続編その4:丘浅次郎の御孫様が遠州のゆかりの地、来訪の巻①

幡鎌さち江(24回
(写真をクリックすると拡大してご覧になれます)

 2015年9月、丘浅次郎の御孫様御夫妻が浜松の地を訪れられましたことは、私たちお迎えをいたしました者にとりましても、大変、感慨深いものでございました。

 まず、御案内申し上げましたのは、丘浅次郎の従兄弟・山崎覚次郎の生家「掛川松ヶ岡、旧山崎邸」でございます。掛川市副市長様や教育委員会、市民の代表の皆様の温かい御協力により、ゆかりの地を訪れることが出来ましたことに大変感謝いたしております。

 「掛川松ヶ岡」は、2012年末に掛川市が取得、2016年2月に掛川市指定文化財として認定された歴史的建造物です。

 嘉永7年(1854年)11月4日に安政東海地震が起こり、さらに安政2年には遠州灘を震源とする最大の余震が起こりました。そのため、建築中の本宅が倒壊した山崎邸は、長屋門、中門、主屋などを地震直後の安政3年(1856年)に再建いたしました。これは、掛川市の調査(※東京芸大教授)で、山崎家6代知盈、7代徳次郎(※覚次郎の祖父・父)の棟札が確認され、耐震対策・工法の工夫などが壮大な梁組、小屋組などに見られ、大変、素晴らしいものであります。明治11年(1878年)には、明治天皇の東海・北陸御巡幸の行在所として使用された近代和風建築は、今日まで大変良く保存されており、御往時の面影を堪能することができました。

次回に続く。

主屋

客間・床の間・次の間などの柱は、良質な檜が使用され、床の間の框は漆塗、壁は来客に合わせて張り替える貼付壁で、見事な松の彫刻の欄間など素晴らしいものです。明治天皇が御泊りになられた御部屋です。

明治天皇行在所の碑

1933年に史蹟名勝天然記念物法の「聖蹟」に指定されたときの碑が長屋門の脇に、建っており、当時を偲ばせます。(※なお、戦後、明治天皇関係史跡は指定解除となりました。)