が李鴻章との親交を深め国難を救った「活人剣の秘話」や中国の周恩来・魯迅・秋瑾の恩師「留学生教育の父松本亀次郎」などをご紹介します。また丘浅次郎(生物学の志士)・山崎覚次郎(経済学の志士)・太田用成(医学教育の志士)といった偉人たちの血の滲むような地道な努力による業績は、現代日本において大いに役立っていることを忘れてはなりません。イスラームから世界最先端の融合文明が世界各地に伝播し日本にもたらされましたが、学問を母語の日本語でしっかり学ぶという基本の上に立ち人々と交流しました。その結果として偉人たちが生まれたという事実を認識する必要があります。
 今回取り上げた偉人たちは、「身を犠牲にして国や社会のために尽くす」というその高い志から「学問の志士」といえるのではないでしょうか。
 会場の「アートギャラリー884」は御茶ノ水駅からほど近く、順天堂大学・済生学舎(日本医科大学)・杏雲堂医院・湯島聖堂・昌平坂学問所・ニコライ堂などは、今回の偉人たちゆかりの地です。
 この機会に三遠南信ゆかりの「志士たち」に触れ、清々しい(すがすがしい)善の風を感じとり、これからの皆様方の活動の糧になれば幸いです。
 また今年は順天堂大学創立180周年、丘浅次郎生誕150周年、山崎覚次郎生誕150周年、のみならず丘・山崎両名がお世話になった坪内逍遥を讃える「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館創立90周年」にもあたります。
 坪内逍遥と南信州のご縁は深く、河竹繁俊(旧姓市村、坪内の紹介で黙阿弥の養子、演劇博物館長)・太田用成(医者で歌舞伎役者の手術や交流)・太田雅光(用成の子、浜松生まれ、歌舞伎絵師)・菱田春草(生家が太田用成の近く、坪内は日本美術院特別賛助会員)・日夏耿之介(早稲田大学教授)・皆川四朗(歌舞伎座社長)などネットワークが築かれ、伝統芸術の水脈が続いています。
 そして「山崎・丘」ゆかりの掛川松ヶ岡(旧山﨑家住宅)を中核としたプロジェクトに対し首都圏においてもこの機会に賛同者が増えることを願っています。

●遠州地方と山口県との繋がり

 袋井市可睡斎に建立された「活人剣の碑」(※高村光雲 作、2015年に宮田亮平東京芸大学長の制作により復元)の逸話は、下関条約の締結された山口県と静岡県との繋がりを物語るもので、さらにその他にも、以下に述べる関係があります。

 明治28年9月~明治30年7月まで、丘浅次郎は山口高等学校教授となり、山口市に居住しました。当時の山口高等学校校長は文部大臣などを歴任した岡田良平(※掛川市出身)で、父・岡田良一郎は私塾「冀北学舎」や「大日本報徳社」(※注1)を創設した人物であります。また、弟・一木喜徳郎は、宮内大臣などを歴任、熱誠をもって鈴木貫太郎(※注2)を昭和天皇の侍従長に起用した人物です。

※注1:戦後、GHQにより大日本の名称が禁止となる中、善に基づいた報徳精神を実践していたということから、大日本の使用を許されたという歴史がある。

※注2:鈴木貫太郎は終戦の首相で、就任後まもなく、アメリカ大統領ルーズベルトの訃報に際し、同盟通信社の短波放送で「アメリカ国民の悲しみに深い哀悼の意を捧げる」との談話を世界に発信した。これを聞いたノーベル賞作家トーマス・マンは「鈴木の武士道精神を讃えた」と云われている。また貫太郎の妻「たか(足立)」の一族には、「化学的物質による悪性腫瘍成生の実験的研究」で、世界的業績を残した医学者・佐々木隆興などがいる。

【参考資料】

  • 「冀北学舎」堀内良著大日本報徳社
  • 「宰相鈴木貫太郎」小堀桂一郎著文芸春秋
  • 「遠州幡鎌氏とその一族」幡鎌芳三郎・塚本五郎著
  • 「昭和天皇上・下」ハーバート・ビックス著吉田裕監修講談社
  • 袋井市HP その他