続編その7:丘浅次郎の御孫様が遠州のゆかりの地、来訪の巻④

幡鎌さち江(24回
(写真をクリックすると拡大してご覧になれます)

 さて、日本建築における「主のもてなしの心」、「高度な匠の技」を体感した私たち一行は、松ヶ岡をあとにして、次は一路、掛川市文化財「吉岡彌生記念館」へと向かいました。

 丘浅次郎の御孫様・香西様の今回の来訪で、従兄弟・山崎覚次郎の生家「松ヶ岡」の他に御覧になりたいと仰ったのが、「吉岡彌生記念館」でした。

 吉岡彌生は、皆様も御存知のように東京女子医大の創立者で、生家は掛川の旧家・鷲山家です。日本の女医教育に力を尽し、当時の男尊女卑の風潮の中で、婦人の社会的地位の向上にも力を注ぎました。

在りし日の丘浅次郎が「吉岡彌生の家は親戚だ」と話されていたとのこと。幼い頃の記憶で、どのような繋がりであったかは覚えておられないとのことです。しかし、若くして天涯孤独となった丘浅次郎は、郷里の話はあまりされませんでしたので、丘自身が親戚だと言ったということは、かなり近い関係であったと推測されます。

「吉岡彌生記念館」は、小笠郡大東町下土方にあり、高天神城址などが近くにあります。
記念館は、彌生の業績・足跡が、「志」「翔」「愛」の3つのステージで展示されています。さらに、記念館を通り抜けると小高い丘に「長屋門」「生家」「蔵」などが移築、復元されており、吉岡彌生の偉業を偲ぶことができます。

 また、次の日は、「丘(旧高塚家)の実家の菩提寺・竜泉寺(※磐田市)」や「浜松市楽器博物館」を訪れました。さらに嬉しいことに、その日は、浜松市中心部にあるホテルにて、香西先生御夫妻と御一緒に、私達の母校である浜松北高の恩師・中村明先生(※生物、静岡県立大名誉教授)を囲んで、ランチを致しました。

 なお、明先生は、国立遺伝学研究所で丘浅次郎の御子息・丘英通博士(※東京教育大名誉教授)と御一緒されていたとのことで、とても縁が深いものがあります。

それでは、皆様、良い御年をお迎えください。

【出典】
「吉岡彌生記念館記念誌」(※発行日:平成12年4月1日)