続編その11:中村明先生からのメッセージと環境問題、そして常識とは?

幡鎌さち江(24回
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 2017年5月25日、北高(生物)恩師・中村明先生よりの「環境セミナー」御紹介を談話室に掲載させて頂きました。そして、先日、中村先生から「しらはぎ会への御礼」のメッセージを頂戴致しました。
 以下、御紹介させて頂きます。

「しらはぎ会の皆様、環境セミナー・御紹介、ありがとうございました。
 環境汚染・環境破壊の問題は、今日、多くの人々が注目し、一人一人の身近な問題として考えておられることだと思います。
 北高近くの佐鳴湖は、かつて全国の湖で環境ワーストワンでした。長年、浜松市はこの問題に取り組み、その結果、現在、環境浄化が進んできているとの認識の方々も多いことと思います。
 しかし、多少良くなったとは言え、佐鳴湖は閉鎖湖であり、全国でも稀な市街地にある折角の湖も、流域の開発による湧き水の減少、そして、毎年の花火大会による有害金属イオンの増大など…。
 シラウオ、ウナギなどの産額があった湖も、漁業組合、漁師さんも居なくなり、季節にはボラ釣りが盛んだったとは昔日の思い出です。
 この様な故郷の得難い自然を大事にしたいものです。」

「<追伸>昭和40年代までは、冬には越冬水鳥が湖面を埋め、はやぶさの来襲で一斉に飛び上がると空を覆う、多くいた越冬カモが今では時々小集団がいるだけです。
 これも…、湖岸の渚をコンクリートで固め(※渚は生態系の命なのです)、……湖底浚渫(しゅんせつ)を行い、自然湖に大切な湖底生態系を壊滅させてしまったのです。自然湖の生態は、プランクトン(浮遊生物)、ネクトン(遊泳生物)、ベントス(湖底生物)の3層のバランスが重要なのです。しかし、このベントス生態系を、溝掃除感覚の湖底浚渫(しゅんせつ)で排除してしまったので、自然湖の生態系が破壊され、言うならば、人工の池と同じになってしまい、常に人工的管理が必要になってしまいました。
 これらのことについて、多くの人々の啓蒙理解を深めたいものです。」

※浚渫(しゅんせつ)→水底をさらって土砂などを取り除くこと。

【※中村明先生は、旧制浜松一中52回で、昭和38年~47年まで浜松北高で生物を教えられ、静岡県立大学名誉教授となる。浜松北高同窓会ホームページの「恩師訪問第5回」を参照】

佐鳴湖の昔

佐鳴湖の今

 また嘗て、北高の生物の先生には、小川一男先生(※昭和24年~42年)という名物先生がおりました。私たちが、丘浅次郎の研究を始めた頃、理学博士・高桑良興の『ゲジの内外の解剖及び分類附恩師…丘先生の追憶』という本の中で、「序」の文に、次のように書かれているのを見つけ、ビックリ致しました。以下、その一節を記します。

「…、又静岡県浜松北高等学校の小川一男氏はムカデの染色体につき、多年熱心に研究して、多くの成果を挙げられて居るが、恐らくムカデやゲジの分類がそれらの観点から出発する時期が至るやに予感せられ、大いに期待して居るのである。………。

昭和29年11月3日 文化の日 著者識す」

 北高生徒会誌『蜻蛉浜松北高百周年記念号』の「小特集小川一男」にも、次のように書かれております。
「…授業風景は、『にこやか・やさしく・親切に』をモットーに決して生徒を叱ったことがなく、生徒の学ぼうとする姿勢を高く評価する先生でした。
 これだけでも小川一男先生の尊大さが分かるのに、なおも北高に勤めているとき(昭和36年)に『唇脚類の染色体比較研究、特に分類との関係』という論文を北海道大学に提出し、理学博士の学位を取得しました。唇脚類とは、ゲジゲジやムカデのことです。…」

 さて、旧しらはぎ会HP「ダーウィン邦訳の起源その2」で、丘浅次郎の明治44年の『自然の復讐』という文を紹介いたしました。今回は、丘の『事実と学説』(※大正15年)という文の一節を御紹介したいと思います。

「…今日でも相変わらず生徒は聞かされて信じ、または見せられて聞かされて信じ、いずれにしてもただ信ぜしめられるだけで、少しも疑うてかかる心の働きを練習する機会が与えられぬゆえ、事実でも学説でもこれを充分に吟味してから受け入れるというただけの用意がなく、無差別にこれを信ずる癖が付いているのであろう。

 …常識とは経験に基づいた実際的の判断力をいうので暗記とは全く頭の働きが違う。事実と学説とを混同せぬことも種々の説の価値を比較し判断することも、常識の働きである。

 …常識は物を判断する力であるから、これが欠けていては、知識だけがあっても、何の役にもたたぬ。『常識のない学問は馬鹿の2倍』という諺もあるくらいで、学問をしたが、が常識の持ち合わせがないというような人間は、むろん、自分に常識が欠乏していることなどは自覚していないからひとり勝手の学説を編み出して、臆面もなくこれを世に発表する。学説なるものが一部の世人から軽蔑せられるにいたったのはかような学者が少なくないからである。…」

 なお、ここで、もう一人浜松出身の日本動物学の先駆者・飯島魁(いさお)博士を御紹介いたします。日本鳥学会を創設、初代会長をつとめ、近代鳥類学の指導者であり、また、寄生虫類を研究し、その感染経路を明らかにするなどの功績を残し、魚類学者でもあり、日本における水族館の発展にも貢献いたしました。飯島魁(いさお、1861~1921)は、浜松城下の藩士の家に生まれ、東京開成学校卒業後、東京帝国大学理学部に入学、日本で初めて進化論の講義をしたモースの指導を受け、卒業後、ドイツ・ライプツィヒ大学でロイカルトに師事(※留学中、同大学に留学していた森鴎外と交遊をもつ)、明治19年、東京帝国大学理学部教授となって、丘浅次郎など多くの研究者を育てました。
 明治19年、神奈川県三浦半島に東京大学三崎臨海研究所が設立され、アジアで最初の恒久的臨海研究所が誕生。その一番乗りは当時、動物学教室の学生だった丘浅次郎であるらしく、「実験所ができたのは明治19年の12月で…私が同級の岸上(鎌吉)、稲葉(昌丸)氏と初めて行った時には、未だペンキが塗りたてで乾ききらない位…」と、丘は回想しています。
 三崎臨海研究所では丘 浅次郎氏は、シリス虫を、飯島 魁氏は新種の海綿を発見するなど研究の成果を挙げ、国内外に注目されるようになった(※出典:郷土出版社『図説・三崎半島の歴史―その歴史と文化』)とのことです。

 飯島 魁博士、丘 浅次郎博士、小川一男先生、中村明先生…。
このように、私たちの郷土・浜松、そして我が母校には、明治から現代に至るまでの日本動物学・生物学の先達がいます。

 今日、様々な問題が噴出してきて、人類の未来は暗雲がたれこめている感があります。
 人類が「かけがえのない地球という船」に乗り合わせた生物の一つであることを思うとき、先人たちが多くの指針を与えてくれているような気が致します。

(続く)

浜松北高校 百周年記念号「蜻蛉」

理学博士・高桑良興著「ゲジの内外の解剖及分類」

【参考文献】

  1. 丘浅次郎著『猿の群れか ら共和国まで』 共立社 1926年(大正15)
  2. 理学博士・高桑良興『ゲジの内外の解剖及び分類
    附 恩師…丘先生の追憶』 学風書院 1955年(昭和30)
  3. 北高生徒会誌『蜻蛉 浜松北高百周年記念号』 1994年(平成6)
  4. 高林家史料六 浜松市立中央図書館 1996年(平成8)